異眼の旅人ニア〜1話〜

第1話
『異眼の孤児』
孤児院の大部屋は、いつも騒がしかった。
子供たちの笑い声。
床を駆け回る足音。
木製の壁にぶつかる、軽い衝撃音。
それらが混ざり合い、空気は絶えずざわめいている。
——だが、その喧騒から少し離れた壁際。
そこに、ひとりの少年が静かに座っていた。
名は、ニア。
膝を抱え、背中を壁に預け、まるで時間から切り離されたかのように動かない。
視線はどこにも定まらず、虚空を見つめている。
彼の左目は灰色。
そして右目は淡い青。
混ざり合うことのない、二つの色。
それだけで、この場所では異質だった。
⸻
「なあ……あの子さ……」
遊びの輪の中から、ひそひそと声が漏れる。
「……目、おかしくね?」
クスクスと、小さな笑い声。
二人の男の子が、隠すこともなくニアを指さしていた。
ザワ……
ザワザワ……
ニアは、確かに聞いていた。
だが、表情は変わらない。
怒りも、悲しみも、言葉もない。
まるで、自分とは関係のない音だと最初から知っているかのように。
⸻
その時。
一人の少年が、ニアの横に腰を下ろした。
水色がかった髪。
少し背が高く、同じ孤児院の服を着ている。
**カイ(6歳)**だった。
「……あんな奴らのこと、気にするなよ」
ニアは、視線を動かさない。
「なあ。俺と一緒に遊ばないか?」
返事はない。
それでも、カイは気にしなかった。
「俺さ……弱い奴をいじめるの、嫌いなんだ」
ぽつりと、独り言のように言う。
「……実は俺、四歳の頃にさ」
言葉を選ぶように、一度息を整えてから続けた。
「村が、ゴブリンに襲われたんだ」
その瞬間、
ニアの視線が、ほんのわずかに動いた。
「……親父も、おふくろも、殺された」
一瞬だけ。
ニアは、カイの顔を見た。
何を考えているのか、分からない瞳。
カイは気づかないまま、言葉を続ける。
「だからさ。俺、弱い奴を守れるやつになりたいんだ」
沈黙。
立ち上がり、遊びの輪へ戻ろうとした、その直前。
カイは振り返り、ニアに言った。
「……その目、嫌いじゃないけどな」
そう言い残し、カイは去っていった。
ニアは、何も答えなかった。
⸻
夜。
孤児院は静まり返っていた。
スゥ……
スゥ……
規則正しい寝息が、暗闇に溶けていく。
ニアは、目を閉じたまま考えていた。
——僕は、ここにいていいのだろうか。
——1歳から5歳までの記憶は、どこへ行った?
——なぜ、生きている?
——外の世界を知れば、分かるのだろうか。
答えは、ない。
ニアは静かに起き上がると、食堂へ向かった。
ほんの少しのパンと干し肉。
盗み、という感覚すらなかった。
キィ……
扉が閉まる。
ニアは、夜の森へと消えた。
⸻
ゴォォォ……!
暴風が、木々を揺らす。
暗雲が渦を巻き、空気が唸る。
その時——
目の前に、巨大な影が現れた。
木々よりも、遥かに大きい。
やがて、わずかに日が昇る。
現れたのは、上位魔獣・グリフォン。
鋭い嘴。
巨大な翼。
金色に輝く瞳。
グリフォンは、ニアを睨みつけ——
ギャァァァァァァッ!!
雄叫びと共に、突進した。
——その瞬間。
世界の音が、遠のいた。
風の唸りも。
羽音も。
心臓の鼓動さえも。
すべてが、引き延ばされ、歪み、
そして——消えた。
⸻
……意識が、浮上する。
ニアは、重い瞼を開いた。
いつの間にか、周りは完全に朝になっていた。
木々の隙間から、淡い光が差し込んでいる。
ニアは、左目——灰色の目を反射的に押さえた。
ズキ……
ズキズキ……
——何が、あった?
分からない。
記憶が、途中から抜け落ちている。
視線を動かした先には、
見るも無惨な姿のグリフォンが横たわっていた。
焼け焦げ、裂け、抉れた肉体。
周囲の地面は爆ぜ、森の一角が崩壊している。
——これを、誰が?
その時。
ドドドッ!
複数の足音。
現れたのは、Aランク冒険者の五人パーティー。
「子供だぞ……!」
「おい、生きてるか!?」
その少し後ろ。
冒険者たちの背中越しに、ひとりの少年が立っていた。
——カイ。
水色の髪の少年は、
倒れたグリフォンとニアを、信じられないものを見るように見つめていた。
その瞬間。
グルルル……
低い唸り声が、周囲を包む。
狼族の群れ。
二十体を超える数。
「……この数は、まずい」
緊張が走る。
その時、後方から一人の少女が前に出た。
リナ(15歳)。
炎魔法、回復、支援。
次々と展開される魔法。
ニアは、それを見ていた。
——なぜだろう。
——自分にも、できる気がした。
次の瞬間。
ゴォォォォッ!!
詠唱は、なかった。
放たれた炎が、狼の群れを包み込む。
倒れ込みながら、ニアは思う。
——君の……真似をしてみた。
そして、意識は再び暗転した。
⸻
目を覚ますと、少女がいた。
「……何日、寝てた?」
「一週間よ」
「ここは?」
「リューゼル。私たちが暮らしている街」
リナは、なぜかニアから目を離せなかった。
やがて月日が流れ。
十歳。
ニアは、Bランク冒険者となっていた。
周囲の冒険者が、ざわつく。
「……十歳だぞ?」
「嘘だろ……」
「あの時の、森の子供じゃないか……?」
ある日、ニアは言った。
「……ここを出る」
旅立ちの日。
門の前で、リナが待っていた。
「……勝手にしろ」
こうして。
ニアとリナ、二人の旅が始まった——。
