見出し画像

『クマムシ係』第十一話 存在しない辞令

『クマムシ係』
第十一話 存在しない辞令
月曜日だった。
第四室の机の上に、
一通の封筒が置かれていた。
誰も置いたところを見ていない。
差出人もない。
消印もない。
ただ、
封筒だけがある。
表には、
佐々木の名前。
裏には、
小さく印字されていた。
開封前に内容を確認済み
佐々木は封筒を裏返した。
もう一度見た。
やはり、
そう書いてある。
「開ける前に確認済み……?」
新任職員が首をかしげる。
「はい。」
「誰が。」
「分かりません。」
第四室では、
分からないことが少しずつ増えていた。
封を開ける。
中には辞令が一枚。
古い紙。
しかし日付だけは今日だった。
そこには、
たった二行。
辞令
佐々木 殿
あなたを第零室係員候補予定者として 着任前に任命しないことを予定します。
沈黙。
「……。」
「……。」
二人とも三回読んだ。
意味は増えなかった。
佐々木が静かに言う。
「つまり。」
「はい。」
「任命されない予定なんですね。」
「たぶん。」
「候補予定者ですし。」
「そうですね。」
第四室では、
この程度の矛盾では誰も驚かない。
新任職員は引き継ぎ書を開いた。
索引。
「辞令」。
載っていない。
「任命」。
載っていない。
「予定」。
三百二十七件。
嫌な予感しかしない。
その中の一冊。
『予定管理要領』
初版。
著者不明。
第一条。
予定は未定である。
第二条。
未定は予定される。
第三条。
任命されないことも任命の一種とする。
第四条。
継続。
「また継続……。」
新任職員は本を閉じた。
午後。
人事課長が慌てて地下三階へ来た。
顔色が悪い。
「佐々木さん!」
「はい。」
「あなたの辞令なんですが。」
「はい。」
「人事システムに登録されていません。」
「そうですか。」
「でも。」
課長は息を整える。
「辞令番号だけ存在するんです。」
「番号だけ?」
「本文がない。」
「でも届いています。」
「はい。」
「誰が作ったんでしょう。」
「分かりません。」
二人とも、
最近この答えに慣れ始めていた。
その夜。
佐々木は帰宅しようとして、
ふと机を見た。
辞令が一枚増えている。
誰もいない。
窓もない。
扉も閉まっている。
新しい辞令には、
こう書かれていた。
辞令
佐々木 殿
あなたを
本日も生存確認担当として
昨日付で
明日より
継続します。
佐々木は笑った。
十一年間で、
初めて声を出して笑った。
「何がおかしいんですか?」
新任職員が聞く。
佐々木は辞令を渡した。
彼女も読んだ。
そして笑った。
「変ですね。」
「はい。」
「でも。」
「はい。」
「間違ってない気もします。」
第四室では、
時々、
矛盾の方が現実より自然に思えた。
翌朝。
記録簿には、
誰も書いた覚えのない一文が加わっていた。
本日も辞令を確認。
その下に、
さらに小さな字。
任命されないことを継続中。
クマムシは、
今日も静かだった。
まるで、
最初から全部知っているように。
――第十二話「採用試験を受けたことがない採用者」へつづく。

いいなと思ったら応援しよう!