1番目アタール、アタール・プリジオス(22)雪の朝
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一番星が光り始めた、夕闇の部屋で。
アリエルは、年老いた準司祭をロエーヌと同じように、見開いた目で見つめる。
「…エ、エクトラスって、言ったの?」
アリエルは数秒の沈黙の後、ようやく声を出した。
「そう、アペル家の方ともおっしゃっていた」
「…な、何か、話しを…したの?」
アリエルの声は、少しかすれていた。なぜか喉がからからに乾燥していて、舌の動きも滑らかではなかった。
「ええ、お子様のことばかり…こんな、愛おしいものはない、と、頬ずりを、何度もされていた……あなたは、その高司祭様のお子様なのですかな?」
アリエルは俯いた。
奥歯をぐっと噛み締めて、何かを堪えているように見えた。
「イオク様。アリエルには、深い事情があります。私が申し上げられる範囲でお話しいたしますことを、お許しください」
「はい、構いませぬ」
何となく察しはついているのだろうと、ロエーヌは思う。神職であれば尚更、アペル家の失墜の話を知らないわけがなかった。無論、なぜ失墜したのかも知っているだろう。
『贄の儀式』…で、『贄人』の少年が失踪したことで、儀式が催行できなかったゆえ《神王家》の座を剥奪されたこと。
その少年が、未だ見つかっていないこと。
ただ、見つかったからといって『贄の儀式』を執り行うことはない。『贄の儀式』は《神王家》の3家が持ち回りで9年ごとに行う儀式である。
その少年が消えて、もう1年以上が経つ。
9年の周期を乱すわけにはいかないので、次の周期まで…次の『贄の儀式』までを「贄なき時代」と呼び、神の恩恵がない時代とされた。
その重大さから、アペル家は《神王家》を落とされたわけである。
そして、もう《神王家》ではないアペル家には、それを執り行う資格もなくなった。
それでも『贄人』の捜索が続けられるのは、その責任を取るためではなく、彼は主神パナタトスの『火の刻印』をその身に受けた重要な“聖人”だからである。
“聖人”を民衆の“俗”と誹謗から保護するためである、というのが表向きだが、実際のところは分からない。
刻印を受け、既に神のものである彼に処罰を与えることはできないので、ただ幽閉し、精神を壊し、自害させる…のが目的だろうと言われる。
つまり、捕まればもう一生その幽閉された屋敷からは出られない。
「まず、アリエルは『旭光の蒼星眼』の持ち主ですが…アペル家の人間ではありません。
私の弟です!
たまたま、アペル家の…贄人と同じ眼を持って生まれましたが、その為に、あらぬ疑いの目を持たれ、落ち着かぬ日々を憂えてきました。
そこで、こうして、ここまで神の都より離れて参ったわけです。
誤解のないように願います…」
ロエーヌが毅然とした口調で話す。
「…そういう前提で、あなたがそのアリエルと似ているとおっしゃる御子とその親御様についてご存知のことを、我々の今後の知識、情報として知っておきたく、勝手ながらお話をお聞かせ願いたいと存じます!」
彼女は皿を床に置くと、片膝をつき、老準司祭に深々と頭を下げた。
イオク準司祭は、彼女に頭を上げるように促してから「お話は分かりましたので」と前置きし、ゆっくりと記憶を辿るように話し始めた。
それは、雪の朝だった。
雪は、しんしんと音もなく降り積もり、空の乳白色と同化させるように土の色を冷たい白で消しながら、一面の視界を漂白していった。
そんな静謐な白き早朝に、空気を裂くように烈しく、ダンダンダンッ、ダンダンッと強く戸を叩く音がした。
イオクが閂を引いて、扉を開くと、そこに1人の青年が立っていた。フードを深く被っていたが唇は死人のような紫色で、ガタガタと見て分かるほどはっきりと震えていた。
彼は片手に黄金の蝶の首飾りを掲げ、
「僕は…司祭外交官…特級、特命司祭の資格…を持つ…者、だ。ウラブレル村の御司祭殿…どうか、僕らに…ひと時の宿を…与えては…くれ、まいか」
と、戸を必死に叩いていた者と同じ者とは思えぬ、今にも昏倒しそうな弱々しさで頼んできた。
その首飾りは、確かに「司祭外交官特級」の資格を証明する品物だった。
青年は、何かを抱えていた。
それは、赤ん坊だった。
静かによく眠っており、程よく健康的な顔をしていた。青年の顔色の悪さとは、対照的だった。
「どうぞ」
イオクは、彼を早く中に入れてあげたい、と思った。
冷たい外気は、弱った身体を更に弱める。
暖炉の側の椅子に座るように、身体に手を添えて促す。
「ありがとう…」
若い司祭は、イオクよりも遥かに高位の司祭だ。司祭外交官特級…またの名を「特命司祭」は3年に一度の資格試験で1000人に1人の割合でしか受からない。この青年は5年前の試験で合格したと思われ、恐らく10代後半で取得している。恐ろしいほどの有能さだった。
だが、いま彼は、瀕死に近い状態と言わざるを得ない。イオクは触れた肩の薄さにぞっとした。老人とて、もう少し厚みがある。
こんな身体で、こんな雪の中を、赤ん坊を抱えて歩いてきたのか…。
「お名前を、頂戴しても宜しいですか」
イオクが問いかけると、彼は肩で息をしながら、しばらく黙っていたが、やがて意を決したように答えた。
「…僕は、エクトラス。アペル家の末端の者だ。アペルに…知る顔は多いが、彼らが…僕を、一族の者として、認めてくれるかは…微妙、だな」
彼は乾いた笑い声を語尾に添えたが、同時に激しく咳き込んで胸を抑えた。
「大丈夫ですか。横になられては?」
「気にされるな。僕は…息子を、寝かしてからでなければ…眠ることは、できない」
赤ん坊は、いつの間にか起きていた。
あまりにも静かだったので、まだ寝ていると思っていたが…目をぱっちりと開けて、不思議そうに準司祭の顔を見つめていた。
「…レミ。僕のかわいいレミ。いい子だね…」
父親が優しく話しかけると、
赤ん坊はキャッ、キャッ、キャッと、小さな体を揺すって…。
実に愛らしく、明るい天使のような声で、笑った。
