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八代亜紀に捧ぐ

アラフィフになった。
私はちょっと前まで早朝7時40分スタートの朝補習に文句を言い、つい先日まで演歌はとにかくダサいと一蹴する20代の研修医で、ごく最近、生まれたばかりの小さな赤ちゃんを、狭く古いアパートに大事に大事に抱き帰ったばかりのはずなのに。それが気づけばもうアラフィフ。マジか。

年をとってくると、今までさっぱりわからなかった、先人の行動の意味に思い当たる瞬間が増える。授業の準備を終え、早朝7時40分に毎日教壇に立つことがどれだけ大変か、今ならわかる。

20代後半の頃の診察室。介護が辛いと私に愚痴る60代の息子さん。母が言っていることは、もうめちゃくちゃなんです。何よりも、トイレの世話が辛いんです。

外来はいつも通りに混んでいて、そんな中でもだいぶ話を聞いて「あげた」のだからもういいだろうと、私はいつまでも終わりそうにない彼の愚痴にこう宣言をして区切りをつけた。

大変だとは思いますけどね、息子さんも赤ちゃんの頃はお母さんからおむつを替えてもらったんですから。今度は息子さんの番ですよ。

彼は黙った。私は長い長い彼の話が終わったことを、自分の会心の決め台詞(とドヤ顔)が効いたと信じて疑わなかった。なんならつい最近まで。

しかしその瞬間、ああ、この人は介護を知らないんだな。そう息子さんは悟ったに違いない。実際彼はあの時、なんにもわかっちゃいない私に愚痴ることを、すっぱりと諦めたのだと思う。この人は、赤ちゃんと老人のおむつが、全く同じものだと本気で信じているのだろうか?と。

いつもはフルスロットルのぶっ壊れた機関銃のように喋りまくる母親は、昔から「懐かしのメロディ」みたいな音楽番組を観ている時だけは若干言葉少なだった。音楽なんていつもは聴かない人だし、面白くないならチャンネル変えてくれたらいいのに、なんて思っていたものだけれど、画面を見ているようで、その曲を聴いていた頃の若い自分の姿を追っていたのだと、今となってはわかる。黙って画面を眺めているその背中を思い出す。地味に鳩尾を突くこの時間差攻撃みたいなの、本当にやめてほしいものだ。

最近八代亜紀さんの動画を偶然目にした。

しみじみ飲めばしみじみと
想い出だけが行き過ぎる
涙がポロリとこぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

ひとつひとつが心に沁みた。嘘だろと思った。私はとうとう、あんなに馬鹿にしていた演歌の心を少しだけ理解するに至ったのだ。なんという成熟だろう。

時間はこの世の何よりも確実に刻まれ、人は平等に歳を取り、去った人は戻らず、後悔はいつまでも心から消えない。今ならトラック野郎や漁師の皆さんと場末のスナックで語り合える気がする。炙ったイカを食べながら。