他人の空似と、言葉の個性。
以前、友人に言われたことがある。
「アマツキと、そっくりな人見たよ」と。
私自身は、それほど一般的な顔でもないと
思っているのだが。
ドッペルゲンガーなど、非科学的に
当てはまる言葉は存在するだろう。
けれど、私はこれを
「個性や特徴への視点の違い」では
ないかと考えている。
文章にも、同様の事が言えると思う。
書き手のどの部分を、個性や特徴と
捉えるか。
同じ文章でも、読み手によって
印象が変わってくるのは、
そういった差異もあるのだろう。
私自身の個性や特徴は、読み手にどういった
伝わり方をしているだろうかと、
考える事もある。
この場所ひとつにおいても
雑談、エッセイ、詩、短歌など
ジャンルを統一しない事も、
人によっては、揺らぎや八方美人と
受け取る場合もあるだろう。
けれど、実際のところ
私は私でしかない。
作風は違えど、創作における
芯や軸は一貫しているつもりだ。
笑いながらでも涙を書き、
泣きながらでも笑顔を書く。
それが、自身の矜持とも
考えているので、
自称意識高い系ならぬ
自称共感性が高い系の人は
「この人は今、辛いんだ」と
無用な心配をするかもしれないが、
創作ですから、としか言いようが
ないのである。
きっと、そういった芯や軸を
見出せない人は、離れていくか
遠巻きに眺め続け、
自分なりの答えを見つけた人とは、
何らかの形で繋がってゆくのだろう。
それが書き手の、
縁の宿命なのかもしれない。
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物好き・・・とは言いませんし、とっても素直に喜びます。