アタール・プリジオス博士の 『占星天文学論』に関わる自伝 【4.事例解析・前】

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【4.事例解析・前】
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己への批判は覚悟していた。
それに新たな理論への疑義が出るのは仕方が無いことである。
然し、それが自分だけへの批判であるのなら我慢のしようもあるが、家族へ当る風になるのはこんなにもかと思う程辛かった。
「私達は、大丈夫ですよ。私もルーもアリエルも、貴方を尊敬しておりますし、信じております。気にせず、貴方は貴方の研究を進めて下さい」
私はつくづく運が良い。
家族にも恵まれた。妻には感謝以外無かった。
「…分かっている。私への非難は私だけのものだが、私の功績は、全てお前達のものだ。そう、私はお前達の為ならば何も恐れはしない。ただお前達が苦しみを得ることに関しては何よりも恐れを抱いている…本当に大丈夫なのか? リー、何も隠してはいないだろうな?」
「勿論です。私も科学者の娘ですし、兄とて科学者の端くれですからね。そして、その私が最も尊敬している科学者は貴方です。私が選んだ方ですもの、父も兄も貴方の足下にも及びませんわ。そんな貴方が築き上げた努力の結晶とも言うべき理論を批判するなんて、なんて厚顔無恥で烏滸がましい奴等でしょう。気に入らないなら、貴方と同等に渡り合える程の完璧な理論を構築し、それを持って正面から挑んでくるべきでしょうに!」
妻は世間に怒っている。
私の考えを、批判する声は日に日に高まってきていた。科学的な異論も有るには有るのだが、やはり宗教的観点からの非難が圧倒的に多かった。
星の動きで未来を知り、それを上手く読み当てて動くことで幸運を掴めるだなんて有り得ない。
幻想に取り憑かれた異常者の妄想だ。科学でも無いし、国教の神学の真理にも反する。未来は神のみぞ知る神聖不可侵の領域だ。
よもやお前は“神”と成ったつもりか?
なんと不遜極まり無い驕りと慢心を抱いたものか。
何が『天才』だ。お前はただの狂った異端…神に抗う不届きな下賤の悪魔だ。反教徒め!
お前には、いずれ神により重い天罰が降されよう!
彼女の兄の真摯な引き止めにも応じず、発表を強行した結果、それ言わぬことかと案の定逆風を受けてしまった。その時機を見ない愚かな行動をした私を非難することもなく、妻は味方でいてくれる。信じてくれている。
「アタール。批判などに負ける貴方では無いことくらい私は存じております。第一、貴方が何も考えずにただ急いだなんて考えられません。深い理由がお有りなのでしょう?」
私は黙ったまま、強く目を閉じて俯いた。
「何か隠しているのは、貴方ではありませんか? 勿論、私はそれを問い詰めたりはしませんよ。貴方が頭脳明晰である以上に純粋で不器用な方であることも、私は存じておりますからね」
リーザラは微笑んで、そっと私の頬に口付けた。
私はやはり何も言えず、彼女の優しさに応える気概も無く、ただその美しい光を湛えた瞳を、じっと見つめ返すことしか出来なかった。
*
その男が、私の元を訪ねて来たのは、そんな波風がほんの少しだけ収束し始めていた夏至の25日程前のことだった。
顔を隠すように、男は灰色のマントのフードを目深に被ってやって来た。
目立ちたく無いので、新月の日の真夜中に1人で来るので、裏の戸を開けておいて欲しいという。
私は妻子が寝静まった深夜、独り眠らぬまま裏口からその男の訪問を受け入れた。
「…プリジオス博士、であられますか?」
「そうだ。私はアタール・プリジオスだ」
「お話を聞かせていただきたく、参上しました」
「…手紙の方だな。何が訊きたい」
「無論、『占星天文学論』についてです。私は、自分の未来を知りたい」
「成程。構わない、中に入るといい」
私は彼を、自分の書斎に招じ入れた。学者にしては然程では無いと思うのだが、本棚に並べた多くの本の数に目を丸くしているような素振りが見えた。私は彼に椅子を勧め、机を挟んで向かい合って腰を下ろした。
フードをゆっくりと脱いで現れた顔は、黒髪に栗色の瞳の端正な造作で、まだ青年の面持ちだった。
名も書かず、先達て私に差し支えなければ会いたいと丁寧な手紙を寄越してきた。
「それでは、どんな未来を知りたいのかをまず聞かせてくれ。あとは生年月日を教えて欲しい」
「分かりました…」
男は呟き、唾を飲み込んでから、意を決したように言った。
「私は、年内に死ぬでしょうか?」
「…え?」
何故、そのようなことを訊きたいのか。
思ってもみない問いに、私はややたじろいだが、それを言葉にはしなかった。こうして潜んでくる者に秘密が無い筈もない。それを問い正すのは野暮というもの。本人が自ら口を割るまでは、安易に知ろうなどと思ってはならない。
男は話を続けた。
「私は死そのものを恐れている訳では無いのです。私には妻子がいます。私は愛する家族と永訣せねばならぬことがどうしても辛く…出来れば、その死を避けたいのですが…それがどうなるのかを教えて欲しいのです」
「…承知した。では、生年月日を教えていただこう。それが基準となる。名前は必要無い」
「はい。…神天星暦2436年、4月15日です」
「それが基本になる。それが違っていたら、未来予測は出来ないと思ってもらいたい」
「ええ、間違いないですよ」
男は寂しげに微笑んだ。少し震えて見えた。自分が望む未来で無いことも覚悟して来たのだろう。
「では、検証に入らせていただく。暫し待たれよ」
「お願いします」
男は謙虚に頭を下げたが、決して身分の低い者では無い。佇まいから察するに神職に携わる高い地位に居る。それを明かさないのは、私を批判している大概の人間が神職の者だと言うこともあろうが、もっと重大な事実を秘めているように見えた。
私は星図と天球儀を置いた机上で、膨大な観察記録の事例と星と星の関係性や動きを注意深く照らし合わせ、男の未来を予測した。
「……成程、死と関わる相域に、貴方の生年月日における象徴星の南王星が差し掛かっている。年内にその相域に到達する。つまり、死の可能性は高いだろう。
だが、それを回避する方法も無い訳ではない。次の満月…血の満月、とも呼ばれ、大きく見える赤い満月の日に、南東に位置する青い巨星、学術的には“神狼星”と呼ばれる星だが、これに『生きたい』と強く祈りを捧げることで、貴方の死は回避出来るはずだ。
だが、別の貴方と繋がりの深い誰かが貴方の身代わりとなるだろう。それを避ける方法はあるが、その人物は特定出来ない。貴方が死なれたく無い者を厳正に限定し、その方法を与えられれば、救える可能性はあるかもしれないが…。
全ての事がそうであるように、これらは絶対では無い、ということも覚えておいて欲しい」
私はそう解答した。
彼の生まれた日の星々の位置、それらの半分以上が、現在から冬至の前までに北の天頂近くに到達するが、これは収集した天体記録と大小の事例との照合から見て、彼が何者かから“死”を強制される相である。つまり“強制を免れる”ことが出来れば、“死”を遠ざける可能性も有る。というのも、彼が年内と限定していることから、彼の星々の半分以上は“死”を示唆しているものの、残りの数星は年内にはその相域に到達しない。そして、全ての星がその相域に居座ることは無く、最後の星が到達したときには最初に到達した星や、象徴星の南王星がその相域から脱している為、必ずしも“死”が約束されている訳でも無い。ただ可能性は非常に高い故、神狼星という“生”を象徴する星に、祈りを捧げるという行為が有効であり、それが叶い易いのが満月の日、特に生死に関わる事例が多数あった『血の満月』の赤い満月の日が良いと考えられる。“大きく見える”ことも重要で、それは月の位置が通常より若干近くなっている為であり、願いなども届き易い、ということのようなのだ。
「血の満月は…15日後ですね。仰る通りに試してみます」
「身代わりを回避したい人がいるなら、その人の分も、祈りを。その人を説得できるなら、一緒に行うと良い…この検証を信じて貰えるならば」
「信じます。博士の論文は読ませていただきました。非常に精緻に調査研究されておられ、疑いを抱く余地が全く有りませんでした。無論、博士が仰います通り、全ての物事は絶対では有り得ないことも存じております。つまり…これは、私の心の内での賭けです。博士に一切の責任を問うつもりは有りません。それを信じる自由は私に有り、信じるとしたのは、私なのですから。
それにしても、死を回避出来る可能性も有ると言って下さったのを聞いただけで、僅かながら気が楽になりました。ずっと憂鬱で神への祈りの最中でも心有らずで…やりますとも。例え無駄になったとしても、やらないで死に至るよりは良いでしょう。それこそ悔いは無い、やっても駄目だったかと…諦めもつく事でしょう」
膝の上でぐっと両の拳を握り締めて、私の解析を聞いていた若い男は、そこで漸く大きく息を吐き出して、痩せ細った青白い顔を綻ばせた。
「然し、思っていたよりずっとお若いですね。本当に博士なのだろうかと戸惑いましたよ」
「…若見えするとはよく言われる。もう40に近いのだけれども」
「そうなのですか? 40歳前という実際のお年も研究されてきた数々の実績から思えば、驚天のお若さと思いますが、こうして直にお会いして見たご容貌は尚お若く感じます。私と変わらぬのではないかと思う程です」
「…貴方が戸惑ってしまったように、見た目で侮られることも多い。老け顔からの嫉妬も買う。要するに年齢に見合わない幼い見た目など、良いこととは言えないのが現実だ」
「確かにそうかもしれないですね…ですが、今はそうであっても、お年を召したときには若い見た目は自慢になると思いますが」
「どうだろう。私は、そこまで長生きはしないと思う」
私は彼から少し視線を逸らした。微かに心臓に軋みを覚えた。不穏な拍が体内に響く。
「これは心ばかりではありますが、今回の御礼です」
彼はそう言って、携えて来た荷物の口紐を解いて、中から何かつるりと光る物体を取り出した。
「礼など不要だ。貴方の願いが叶ってからならまだしも、私は未だ貴方への功績は何もない。受け取ることは出来ない」
「そう仰らないで下さい。これは相談料です。もし願いが叶いましたら、もっと良い御礼の品をお持ちしますので」
「解析は私の実に成ることだ。貴方に一方的に提示して、満足させる為のものでは無い」
「はは。噂通り頑迷な方だ。でも、私はそんな博士が好きになりました。これは、置いていきます。御礼として受け取られるのがお嫌でしたら、暫くお預かり下さい。願いが通じましたら、年明けにでも取りに伺いますので…もし、取りに来ないようでしたら、お好きなように。売り払ってしまっても構いません。それなりの値段はつくと思いますよ」
若者は微笑み、それを私の机に載せた。
それは、拳大ほどの『水晶玉』だった。
よく研磨されていて美しく、この朴念仁の眼にすら深く染み入り、瞬時に心が洗われた。
「それでは。プリジオス博士、またお会い出来ると良いですね…有難うございました」
灰色のマントを正して、フードを慎重に被り直した彼は、来たときと同じように密やかに裏口から出て行った。
その身代わりのように机の上に置かれた『水晶玉』。
これは、彼にとって大切な物ではなかったのか?
何故、今日ここに持って来たのだ?
その夜、私は彼に示した解析内容よりも、そのことがずっと気になって仕方が無かった。
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「とうさま、ぼくね。おえかきがだいすきなんだ。だからね、とうさまとかあさまのおかおもかいてあげる! あ、あと、ねえさまも!」
「そうか」
「うん!」
息子も一人前になってきた。
私はリーザラと顔を見合わせて、にっこりと笑う彼女の微笑みとは、大分格差の有る水に滲んだ染みが歪んでやっと微笑みに見えるような微笑みを、何とか浮かべた。
妻はそれでも私が笑っていると認識してくれるが、アリエルは少しつまらなそうに私を見た後でリーザラの近くに寄っていく。
「とうさまは、おかおをかかれるの、ほんとはイヤなのかな、かかないほうがいいのかな?」
などと、母親に訊いている。
「あら。アリエル、とうさまはあんなによろこんでいるじゃないですか。わかりませんか?」
「えーっ、だって、ぜんぜんうれしそうにみえないじゃん」
「嬉しいと思ってますよ、ねえ? 貴方」
「ああ、嬉しいぞ」
「そうなの?」
「そうだ、本当だ。私の顔を描いてくれ、アリエル…私が確かに此処に居たことが皆に伝わるように、な」
「わかった! かいてほしいんだね! かいてあげる!」
アリエルは張り切って、声を上げる。紙や筆などの画材を取って来るらしく、駆け足で私の部屋を出て行った。
「…アタール? 貴方、大丈夫ですか。顔色があまり宜しくないですよ」
その後ろ姿を見送った後、部屋に留まっていた妻が心配そうに訊ねた。
「…大丈夫だ。疲れているだけだ」
私は答えたが、どうやら妻を信用させることが出来なかったようだ。リーザラは、私を直視しながら、彼女にしては少し固い口調で言った。
「貴方。申し上げておきますが、私にとって子ども達は宝物です。それは、貴方とて同じでしょう。
ですが、私にとって“最も大切な宝物”は他に有ります。何だと思われますか? ご存じなのですか?」
妻にとって、子ども達より大切な宝物…。
…そんなものが有るのか?
“最も大切な宝物”、とは?
考えても、出て来なくて、私は項垂れた。
私は妻の幸せを願いながら、その“最も大切な宝物”の存在について全く見当が付かなかった。
それは、子ども達なのだと勝手に思っていた。
だから…私は、妻が何の不安も無く、平穏な心と健やかな体を保ち、子を生み、育てていける…ただそんな家庭を作ってやりたくて、その一助となればと、この研究を続けてきたのだ。
何も、分かっていなかった。
私は…。
「分からない。私はお前の夫たる資格が、無い」
「貴方です」
「……何、が?」
「私の“最も大切な宝物”です。それは、アタール・プリジオス。私の最愛の夫。つまり、貴方のことです」
「…リー、ザラ…」
私は顔を上げ、目を見開いたまま、動けなくなっていた。
「だって、そうじゃありませんか。貴方以上に私のことを心配し、その為に一生懸命に考え抜き、それでも事足りぬとあらば、己れを責め、最善を目指して尚悩み続けて下さる方が他にいますか? 私の心は、貴方に何度も救われました。愛していただきました。子ども達の存在は確かに私の心を満たしてくれます。潤してくれます。ですが、彼等は血の繋がった者達です、お互いに宝物であることは寧ろ当然ではありませんか。
貴方は私にとって特別な方。血の繋がりなど一切無いのに、私を大事にして下さる…かけがえの無い存在…単に普通に“夫”というだけでは足りません。だから、“最も大切な宝物”なのです。ええ、それでもまだ足りないかもしれません…その貴方が、お悩みなのを、私とて助けて差し上げたいのです」
何も言葉にならなかった。
ただ…
ただ…
…嬉しくてならず。
「アリエル。ちゃんと、上手に描いて差し上げるのですよ。父様がそこにいらっしゃると思うくらいそっくりにね。母様の大切な方なのですからね、父様は」
戻って来た息子に、妻はにこやかに厳命した。
息子は、それに当たり前だとばかりに元気良く「うん!」と頷いていた。
(続く)
