僕は君になりたい。 第40話「十六夜 僕は『僕の声』を残したい」
#40
アルバムの売れ行きは上々だった。
「おい! 飛び抜けてんだけど! 琉唯にゃんの『満月』のクオリティー! 本当に…本当に! 歌ってるの…お前?」
「そうだよ!」
「あ、…あなどってた、まだ。オレはお前をあなどってた!」
今日、何回目だよ。
その質問。
その感想。
そんなに、飛び抜けてる?
そんなに、意外?
「うわー、超感動した! オレはお前の歌に酔わされた!」
疲れた。
高柳とのやりとりに、僕はまた息を吐く。
そうかと思えば、高柳は鼻をすすって、涙ぐんだ目で僕を見つめ、僕の肩に触れた。
「な、なんだよ…」
僕が戸惑っていると、彼は泣きながら、
「スゲェな…お前って、ほんとスゲェよ。オレはお前の努力の日々、汗と血と涙の数を思ってたら…なんかさー、もう涙が止まらなくなっちゃって」
「…って、アホか!」
「え? アホかとは、何だよ! ああ、照れ隠しか…お前、ほめられるの苦手だもんな」
僕はそれ以上何か言うのをあきらめた。
こういうとき、彼は何を言ってもニコニコするだけで、僕の言葉なんか聞いてくれない。ただ子を見守る親のように、うんうんと微笑みながら、うなづき続ける。非常にムカつくが、こうなったらまともな会話はもう無理だ。
やがて、やや落ち着くと、こんなことを訊いてきた。
「学年末テスト、勉強してるか? さすがに最近忙しかったから、あんまり出来てないんじゃねーの?」
僕は、答える。
「ああ…でも、範囲狭いし、何とかやれたよ」
「範囲狭い? 何言ってんだ、お前。大して変わんねーだろ、いつもと!」
「そう?」
「あぁーやだ。そういうさりげなく『できてます』みたいなの! イヤミだろー」
「え? 意味分かんないんだけど…」
大きな長いため息が、彼の口から漏れる。
「…もういいよ」
どうやら、向こうもあきらめたようだ。
僕も追求はしない。
僕は彼に勉強に対するモチベーションで勝ったのだと思う。思うが、べつに勝ち誇ったりしない。
きっと彼の中では、彼が「普通の人」で、僕が「異常な人」だからだ。この場合、勝者は「普通の人」であり、彼も僕に負けたとは思っていない。
そういう考えなのだ。
それはそれで間違っているわけではない。
噛み合っていないだけだ。
前は、それを面倒くさいと思っていた。
でも、今は面白いと思うようになった。
むしろ、噛み合わないから楽しい。
違う意見に張り合うのが楽しい。
納得したり、納得させたり、頭を使った心理ゲームだと思えばいいのだ。
自分の意見が通れば爽快だし、通らなくても、今度はこうしてやろうという気持ちで相手と関わり続けたくなる。
思うに、こんな考えのやつもいるんだな、と世界が広がるのが1番の楽しみだ。
「流伊」
「なんだよ」
「…オレ、やっぱさ。お前のこと、好きだわ」
また変なことを言っている。
「…なにそれ、告白?」
「…かもしれない。うーん、なんだろう。言わずにはいられないっていうか…ほかの男に取られたくないっていうか」
「オレ、お前の女じゃねーけど」
「そうだけど…分からんかな、お前、だって、琉唯にゃんでもあるし…いや、そういうことじゃなくて、友だちとしてだな!」
何だか顔が赤い。考えがまだ煮詰まっていないのだろう。生煮えなのだろう。うまく言えないもどかしさでいっぱいなのだろう。
そんな高柳に、僕は小悪魔の笑顔でささやく。
「あのな。じゃ、オレも言う。オレも、好きだよ。お前のこと…あははっ!」
「おい!」
僕は彼より少し先に、初春のまだ冷たい空気の残る夕暮れの道を影を長くして走った。
空のオレンジ色と夜の暗さをはらんだ雲が、そんな僕をちょっとだけ追いかけてきていた。
☆
朝、起きると声が出にくかった。
乾燥した空気のせいで、のどをやられたかなと思って、洗面台でうがいをした後、発声してみた。
「あー、あー」
と言ったつもりだったが、姉が横を通るとき、不審な眼差しで僕を見た。
「なに、あんた、ガーガー言ってんの?」
「…ガーガーなんて、言ってない」
姉は眉間に皺を寄せ、少し考えたように首を傾げると、台所にいる母のところに行って、何か言っている。
「…流伊、あんた、もしかして…声変わりが始まったんじゃない?」
母が姉と戻ってきて、僕に言った。
『声変わり』。
今、僕が聞きたくないワード、第1位。
「…風邪で、のどやられてるんだよ!」
そう言った声が、少しかすれた。
ヤバい…まさかマジか?
「岸本先生に診てもらいなさい」
母はそう言って、僕に保険証を渡した。
風邪であれば、風邪薬を出してもらえばいい。もしそうでないならば…事務所と相談になる。
僕はとぼとぼと近所の内科医院に歩いて行った。
「おや、流伊ちゃん。今日は、どうしたの?」
おじいちゃん先生、岸本先生が幼児をあやすように訊く。いくら僕が赤ちゃんのときから通っているからといって、未だにそれは無いだろうと思う。僕はもうすぐ中学3年生だ。
見た目がまだガキってことなのかな…。
「のどが、痛いっていうか…声が、かすれて」
「ほうほう。じゃ診せてごらん。アーン、して」
アーンっ…て、先生!
にこにこする先生の無邪気な瞳に僕は抗えず、口をアーンと大きく開けた。
「うんうん。ちょっとだけ腫れてるね…炎症を抑える薬出しておこうね」
「…あの、風邪でしょうか?」
僕はすかさず確認する。
先生は、ちょっとだけきょとんとする。
「流伊ちゃん? 大丈夫、軽い風邪だよ。感染症とかじゃないよ」
「あ、そうですか…」
「…どうかしたのかな? 何か気になる?」
「いえ…こ、『声変わり』かな、って母に言われて」
「ああ、そうなの。風邪が引き金になることもあるからね。でも、今のところは、風邪だとしか、僕には言えないねぇ」
「そうですか。それなら、それでいいんです」
僕は、ホッと胸を撫で下ろす。
良かった。
とりあえず、アルバム発売イベント中は何とかなるかもしれない。
「そうかぁ…流伊ちゃんも、もうそういう年なんだねぇ。全然変わらず、かわいらしいから、忘れちゃってたよ」
「ははは…」
僕の笑いは、引きつっていたに違いない。
町医者のナマの声でそう言われると、やはりマジでそうなんだなと改めて、自分の成長のノロさを感じる。
オレ、大人になれるのかなって…思う。
「でも、流伊ちゃんはね、うちの隣りに住んでる山本さんとこの…えーと、ユウヤちゃんだったっけな? 確か流伊ちゃんと同じ中学2年生だったと思うけど…ユウヤちゃんより、ずっと大人っぽいよ。声は彼のほうが低いけどね。
僕はね、声変わりがまだだとか全然気にすることないと思うな。声なんか、生きてれば自然に変わるけど、大人っぽさって、そういうものじゃないと思う。流伊ちゃんの生き様そのものだよ…大丈夫。いい大人の顔になってきたよ。うんうん。かわいい大人の顔だけどねぇ」
先生は、僕の目をじっと見つめて微笑む。優しい目だった。
「ありがとうございます…」
「あ、璃音ちゃんは、元気?」
「姉ですか。元気です、医大に通ってます。ご存知ですか? 先生にあこがれてるそうです」
「へえー。僕なんかを? 光栄だなぁ!」
先生は、とてもうれしそうに破顔した。
☆
木曜日。
作曲家の花岡先生から自宅に電話連絡があった。
なんでも、すぐに事務所に来てほしいと言う。
夕方、シフトで仕事が休みだった父の車に乗って、事務所の裏口から中に入った。
父も同行でと言われ、エレベーターで3階まで上がる。
「琉唯くん。すまないね」
先生は微笑すると、父に会釈した。
父も初対面の先生に深々と頭を下げた。
「…お父さんですね、お忙しいところ急に申し訳ありません」
「いえ、息子が大変お世話になっているようで。私のほうこそご挨拶もせず失礼しておりました」
「いやいや、とんでもない。それより、今日は…お話がありまして」
「はい、何か…」
先生は、1枚の紙を父と僕に見せた。
「蝶貝社長には、了承を得ています。実は僕の作った楽曲と琉唯くんとで、CM依頼がありましてね…」
「…『満月』ですか?」
僕が訊ねると、先生は言った。
「うーん、きっかけはそうなんだけど…新曲を頼まれてねぇ…まあ、いわゆるCMソングってやつなんだよ」
「何の、CMですか?」
「洗顔料だよ。ハクチョウ製薬の」
「洗顔…」
「うん。ハクチョウ製薬の白鳥会長が君の歌声に感激して、それで絶対に君がいい!って話なんだ。もちろん、洗顔料だから、もし出演となると顔がアップになる。それが毎日何度となく放送されることになる…条件をつけるなら早い方がいいと思う。よく考えて決めてほしい」
「社長は、了承してるんですよね…?」
「ああ。でも、君とご両親の意見を尊重すると言っている。あと、モーメントさんのね」
「…そうですか」
最近、社長と直に会っていない気がする。
伝え聞くことが増えた。
「今すぐの返事じゃなくていいさ」
僕はうなずき、べつの気になっていたことを訊ねた。
「あの。楽曲って、もう出来てるんですか?」
「ああ。サビは、出来てるよ」
「聞かせてもらうことは、できますか?」
「いいとも」
僕らはピアノのある部屋に移った。
先生はフタを開けて、白い鍵盤を指を慣らすように軽くなでてから、イスに座った。
「製品名は『シャインデュー』。…じゃ、行くよ!」
軽やかなメロディーだ。
さわやかな風に揺れる
澄んだ朝露
シャインデュー
みずみずしい君の肌
シャインデュー
雨上がりの虹のように
この心ときめかす
先生が弾き語る。
相変わらず、いい声だった。
僕の心も。
ときめいた。
歌いたいな、と思った。
CMならば…きっと今の僕の歌声を記憶に留めてくれる人も多いのではないか、と思った。
そして、僕は気づく。
今、自分は「残したい」と思っている、と。
…懸命に努力して作り上げた、この声を。
いずれ、こののどから消えてしまう…この声を。
少しでも多く、音声記録として残しておきたい…。
「じゃ、返事待ってるからね」
僕が自分の“声”への思いをグッと込めてくちびるを噛んだとき、先生はそう言って柔らかな笑みを浮かべた。
