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山羊座満月が教えてくれた本当の願いと意識の違いについて

新月、満月での願いっていうのがここ数年でかなりポピュラーになったと思います。わたしは研究好きなので、わからないことはとにかく研究してみる、実験してみるように努めていて、新月満月の願いについても数年研究していました。

ノートに願いを書く。ということやムーンウォーターを作るなどして取り組んでみました。結果でいうと叶ったような叶っていないような・・・よくわからない。というのが本音。というか、今回の満月でその理由もはっきりわかりました。私がノートに願いを書いていたのは仕事のことがほとんどでした。月収いくらになる。自分のメソッドが世の中に認められる。というような内容です。

具体的な数字をかくといいといわれていたので、書きました。叶っっていることもありましたし、そうでないこともありました。なので、よくわからないとずっとおもっていたので、最近はやらなくなりました。というのも肩ひじをはって願いをかいてもだめな気がする・・・それは多分そうしなきゃいけないって思っているやつなのかも・・・と思うようになりました。ので、しばらく傍観することにしたのです。

7月21日のやぎ座の満月は努力が実るということだったのですが、それについてピンとくることがありました。多分私の願いというのは、収入とかそういうレベルではなくて、精神の充実感を高めること。と気がついたわけです。というのも、満月ではなかったのですが、その数日前にかなり脳の中が幸せに満ちる感覚を得ることができたんですよね。ある意味思い通りの展開になった・・・という感じでした。一般的にみれば当たり前のことかもしれませんが、私には難しいことがあったわけです。それがなぜだか急な展開で叶ったんですよね。4.5年まえからの懸念点だったわけです。分野でいえば人間関係だったのですが、自分が気持ち良い言葉をたくさんかけてもらえるようになったという感じです。

これによって、かなり精神的に満足感を味わえるようになり、心の余裕や安定感も得られるようになりました。たったこれだけで?ということも、自分の本当にほしかった言葉や称賛ってなかなか得られないものだと感じます。だからこそ、みんな一生懸命働くのでしょうね。自分という人間の尊厳を高めたいという承認欲求ですね。それがいつの間にか対価が高ければ良いというように本当の気持ちからずれるようになったのだと思います。

私は先日お金は一円ももらえないけど、私の存在を喜んで称賛してくれて、理解してくれたことでなんとも言えない満たされた気持ちになったのです。
言葉自体は大したことでもないのかもしれませんが、言葉の意味をしっかりと解釈して言ってくれたことがうれしかったという感じです。こういった状況になれるって実はかなり難しいことだと最近気づきました。言葉というものはあまりにも人をコントロールしすぎるとも思うわけです。

大切なことはそれに惑わされない心を持つということなんですよ。
批判的な言葉であってもなんですが、要は解釈の問題です。批判的と腹が立つのか、改善の糧になると捉えるのか?糧にすればそれはつまりエサになるわけなので、相手の無駄なエネルギーを変換する力を得るわけです。私は割とこれが得意なタイプでした。悪いところというのはなかなか自分で直視できないものなので、批判されたときというのはある意味チャンスであって、客観的に自分を見ることもできるようになるわけです。コントロールまでされるわけではないですが、他人の目線も含めてちょうどいいを作り出すのは自分にとって満足感の高い努力になると考えるのです。

例えば料理だったら、味は最高に美味しい。でも見た目がいまいち・・・だと自己満足になるので、どんな見た目なら人は美味しそうに見えるのか?その部分を取り入れれば、人からみてもよし、自分もよしという結果が得られるわけです。味をどんなに研究を要して完璧であっても、更に良くするという余裕があれば、自分も相手も喜ぶに変わるわけです。この手間は本当に大事ですし、自分も人も幸せにできる力になります。料理に関して味は特に重要な部分なので注力します。理想の味にたどりつくことで満足感を得たのに、揶揄されると腹もたちます。ですが、もうひと手間、そしてもう一段階の努力を重ねるだけで、大きな成果になります。これまでいろいろなことに取り組んでみておもったことはこのもう一段階の努力が結構難しいと感じます。理想の状態にたどり着くまでにかなりの労力を使っているのに揶揄されるとやっぱり反発したくなるものです。ただ、ここで謙虚さがもてるかいなかで結果が変わるとつくづく思うのです。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

年齢を重ねるごとに言葉の意味が理解できるようになって来たと感じております。


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