第1.5話『異質な才能の記憶』
第1.5話
『異質な才能の記憶』
――これは、ニアが街を出たあとに、
振り返る“少し前”の話
――あれは、旅に出る少し前のことだった。
⸻
リューゼルの朝は、静かだった。
石畳を叩く靴音。
店を開ける木戸のきしむ音。
遠くで鳴る鐘の、まだ眠たげな余韻。
街が目覚めていく中、
その流れから一歩外れた場所で、
ニアは窓辺に立っていた。
――アレンの家。
朝の光を受けて揺れる白い髪。
右目は青。
左目は灰色。
異なる二つの色を宿したその瞳は、
街の風景を映しながらも、
どこか**“この世界の外側”**を見ているようだった。

「……起きてたのね」
背後から声がする。
振り返ると、リナが立っていた。
簡素な服装だが、魔法使い特有の張りつめた気配は隠せていない。
「体、もう大丈夫?」
「……問題ない」
短い返事。
リナは、その横顔を見つめながら、
胸の奥で小さく息を詰めた。
(やっぱり……分からない)
五歳の子供のはずなのに、
その佇まいは、あまりにも静かすぎた。
そして、どうしても脳裏を離れない。
――森での、あの光景。
詠唱のない炎。
一瞬で狼を焼き尽くした、ありえない魔法。
「ねえ、ニア」
名を呼ぶと、彼はわずかに視線を向ける。
「……あの時の魔法」
「どうして、あんなことができたの?」
ニアは、少しだけ考える素振りを見せた。
「……分からない」
「分からない?」
「できると思った」
それだけ。
リナの背中を、冷たいものが走った。
(“分からない”のに、使えた……?)
魔法とは、理だ。
詠唱とは、その理を世界に通すための“鍵”。
それを持たずに扉を開けるなど、
聞いたこともない。
(もし、この子が……)
リナは、自分でも気づかぬうちに拳を握っていた。
⸻
数日後。
リューゼル郊外の訓練場。
「無理はするなよ」
穏やかな声でそう言ったのは、アレンだった。
白髪混じりの長髪。
年齢は七十を超えているが、背筋は真っ直ぐで、
その佇まいには隠しようのない“重み”があった。
――アレンとは。
冒険者は、個人ごとに
S・A・B・C・Dのランクに分かれる。
さらに、
複数人で組むパーティーにも
S・A・B・Cの格付けが存在する。
その中で、
個人・パーティーともにS級を名乗れた者は、
歴史の中でも、数えるほどしかいない。
アレンは――
その数少ない一人だった。
かつて最前線で戦い、
数々の魔獣と死線を越えてきた男。
今は静かに街で暮らしているが、
彼の目は、決して鈍ってはいない。
そのアレンが、
目の前の五歳の子供を見つめていた。
(……ありえん)
それが、正直な感想だった。
ニアは木剣を手に、訓練場の中央に立つ。
相手は、駆け出しの冒険者。
「……子供相手に、本気は出せないな」
その瞬間。
――カンッ!
乾いた音が響く。
冒険者の木剣が弾かれ、地面に転がった。
「な……っ!?」
ニアは構えを崩さない。
ただ、そこに立っている。
周囲がざわめいた。
アレンは、目を細める。
(剣を振ったんじゃない)
(最短で、最適な位置に“置いた”だけだ)
五歳で。
経験も理論もないはずの年齢で。
(……異質だ)
そして、それは剣だけに留まらなかった。
リナが、小さな火球を生み出す。
ニアはそれをじっと見つめ、
魔力の流れをなぞるように、指を動かす。
詠唱は、ない。
小さな火花。
だが、確かに魔法だった。
アレンの背中に、冷や汗が流れる。
(才能ではない)
(世界の理に……最初から触れている)
S級冒険者として、
数え切れないほどの“天才”を見てきた男だからこそ、
はっきりと分かった。
この子は、
常識の内側にはいない。
リナもまた、拳を握りしめていた。
(この子が……)
(私の探していた“答え”かもしれない)
⸻
風が吹く。
ニアは、現在へと意識を戻す。
街道の先。
まだ見ぬ世界。
(……だから、か)
なぜ、街を出ようと思ったのか。
なぜ、外を知りたいと願ったのか。
その理由は、
この時すでに芽生えていたのかもしれない。
ニアは、再び歩き出す。
――異質な才能を抱えたまま。
