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アタール・プリジオス博士の 『占星天文学論』に関わる自伝 【3.研究成果】


【3.研究成果】



 *



その年は、“贄の年”だった。

9年に一度、神王を輩出することを認められた3つの家《神王家》の1家より、神に命を捧げる成年男子を選出し、“贄人”とする儀式だ。

無駄なことをしていると思う。
命は尊いものだ。
それを全うするでもなく、一方的に悲壮な使命を帯びた犠牲者を捧げられる神は、さぞご立腹であろうと私などは思うのだが、それを止めよと何者かに告知しない時点で、私はこの信教の“神”の存在を“人の思念で成り立つ存在である”にせよ訝しむのだ。それはその信教が「贄は無駄死に」と解らせない思想の“神”だからである。

所詮は、権力争いの延長線上にある祭祀だと言わざるを得ぬのだが、世のパナーゼ語圏の人間にとっては、神聖極まりない儀式の最上位に位置づけられるもので、これを否定しようものなら、猛烈な非難を浴びることは決定事項であり、己れの命にも関わるだろう。

今年の“贄人”に選ばれるのは、一体誰であろう。
やはり、この年ばかりはそれが最も熱い話題となる。儀式が行われるのは、年末の最も日没が早い日、要するに“冬至”と決まっていた。そして贄人が神王より世間に公表されるのは、年の半ば、日没が最も遅い日…“夏至”とされるのだが、話題はもう年初から少しずつ推測の域より巷に発し、予想が付けられていた。

「今年はどこの家だったか。前回はシャントだったから、アペルの家か?」

「そうだな。当主の次弟の三男坊が有力らしい。若い方が良しとされる傾向がある。次男坊はもう35歳にもなるらしいから、まだ27歳である末の三男坊だろうな」

「そうだな。長男坊は養子として、当主の後継に指名されているから無理だろうし、若さと当主の血縁で近いほうが良いとなれば、三男坊が有力なのは当然の見方だよな」

などと、噂は絶え間無く巷間を鳴らす。
このような時期に、私は己れの収集した資料の取り纏めを行っていた。宗教色が色濃い空気の中だと、科学的な根拠を基にした学論は、一般的に認知されづらいという傾向があった。どちらかと言えば、文化的な研究論の方が盛り上がり易い。

故に私の研究もまた、その例に漏れず、すぐに拡散されることは無いとの覚悟の下、それでも1日も早くまずは一つの結論を出しておきたいという願望が念頭から離れず、謂わば待ち切れなくなり、発表の段取りを組んだ。

「急ぎ過ぎではないか? お前の研究論文は完璧だと俺も思うが、今少し待つべきだ。時期が悪い。お前だって星の動きを見て、そう確認しているはずなのではないか?」

ラムート・ファビルスが、私に助言した。
友人の言葉はいつも的確だった。私はそれを否定しない。確かに、発表は時期尚早であると星の動きからも見て取れた。“贄の年”の風潮もあり、あまり適した時期ではなかった。

「分かっている。だが、私は待っておれぬのだ」

私は答えた。然し、友人は煮え切らない思いを更に強くしたようだった。

「何をそれ程急いでいる? 次の論文の準備をして、同時期に発表した方が世に強い影響を与えられ浸透し易い。ほんの少しの辛抱だろうが」

「分かっている、と言っている。だが私は早く発したい。早く言いたくて我慢ならぬのだ」

私はそれでも譲らなかった。
論文自体は、既に昨年の暮れまでに書き終えていた。それをラムートに読んで貰ってもいた。

「画期的な学論だ。だがな、旧い伝統重視の風潮が強まる、この儀式の年だけは避けたほうが良い。反発を喰らうぞ。そうなったら、お前が心血を注いで創り上げたこの珠玉のような学論も、時代の闇の奥に埋もれてしまうかもしれないのだぞ? この学論は何年待とうが古びることは無い。誰も辿り着けない形にまで、お前はこの学問を完璧に練り上げ、応用領域へもあと一歩と迫っている。お前より先にこの学論を発表できる者など、この世には存在しない。一読したこの俺でも、これを自らの言葉で発表しようという自信は全く無いのだ。そのくらい質が高い。…要するにだ! これはお前にしか創造・到達出来ない学問だ。追随出来る者などいない。そのくらい先を行っている! だから、せめて、今年は…今年だけは、やめておけ。新しい学問を普及させるには適していない。せめて、次の年明けにしたほうがいい!」

私の為に熱弁を振るってくれる友人に、私は「有難う」と返した。

だが…時間が無かった。

「ファビルス。これから言うことは、リーザラには絶対に口外しないでくれ」


「……何だ?」


私は一瞬だけ息を止め、大きく吐き出した。


「私の命は、あと何年も持たない」


「何だと?」


ラムートは目を見開き、妻とよく似た顔を歪めた。


「長くて、あと5年…持てば良いだろう」

「それは、星読みでの解析か?」

「それもある。ただ、自分でも感じている。胸に違和感がある…恐らく心臓と関係している」


彼は一旦口を閉じたが、私が沈黙すると、いつもは伸びやかに張っている声を小さく震えさせ、上目遣いに私を見つめて言った。


「だから、急いでいるのか?」


私は頷く。良い機会だ、彼には伝えておきたいとかねがね思っていた。私には親類がいないのだ。私は長子であるが、弟妹たちは皆10歳になる前に流行病で息を引き取っていた。既に両親も他界している。プリジオス家は短命が多かった。マランやフィストの死は、私の血筋ゆえだとも言えなくは無かった。
それ故に、私の亡き後の、妻と子等のことを彼に頼んでおきたかったのだ。


「そういうことだ。悪いが私の死後は、リーザラと子ども達のことを気に掛けてくれると助かる」


私は頭を下げて、彼に自分の思いを伝えた。


「それは、構わない。任せておけ。だがな、それでも俺は…お前の発表を止めるからな。あれが日の目を見ないなんて勿体無いも過ぎる! 況して、非難の対象になるなど、それこそ我慢ならんからな!」


私は心から、良い友に恵まれたと感謝した。

だが、私の心は変わらなかった。



「ならば、今すぐ私を殺せ。それ以外、私を止める方法は無い」



斯くして、ラムートの懸命な阻止の言葉があったにも関わらず、私は論文を提出するに至る。
不測の事態に備えて完璧な写本を3冊編み、1冊は親愛なる友人へ預け、残りの2冊のうち1冊は自分の控えとして手元に所持し、あとの1冊は予備として書庫に保管した。

冬が去り、春の日差しが窓から差し込んで来る。
私は目を細めて、冬の枯れ枝にようやく芽吹き出した黄緑色の若い葉が光を浴びる様を見つめた。
その一群の枝は、昨年の暮れ近く、アリエルが投げ縄をして遊んでいた枝々である。私はそれを思い出し、僅か数ヶ月前の出来事であるのに、懐かしく感じていた。

「アタール。ルーが、貴方に訊きたいことがあるそうですよ」

「…ルーセラが?  珍しいな」

母親の背に隠れるようにして、はにかんだ桃色の頬をした娘が、ちょこんと顔を覗かせて、父親の様子を窺っていた。
この子も、もう12歳だ。女性らしさが少し芽生え始めている。色白な肌に切長の大きな瞳。親の贔屓目かもしれないが、若葉のように初々しく美しかった。

「何だ? 何を訊きたい?」

然し、近頃はルーセラとは会話を余りしていなかった。娘は日中は学校に通い、私は大学の研究室で教鞭を取りつつ、天文学者の常で夜間学内に泊まり込むことも多い。自宅では寝るか、昨今は書斎に立て籠って、学論を執筆、推敲したりすることが殆どで顔を合わせる機会も以前より減っていた。
それが、久しぶりの娘からの指名である。何を訊かれるのか、少々緊張していると、ルーセラは母に背中を押され、私の前に出て言った。


「今のお仕事、終わったら…私にも、教えて貰っていい?」

「…ん? 何を、教えて欲しい?」

「お星様のこと。…天文学、父様の」

「星のことが知りたいのか?」


娘は大きく頷いて、大きな瞳を潤ませた。


「そう。何で、お星様は昼間は見えないのに、夜になると現れて、きらきら光って見えるの? それに、そもそもどうしてお空にはお星様があるのかとか…色んなこと知りたいの」

そんなことを考えるようになったのだなと私は娘の成長を思い、感慨深い気持ちになった。しかも、妻の差し金もあるのだろうが、天文学に関してである。嬉しくない筈が無かった。

「いいとも。いつでも訊きに来るといい…ルー、私の知っていることなら、何でも教える。いや全て教えるぞ」

「うん」

娘は微笑んだ。はしゃがずに静かに笑う。でも、喜んでくれているのは私には十分に伝わっていた。こういうところの性格は、妻ではなく私に似ているように思えた。大人しいけれども、決して感情が薄い訳ではないのだ。むしろ、心の内は目に見えて騒ぐ者よりも、ずっと濃く染みるように深い。


「まあ、私は久々に貴方の笑顔が見られて、安心しましたわ」

リーザラが傍らで見守りながら、私に言った。

「…私は、笑っていたか?」

「はい。私には分かるのですよ、妻ですからね」


娘はひとまず部屋を出て行ったが、リーザラは残っていた。
腰掛けている私をじっと見つめて、ゆっくりと歩み寄って来た。何か言うのだろうかと待っていたが、妻は何も言わず、ただ私の右肩にそっと手を添え、もう片方の手で私の顎に触れ、優しく下から上に撫で上げる。そして、空気を吸うよりも自然に彼女は私に口付けた。

「…お疲れ様でした、これで少しは私に構って下さるのかしら?」

彼女の唇からニャスム紅茶の香りが微かに漂う。私はその香りを忘れたく無いと思った。
心が和むようで有りながら、誘っている罠のような香り、それに嵌ってしまいたいと思った。

論文を提出したことで、ひと段落したのは確かだった。妻はそのことを言っているのだろう。

「そうだな…でも、今回よりは急がぬが、次の論文の準備もしなくてはならないと思っている。今回のものの補助的なものにはなるが、より深い理解を得られる内容のものにしたい」

「そうですか。貴方は、学問を妻としたほうが、幸せのようですね」

「リー、それは本末転倒というものだ。私の学問は…」


「敬愛なる、アタール・プリジオス博士」


私は、自分の言葉を遮られ、ただ妻の言葉を待つしか無かった。


「…貴方は、私の誇り。世界で最も優れた学者ですわ。そして、私は、その妻なのです!」


私は遂に何も言う事が出来ないまま、ただ妻のいつより長い抱擁と愛撫に身を任せた。


 *


「ねえねえ!」

アリエルが外から帰ってきた。近所の子ども等と遊んできたようで、少し息を弾ませていた。
扉をばたんと閉じると、アリエルは正面から母の腰に腕を回し抱き縋った。
その表情は、暗い訳では無かったが、どこか不安そう見えた。いつもより声の調子も低い。

「どうしたの? アリエル」

リーザラが目線を息子に合わせて屈むと、アリエルは母の身体から少しだけ離れて、じっと彼女を見つめて言った。


「あのさ、『けんきゅうせいか』ってなに?」

「…研究成果? そうね、沢山調べて分かったことから、何かが出来るようになることかしらね」

妻が説明すると、アリエルは「ふーん」と分かったような分からないような顔をして、首を傾げる。

「そうなんだ。じゃさ、ぼくは『けんきゅうせいか』なの?」

「え?」

「…いわれたんだ、マルストンのおとうさんから。“きみは、はかせの『けんきゅうせいか』だね”って。なんか、わらっていわれたんだけどさ、よくわかんなかった」


私は、持っていた5冊ほどの書物をばさばさと全部床に落とした。書庫の奥の方を漁って、ようやく出してきた埃まみれの分厚い本の束は、焚書したときのような煙たい埃を立ち上らせ、部屋の空気を汚した。

妻は私を振り返った。
そして、青ざめた夫の顔を確認すると、すぐに立ち上がって私の方に近づき、支えるように寄り添ってくれた。実際私は立っているのがやっとくらいの衝撃を受けていた。


「アタール、貴方の研究は何も間違ってなどおりません! そのような卑猥な冷かしをしてくる者こそ、低能で下劣なのです。貴方の研究の真実を何も知らぬ連中です。気にする必要はありません」


私の論文とその講評が、大学の研究誌に掲載された。それからまだ3日程しか経っていない。それなのに、もうこのような民間に話が広がっていることに何者かの悪意を感じた。アリエルの幼馴染みの父親は紙工場の工員である。言っては悪いが彼のような学歴軽視の労働者が王立大学の研究誌の一学論の内容などをいち早く読む訳が無いし、またそのような一般人が早々に読めるような出回り方もしていないはずだ。故に知るには、早過ぎる。

教会の連中か。
或いは、神王近辺の大学関係者か…。
何れにしろ懸念した事態に晒されているのは間違いない。そのとばっちりが寄りによって、最初に息子に来るとは、そこまでの予想はしていなかった。私の思慮の及ばなかったが故の結果と言わざるを得ない。
そして、何よりも幼い我が息子に不快な思いをさせてしまったことに対し、私は蒼白としていた。


「私より、アリエルを…」


そう言うのが、やっとだった。


「とうさま。ぼくは、とうさまの『けんきゅうせいか』なの?」


そうでは無い、と言い切れないところに私の弱みがあった。アリエルの誕生は、研究過程で“試験的”に関わっている。ただ“試験的”といっても、ほぼ確実だと睨んでの試験であった。それを『研究成果』では無いと、否定は出来ない。


「そうですよ、アリエル」


妻が悩む私の側で、はっきりと息子にそう告げたのには、正直驚いた。


「あなたは、父様が一生懸命に調べて考えてたくさん悩んでくれたから、生まれたのです。それは父様の研究の賜物です。別に恥ずかしいことなどありません。あなたは父様と母様が望んで生まれた子なのですから、ほかのお友達と何も変わりませんし、寧ろお友達よりも強く望まれ深く愛されて生まれて来たのです。私達のあなたへの愛情はマルストンのご両親にも決して負けません。よく覚えておきなさい」


妻の強い言葉に、私は涙を流していた。

アリエルは、少しの間ぽかんとしていたが、母の言葉に嘘が無いことは感じたようだった。


「うん、わかった。ぼくは、とうさまの『けんきゅうせいか』でいいんだね? それはべつにわるいことじゃなくて、よかったことなんだね?」

「当然です。あなたがもし悪い子だったら、成果とも呼べませんから」


妻はぎゅっとアリエルを抱き締めて、愛おしむ。
私はやはり、研究は正しいことだったと確信し、もう迷いは無いと思った。


それが、神天星暦2463年の初夏。
夏至まであとひと月と迫った日のことであった。





(続く)



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