パラレルワールド奇談 完全ごっこ編
パラレルワールドについて、特に研究をしたわけではありませんが、自分勝手な解釈でストーリーを紡いでみました。
2024年に52歳だった俺(冴木季文)は、25歳の1997年にタイムシフトしていました。しかも、大して好きでもなかった大学の同級生だった奈緒美さんと、成り行きから結婚していたことに驚愕。
しかも、仕事はフリーのマーケティングコンサルタントだったのに、大学の事務職員。一方、奈緒美さんのほうは、デザイナーとして順調なキャリアをスタート。
夫婦仲はしっくしりするわけがなく、俺は勤務先の女子大学と浮気。離婚を切り出して間もなく、あっさりと奈緒美さんの手で毒殺されてしまいます。結婚から2年目のことでした。
それから、パラレルワールドをさまよいながら、不可思議だった人生の謎解き=解釈をするのは、私の書く作品の〝いつものパターン〟です。
二十歳前後の頃、ある女性に強烈にアプローチして〝撃沈〟してから十数年後、友人に連れられて入った居酒屋のマスターが、私がアプローチしていた女性の恋人だったことに驚いた。もうそのときのことは何とも思っていなかったこともあり、その居酒屋の常連となった、という筆者の実体験もオブラートに包んで入れておきました。
*400字詰め原稿用紙75枚のボリュームです。お時間に余裕のある折、お読みいただければ幸いです。
1.殺され初体験
意識は戻ったものの、眼を開けることができない。俺の貧弱な想像力を駆使して喩えると、液体とも気体とも判別できない白い靄のようなものが、俺の脳の前頭葉を満たしており、その得体の知れない物質は、対流しているようにも、滞留しているようにも感じられる。
いや、それは錯覚だ。〝こっちの世界〟に来る前、まだ肉体があったときの感覚の名残だろう。〝ここ〟での俺は、意識(思考・感情・記憶)だけの存在で、〝元の世界〟と全く変わらないかのような自らの肉体も、他の人間の肉体も、身の回りのあらゆる環境も、全て物質ではなく幻影なのだ。
俺の名前は冴木季文。52歳のはずなのだが、今、ここでの俺は25歳のようだ。2024年に52歳になったので、25歳の今は1997年ということになる。
東京都杉並区松庵、井の頭通りから南側の路地に入って間もない所にある、2階建ての自宅リビング。秋の彼岸を過ぎてクーラーを効かせる必要のなくなった土曜日の夜半、白い壁のリビングのテーブルに座っていた俺は、向かい合わせに座っていた妻の奈緒美と二人で、ワインとピザのディナーを食していたことまでは覚えている。
結婚2年目の奈緒美と夕食を共にするのは、ほとんど週末だけ。しかもこの1年程の間、テーブルに向かい合って座っていても、会話が弾むことはなかった。
平日は二人とも仕事で多忙だった。俺は文京区内のある女子大学の事務職員で、彼女は北青山のデザイン事務所に勤務しているグラフィックデザイナーだ。俺たちは都内の大学の同級生で、卒業後程なく結婚した。お互いこの歳で杉並区内の閑静な住宅街に一戸建てを構えることができたのは、青梅市の広大な山林を所有していた、彼女の実家の資産のお陰だった。
勢いという程のことではなく、成り行きのようなもので結婚した俺たちの間には、1年も経たないうちに心理的な溝が拡がってしまった。学校事務という比較的地味な職種を選んだ俺は、就職後もモラトリアム状態のままで、正社員としての経済的な安定と安心感を手に入れつつも、自分が打ち込んでもいい〝何か〟があるはずだと信じる〝自分探し〟の状態にあった。おそらく、順当に就職と結婚というコースを選んだはずの俺の心の底には、〝自分探し〟という厄介なものが滓のよう燻っていたのだろう。
そんな俺とは対照的だった奈緒美は、学生時代に併せて通っていた専門学校でのスキルを活かし、まだアシスタントながら、デザイナーとして順調なキャリアをスタートさせていた。そんな奈緒美に対する劣等感が俺になかったとはいえない。
しかも、ふとしたきっかけで知り合った勤務先の愛海(まなみ)という女子学生と恋仲になり、愛海の卒業とともに二人の逢瀬の頻度は増えていった。
俺が奈緒美に離婚を切り出したのが1週間前の土曜日の午後。驚愕を隠せなかった彼女は、離婚を強烈に拒んだ。それが僅か1週間という短い期間で納得してくれた(?)ことに、俺は拍子抜けしたほどだった。
そして今夜。実質としての肉体を持たない俺は、肉体的な違和感など実感せずとも、観念において自分が睡眠薬を飲まされたことに気づいた。睡眠薬は俺のワイングラスに混入されていたに違いない。
(こんな簡単に眼が覚めるような量の睡眠薬で人を殺そうとするとは、なんて浅薄な奴なのだろうか? 俺の知っている奈緒美らしくもない…)
そんな想念が浮かんだ刹那、それまで長い間、テーブルに突っ伏した俺を眺めていたのであろう彼女は、そっと立ち上がると椅子に座る俺の背後に廻り、あらかじめ濡らして絞っておいたハンドタオルを俺の首に巻き付け始めた。
俺が目覚めたのを見て、俺を殺すことをためらうかのような放心状態から覚醒したのだろう。男の俺でもこんな状態では逃げるどころか、体を逸らすことさえできない。身長170センチを超える俺でも、椅子に座ったままなら、身長160センチの奈緒美が首を絞めることは容易だ。
息苦しいといった肉体の感覚はないものの、呼吸が止められる息苦しさ、血管の流れがせき止められるような感覚、そして命を失うのだなという絶望を味わっている。
(あーあ、人の気持ちを理解するのって、何て難しいことなんだろうか? なんてこったい。それにしてもガイド君から言われた通り、かなり、しんどいね……)
2.奇妙なガイド君
52歳で独身のはずの俺が25歳、しかも学生時代、恋人と言えたのか言えなかったのか定かではなかかった存在の奈緒美と結婚していた。
今の俺には〝こっちの世界〟に来る前の記憶がある。仕事はフリーランスのマーケティングコンサルタント。2024年7月のある日曜日、山梨県北杜市(最寄り駅はJR小海線の甲斐小泉駅)にある、元は別荘だった今の自宅の庭で、俺は雑草を抜いていた。
八ヶ岳の麓で標高の高い北杜市でも、南の空からの直射日光は容赦なかった。俺は上空を飛ぶ旅客機が描く飛行機雲を眺めることが好きで、そのたびに太陽の強烈な光を浴びるのは気持ち良かった。
そんな気持ちの良さを実感するどころではなく、地面の照り返しを勘案すれば体感温度は40度を超えていたはずだ。被っていたキャップでは自身を守れるはずがなかった。DEAN & DELUCAのマグボトルに入れた氷水を飲もうと体を反転させたところで、俺は意識を失ってしまった。
意識を回復した、と自覚したとき、俺は仙台から東京に向かう東北新幹線「やまびこ」の座席に座っていた。俺が乗っていたのはグリーン車で、車内はガラガラだった。進行方向に向かって右側の窓際に座っていた俺の隣の通路側の席には、10歳ぐらいの男の子が坐っていた。
その男の子は日本人には違いなかったようだが、子供なのに顔には皺が刻み込まれており、老成したようなアンバランスさが何とも奇妙だった。U2の「Pride(In The Name Of Love)」という曲のPVのイントロで、Bonoの後ろに続いて歩いている二人の男の子の後ろ姿が写る。
そして、向かって右側の背の高いほうの子供が振り向くのだが、閉じ気味で、まるで世界の悩みの一端を背負っていることをアピールするかのような右目と、真一文字に閉じた口が印象的だ。俺の隣の席に座っていた男の子は、そのPVの男の子を彷彿とさせるような雰囲気を醸し出していた。
だが、そんな哲学的とさえいえる見た目とは正反対に、男の子は俺に気さくに話しかけてきた。俺とは初対面なはずなのに。
「どうして俺はこんなところにいるんだ? と思っているでしょ? それも無理はないよね、冴木季文さん」
「どうして俺の名前を? その前に、君は誰?」
にこやかな顔の男の子は、待ってました! とばかりに答えてくれた。
「そうだね、僕という存在の由来と季文さんとの関係は、簡単には理解していただけないと思うよ。それと僕の名前もね。そうだね、〝ガイド〟とでも呼んでくれればいいさ。冴木さん、あなたの〝ガイド〟だからね!」
〝ガイド〟って一体? まぁいいや。
「それじゃガイド君。なぜ、俺は今、この新幹線に乗っているわけ? 上りのようだけど、どこから乗ってどこで降りるの?」
ガイド君は俺に同情するかのように答えてくれた。
「季文さんは、大学時代の演劇サークル仲間のお葬式で宮城県仙台市に行って、今、東京へ帰る途中なんだよ」
大学時代の演劇サークル仲間の葬式? 仙台出身といえば富田昭一のこと? と記憶の糸を手繰り寄せた俺だったが、頭の中はまだカオス状態だった。
「あ! その前に、52歳の俺がなんでこんなに若いわけ?」
ガイド君は答えた。
「パラレルワールドって聞いたことあるよね?」
いきなり何を言い出すのだろう? と俺は驚いた。
「そりゃ、聞いたことはあるさ。自分が生きている現実世界とは別の次元で、数えきれない程の自分が生きている併行世界のことだよね? でも、内容はよく知らない…」
ガイド君はゆっくりと答えてくれた。
「そうだったね。わかった。パラレルワールドのこと、簡潔に説明しようか」
「うん、簡潔に話してもらうのは有難いが、よく理解できるよう説明してくれれば、なお有難い」
「わかったよ」
3.〝あっちの世界〟〝こっちの世界〟
ガイド君はパラレルワールドの説明を始めた。
「季文さんは、死後の世界を信じているよね?」
そこから始まるのか。
「うん。霊感とかほとんどないんだけどね。ああいう能力のある人達って、まるで超能力がある、つまり普通の人よりも〝優れている〟と自分で思っている人もいるようだけど、俺に言わせれば〝ハンディ〟という一面もあるかもしれない。だって、この三次元物質世界の日常生活を送る上で霊能力があることは、とても厄介で不便なことだと思うからだよ。ま、多様性は尊重するし、それはあくまでも俺の個人的意見だ。と、余計なこと言ったけど、今までインプットしてきた膨大な情報や、自分の直感とかを勘案するとね、俺は〝死後の世界〟は確実にあると思うよ」
ガイド君は聞いた。
「じゃあ、季文さんは〝こっちの世界〟と〝あっちの世界〟のどちらがメインだと思う?」
「そりゃ、〝あっちの世界〟の方に決まっているよね。肉体という不便な衣をまとうことのない、想念の世界。欲しいものを思い浮かべればすぐ目の前に現れる。ワンネスといわれているけど、自分は全ての人と根底でつながっているらしい。だから言葉など不要で、テレパシーで相手の真意がわかってしまうし、こっちの真意も相手に筒抜け。だから、自分と同じ波長、周波数といったらいいのかな? とにかく同じような魂だけが厳密な階層の中に存在している。〝こっちの世界〟のような二元論としての善悪などないことも面白い。でも、それじゃいい加減飽きてしまう。そして刺激と経験を求め、わざわざ不自由な肉体をまとって〝この世〟に降りてくる。わざわざ波長を落としてね」
「そうだね。僕は季文さんのガイドだから、季文さんが認識している内容を熟知しているけどね…」
ガイド君にそう言われながらも、俺のうんちく語りは止まらなかった。
「ところが、母体から〝こっちの世界〟に誕生してしばらくの間、乳児は泣き続ける。こっちの波長が低くて心地が悪いからさ。食べなければならない、歩かなければならない。大人になればお金を稼がなければならない。先々の世界はそりゃ地獄だよ。でも、全てに陰陽、プラスとマイナスがある物質世界なわけだから、食欲・性欲・睡眠欲という三大欲求を満たすことは、天国でもある。それでも、三大欲求を満たすため、世の中の〝血液〟であるお金の恩恵を受けるためには、人間に備わったマイナスな特性も大いに必要となる。その最たるものは競争だ。それに、波長が全く違う人同士が出合うことも、〝あっちの世界〟では想像もできない物凄い刺激なんだろうね。誰からも好かれるような人が、ジコチュー極まりない無差別大量殺人者に殺されてしまう悲劇。あっちとこっちは真逆と言ってもいい。こっちでは宝くじで10億円当たることは奇跡だが、あっちでは当たらないことのほうが奇跡だ。もっとも、あっちでは、お金も金銭欲もないから、そんな願望自体、存在しないけどね」
ガイド君は黙って聞いてくれた。それにしても俺は、なぜこんな話をしているのだろうか、自分でもわからなくなりそうだった。
「ところで、今、俺たちがいるこの車内は、〝あっちの世界〟じゃないよね?」
「うん、厳密には完全な〝あっちの世界〟ではないのだけど、季文さんの肉体は存在してないよ。幻影だ。それでも意識、つまり思考と感情と記憶のことね。意識はそのままなので、たとえ幻影の肉体であっても、食べたり飲んだり、寝たりはするんだ」
俺はわけがわからなくなった。
「意味がよくわからないんだけど…」
ガイド君もさすがに説明しづらいような困惑した表情になった。
「結論から言うと、ここは〝あっちの世界〟と〝こっちの世界〟のパラレルワールドの中間の次元、と言ったらいいかな。一人の人間にとってほぼ無限に存在するパラレルワールドは、三次元物質世界、つまり〝こっちの世界〟にある。でも、パラレルワールド間の移動は、自分では認識できない。その膨大な履歴が認識できるのは〝あっちの世界〟に行ってから、つまり死んでからだ。でも、今、我々がいるこのパラレルワールドは特殊で、季文さんはここにワープする前、八ヶ岳の麓での除草の最中、熱中症で意識を失う寸前までの記憶はある。そうだね、喩えて言うと〝3.5次元〟ということかな。肉体はあるとはいっても、物質的ではなく非物質的な肉体なんだよ」
そんなまだらっこしいパラレルワールドなんてありか? と思ったところで仕方がない。ただ理解しようと努めるしかなかった。ガイド君が説明してくれたパラレルワールドの概念は、それまで俺が吸収してきた知識の範疇をはるかに超えていた。
4.きわめて変則的なパラレルワールド
「今、僕等がいる〝この世界〟はね、〝絶対感情〟の世界って言うんだ」
〝絶対感情〟だって? 生まれて初めて聞く言葉が出て来たぞ。
「何、それ?」
「自分の想念であらゆることが実現して、全体と個が根底で一つに繋がっている〝あっちの世界〟とは真逆に、波長の低い〝こっちの世界〟では個は分離しており、欲望や欲求が極めて叶い難いのがデフォルトだ。その最もわかりやすい例は恋愛だけど、自分が恋焦がれた相手との関係が成就すれば〝世界を獲得〟したかのような高揚した精神状態になるし、成就しなければ〝世界を獲得〟できず、死にたくなるほど挫折することになる。こういう欲望を求める感情を〝絶対感情〟と呼ぶんだ。わかるかな?」
それは何となくわかる。ガイド君は続けた。
「この世界ではね、人が〝絶対感情〟を抱いたら最後、その欲望が成就しようがしまいが、欲望の成就を目指して最後まで突き進んでしまうことになる。言うまでもなく、成就しないことのほうがはるかに多いけどね。それに万が一、成就したとしてもね、互いの心中が透けるようにわかってしまう〝あっちの世界〟とは違ってね、分離した存在であるお互いの心の中など読むことのできない〝こっちの世界〟の波長で生きているわけだから、〝獲得した世界〟なんて間違いなく崩れてしまう。ある一瞬における心のベクトルがたまたま交わっただけのことだから。恋愛で燃えに燃えた情熱が、結婚すれば数年でマグマのように冷えて固まってしまうのがその最たる例だ」
恋愛と結婚の例は、わかりやすい。俺はさらに突っ込んでみた。
「それで、成就しない場合は?」
「〝こっちの世界〟での折り合いのつけかたは千差万別で一言では語れないよ。欲望の挫折による痛みを昇華させるために、芸術や芸能が必要不可欠になっていたりするのが〝こっちの世界〟だ。でも、ほんのごく一部だけど、自ら死を選んでしまったり、相手を殺してしまうことさえある。この世界では、そういう極端な結末にまで至らざるを得ないことになるんだ。自分が相手を殺すこともあれば、相手に殺されることもある」
何だか〝思考実験〟のような世界だ。
「それで?」と、ただ言葉を濁すことしかできない俺だった。
薄ら笑いを浮かべたガイド君はこう言った。
「でも、少しは安心できる要素はある。何しろ〝こっちの世界〟、つまり三次元物質世界のような肉体はないからね。例え刺されたとしても、恐怖は感じても肉体的な苦痛は一切ない。その上、すぐに〝再生〟したらその場を離れ、今度は別の時間へワープすることになるし」
今度は時間移動の話か。俺の知っているパラレルワールドでは、たとえ別のパラレルワールドに移動しても、〝こっちの世界〟とは同じ時間の流れの中にあるということだった。パラレルワールドとは〝併行世界〟のことで、同じ時間は同時進行しているはずだった。
俺は疑問を投げかけた。
「別の時間っていうのは?」
「〝3.5次元〟のパラレルワールドに時間の概念がないことは、肉体がないのと同じように〝あっちの世界〟と共通しているんだ。あなたは1997年の今、25歳。そして奈緒美さんと結婚して2年目。」
「そんな自分がこのパラレルワールドに存在していたということか!」
「そう、そしてこのパラレルワールドにおける過去の記憶は、既に季文さんの意識にインストールされている。どのような経緯で奈緒美さんと結婚したのか、その前に女子大の事務職員になった経緯とかね。そして、あなたは二つのパラレルワールドの記憶を持ったまま、ここでの体験が終われば、三つ目、四つ目のパラレルワールドの記憶を持つことになるわけさ」
そして俺は最も気になっていることをガイド君に問いただした。
「52歳の俺は、42歳のときに離婚してから独り暮らしだ。だから、特に慌てることはないのだけど、52歳の〝こっちの世界〟には帰れるのかな? 君の話を咀嚼してみると、今、ここの世界では肉体はないし、死ぬことはなく、延々と〝絶対感情〟のパラレルワールドの様々な時間と場面を体験するループが続くことになるようだ。それはそれできつそうだよね。たとえ肉体はなくても〝絶対感情〟の体験を突き詰めると、多大なエネルギーを消耗する気がするよ。あ、意識もエネルギーである、いうことが前提だけどね」
ガイド君はしばらく黙り込んでいた。その沈黙が20秒程続いてから、ガイド君は言った。
「飽きる、までだね……」
「飽きるまでって、俺は好き好んでこの〝絶対感情〟の世界とやらにワープしたわけじゃないよ。熱中症で気を失って眼が覚めたらここにいたわけだし……」
5.好き好んで来たの?
ガイド君は俺を説き伏せるかのような言い方でこう言った。
「そうだねぇ、季文さん自身、顕在意識では全く意識していなかったようだけど、潜在意識ではね、数え切れない程のね、選択しなかった、つまり切り捨ててきた別の人生が気になって気になって仕方なかったんだよ。潜在意識っていうのはさ、わかりにくい概念を定義づけするのに便利な言葉だけどね、スピ系や宗教では〝ハイヤーセルフ〟とかいうけど、魂とも近いかな?」
スピ系と宗教という言葉を聞いた俺は、一瞬、ガイド君に対し気色ばんでしまった。
「確かに俺はその分野の知識と知見を吸収してきたけどね、スピ系の人間じゃないよ。書籍でも動画でもブログでも、9割以上のスピ系論者は嫌いだよ。2020年のコロナ禍と米国大統領選で明らかになったけど、彼らは陰謀論とネトウヨ(ネット右翼)との親和性が極めて高い。
宗教はね、たしかに〝祈り〟は人間の〝準本能〟のようなもので、俺は否定などしないどころか、俺自身、祈ることはある。だが、自分が宗教に帰依するつもりはないよ。俺は神社・仏閣が好きだし、インフラ整備のためのお賽銭は収めている。仏教の哲学的な深淵さとか素晴らしいと思うけど、そもそも〝こっちの世界〟よりも次元の高い〝あっちの世界〟での自分が、三次元物質世界のお金次第でどうのこうのとかいう発想の週苦境団体は少なくはない。それに善悪二元論なんてのはさ、肉体によって生きる〝こっちの世界〟だけの基準だろ?」
ガイド君は、宥めるように短気な俺を遮った。
「だからね、僕は季文さんのガイドなんだからさ、季文さんのスピ観と宗教観なんて百も承知なんだよ」
それを聞いた俺は反省した。
「そうだったね、悪かった」
それからガイド君は話の流れを戻した。
「別にいいよ、季文さんはそういう個性を選んで生まれて生きてきたわけだし。それともう一点、季文さんは若い頃からの自らの完全志向が、長所どころか短所であることに気がついた。正義感もそうだったんだけどね、とりあえず季文さんの欠点だった完全志向ね。その結末が三次元物質世界では、いかに悲惨な結末を迎えるのか? ということを疑似体験してみたいという強い欲求もね、季文さんの潜在意識にあるんだよ。それも自分が追い求める完全志向だけでなく、他人にとっての完全志向に季文さんが巻き込まれるという経験を含めてね、じっくり学んだほうがいいと思うよ」
ガイド君はさらに続けた。
「もちろん、季文さん自身の顕在意識ではコントロールはできないのだけれど、潜在意識というかハイヤーセルフというか魂がね、気が済んだと感じたら、あっと言う間に甲斐小泉に帰れるって」
「本当だろうね?」
「季文さんのガイドの僕が季文さんを騙して、何の利益があるの?」
「たしかに……」
「〝絶対感情〟を突き詰める〝完全ごっこ〟の世界って〝独りよがり〟の独断場だからさ、とても孤独だし苦痛の連続かもしれないけどね。ま、せいぜい愉しんできてね!」
東北新幹線「やまびこ」が大宮駅に到着する5分程前、俺の隣に座っていたはずのガイド君の姿は消えていた。その途端、がら空きだったはずのグリーン車の車内のシートはほぼ全て乗客で埋まっていた。
6.超恋愛
そして、俺は結婚2年目の奈緒美に離婚を切り出し、彼女が希求してやまなかった私との完全な結婚生活のビジョンは崩壊した。彼女の〝絶対感情〟の情念は、私の殺害という結末に至ったわけだ。朦朧とした意識の私をタオルで絞殺した後の彼女がどうなったのか? 後追い自殺を図ったのか、逃亡して逮捕されたのかは俺の知るところではなかったし、興味はなかった。
絞殺された時点で俺のこのパラレルワールドは終了し、もっと昔の別のパラレルワールドに俺はワープしていた。
今度のパラレルワールドは、18歳の俺が大学に入学した1990年だ。時代はバブル景気の真最中。まだ俺は入学したばかりで就職のことなど頭になかったが、とにかく世の中の金回りは異常なほど良かった。
そんなことよりも俺は、第一志望だった東京都内の私大の文学部心理学科に入学できたことが嬉しくて仕方なかった。ちなみに、奈緒美に殺されたパラレルワールドでの俺は、第二志望の私大の文学部哲学科に入学していた。しかも、自暴自棄になっていたのだろうか、それまで全く興味のなかった演劇サークルに成り行きで入部していたのだ。
しかし、第一志望のこちらに大学での俺は、サークル活動よりも勉学に取り組む意欲のほうが高かった。これで、高校の頃から興味のあったユングの集合的無意識の研究に取り組めそうだという希望に満ち溢れていた。第一志望の高校に入学できず、強い不全感に苛まれていた三年間の反動も大きかった。だが、希望に満ち溢れているときこそ、調子に乗ることが禁物であること、思わぬ罠が待ち受けていることを思い知るまで、それほど時間はかからなかった。
それは、生まれて初めての強烈な恋愛体験だった。強烈な、といったのは、ただ心の中で恋焦がれるような、初恋のようなそれまでの体験ではなく、自ら衝動的かつ積極的に対象となる女性にアプローチするという、それまでの自分には考えられなかった、実に積極的な自己の体験だったからだ。
俺に生まれて初めての衝撃を与えたその女性、阿見さんも新入生だった。俺がクラスで最初に親しくなった太田という男に誘われ入部した広告研究会に、彼女も入部してきたのだ。日本人離れし、オリエンタルでエキゾチックな風貌と雰囲気の阿見さんとの出会いは、北関東出身の俺にとって落雷を受けたような衝撃だった。ありきたりの言葉だか、高嶺の花の存在だったからこそ、俺の〝絶対感情〟のスイッチが入ってしまったのだろう。
それまで女性との交際経験どころか、自ら声を掛けてアプローチなどしたことのなかった俺が、突然、積極的にアプローチすることになったのだ。後年、振り返ってみると、あたかも別の人格に憑依されていたかのような感覚だった。
そんな別人格に憑依されていたかのような俺にとって、人間にはどうしようもない好き嫌いや相性というものがある、という当たり前の認識などなく、ただ闇雲に部室や酒席ばかりか、キャンパス内で目にするたびに、俺は阿見さんに声を掛け続けた。
1990年はバブル経済崩壊の前年。ワンレンとかボディコンとかが一世を風靡していたものの、阿見さんにはそんな俗っぽい雰囲気は皆無だった。それでも、彼女のキャンパス内外での交際範囲は極めて広く、経済的に豊か過ぎる人脈に恵まれていたようだった。彼女の学外での主なプレイスポットは、赤坂とか表参道だった。
阿見さんはほとんど学食でランチを食べることはなかった。ランチは主にキャンパスから徒歩数分のカフェやオーガニックレストランで済ませていたようだ。ゴールデンウィーク前のある晴れた水曜日の昼、やっとのことで俺は阿見さんと初めてランチをともにした。彼女の方では仕方なく、という感じだった。
「阿見さんは帰国子女なんだよね? カナダの」
女性との会話に慣れておらず、最初から話題に困ってしまった俺は、そんなことしか言えなかった。
「ええ、そうだけど、それが何か?」
彼女との会話は終始、そんな調子だった。それでも俺がめげることがなかったのは、ただ若かったためだろう。
阿見さんと結ばれることで初めて俺の〝世界〟は完成する。後に冷静になれば、近視眼極まりない自己中心的な〝絶対感情〟でしかない膨大なエネルギーの塊が、俺が生きていく原動力になっていたのだから恐ろしいものだ。
7.パラレルワールドの混線?
夏休み前、俺は阿見さんがある年上の男と交際しているという噂を耳にした。芸能・芸術関係者との交友関係に華を咲かせていた阿見さんだったが、その男は特に有名な人ではないようだった。必死に情報を収集しまくった俺は、その男がウェイターとして働いていた赤坂のカウンターバーに足を運んだ。営業時間終了後なのでほぼ朝になっていた。
別にその男に危害を加えるつもりなどなかった。ただ、顔だけでも見ておきたかっただけだった。今日も暑くなるな、とウンザリしながらも俺は、赤坂のカウンターバーの脇の路地に身を潜めていた。
1時間ほど経っただろうか、店から出てきた男を見た俺は、この男が阿見さんの交際相手だと確信した。根拠などない。直感だ。
それから数秒後、俺の脳内で、それまで感じたことのない衝撃が走り始めた。
(泉澤さんだ!)
泉澤さんとは、社会人となった俺が30歳のとき、スポーツジムで知り合った、俺より2歳年上の友人だ。
今、1990年に18歳の俺が、12年後の2002年、30歳のときに知り合った泉澤さんのことを憶えている。
パラレルワールドが混線しているとしか思えなかった。実は、過去・現在・未来という直線的な時間概念など、〝この世〟である三次元物質世界でしか通用しないことを後になってから知ったのだが。
すると、また俺の頭に別の記憶が蘇ってきた。2002年に泉澤さんと会った俺は、1990年に泉澤さんが阿見さんと交際していたことを聞かされ驚愕した。もちろん、俺にとって阿見さんへの想いなど、とっくに終わってしまった過去の想い出以上でも以下でもなかった。そんなことより、ただただ人の縁の不思議さに驚いたのだった。
「あのとき、阿見さんと付き合っていた男が泉澤さんだったなんて!」
泉澤さんも俺と同じように驚いていたのは言うまでもない。
「冴木君があの大学の心理学科出身って聞いてね、何かピンとくるものがあったんだよ。歳も俺の二つ下でしょ」
俺は当時の二人が俺のことを話題にしていたかどうか気になった。
「泉澤さん、彼女は俺のこと話題にしていましたか?」
「さあ、どうかな? 俺は覚えてないね。何しろ当時、彼女に言い寄る男は数知れず、だったからね」
それを聞いた俺は、ガッカリした半面、安心もした。なぜ安心したかというと、俺のしつこすぎたアプローチが彼女を大いに不快にさせていたことを重々承知していたからだ。
だが、泉澤さんの次の言葉を耳にしたときは、背筋を冷や汗が流れたような気持になった。
「あ! そういえばさ、ある夜、彼女のマンションに泊っていたとき、電話が鳴ってね。彼女はすぐに切ったけど、かけてきた相手を聞いたらね、広告研究会の同級生からだって言っていたことがあったね。あれ、冴木君だったのかな?」
泉澤さんが笑いながらこう言ったのを聞いて、俺はぎくりとした。広告研究会の同級生で彼女に積極的にアプローチしていた男を俺は知らなかったからだ。もし、俺が知らないだけで他の同級生の男が彼女のマンションに電話をしていたとしても、実際に電話をかけたことのある俺だった可能性は極めて高かったのだ。
だが、全てはもうどうでもいい過去のエピソードだ。俺も笑って答えた。
「あ! そうでしたか! あの夜、俺が電話したとき、彼女の傍らには泉澤さんがおられたのですね! ハッハッハッハッハッハッハ!」
そんな2002年の記憶を、1990年の〝今〟、カウンターバーから出てきた泉澤さんの姿を見て思い出したのだ。
パラレルワールドの混線としか考えられなかったこのときの俺は、赤坂の喫茶店に入って、アイスコーヒーを飲みながら頭の中を整理した。
複数のパラレルワールドを移動しながらも、52歳の俺が保持している記憶はそのままだ。これはつまり〝3.5次元〟の世界、物質的ではなく、非物質的な肉体で生きているこの世界というのは、少なくとも三次元物質世界よりも上位のレイヤー(階層)にあるということになろう。たしかガイド君もそう言っていたなと。
だから、三次元物質世界の時間を超越した意識(思考・感情・記憶)のまま〝今現在〟を生きていける。そういう仮説、いや結論に辿り着いた。
血気盛んな十八歳の俺の盲目的な片想い。近視眼的な〝絶対感情〟を成就させようと(決して成就などしないのだが…)、嫉妬の炎に身を焦がしながら、破滅的な行動をとることに追い込まれるというこのパラレルワールド。そのままでは最悪、俺は泉澤さんを殺害するところまで追い込まれていったかもしれない。
ところが〝3.5次元〟の世界における俯瞰的な〝未来の記憶〟に助けられて、悲惨な結果は回避できた。俺はホッとした。〝完全ごっこ〟の罠から逃れられたのだ。何も小説や映画のように、ドラマチックで悲劇的な結末を迎えるだけではなく、こんな魔訶不思議なこともあるのだなと。それにしても、ガイド君はそんなこと言ってなかったよね?
8.よくもまぁこんなにパラレルワールドが
1990年、18歳の俺は泉澤さんを〝発見〟したことで、破滅的な〝絶対感情〟を追求する行動をとることなく、速やかに別のパラレルワールドにワープした。もちろん、自分の意思、顕在意識に促されたワープではなく、よくわからない高次元の〝意思〟のようなものに操作されているような感覚だった。
それらのパラレルワールドは、過去の自分が選ばなかった選択、自分が選択したのか選択しなかったのか記憶のないものを含めて、膨大な数に及んだ。この体験をする前に知ったにわか知識でも、パラレルワールドの数は無限というのはわかっていたはずだが。
しかも、俺の人生における分岐の起点は乳幼児期にまで遡っていた。自ら選択でいるという自我を持つ以前から、両親や親戚や近所の人達など、自分を育ててくれた人達の選択によって、自分の人生、つまりパラレルワールドが分岐していたのだ。例えば父親の転勤地が別の県だったらとか。これでは無限になるはずだ。
中学生のとき、もし陸上部を辞めていなかったら? という岐路だけでも、その後の人生は大きく変わっていたり、もし志望していた高校への進学が叶っていた場合、自分の人生は大きく変わっていたはずだと確信していても、そんなに変わってかったりして力が抜けたりもした。
数多くのパラレルワールドを体験した俺だったが〝3.5次元〟に魂がある状態で、52歳の俺の意識(思考・感情・記憶)からメタ認知ができたことも不思議だった。各パラレルワールドにおいて俺は〝二重の自己〟を体験できたわけだ。
となるとある疑問が生じてくる。この〝3.5次元〟というのは、一般的な現世、つまり〝この世〟ではない。〝この世〟と同じように肉体はあるものの、物質的な肉体ではなく非物質的な肉体なのだ。だから、食欲が湧いて食べ物を食べても、物質としての食べ物を食べるわけではない。他人に刃物で刺されても、痛いという感覚を味わうものの、〝この世〟のように肉が裂けて血が流れることはなく、すぐに〝回復〟して別のパラレルワールドにワープしてしまう。
つまり、今、俺は〝幽界〟におり、〝この世〟という三次元物質世界の基準では〝死んでいる〟ということだろう。果たして俺は、ガイド君が言っていたように、いずれ〝この世〟である三次元物質世界に帰れるのだろうか? 少し不安になってきた。
しかも、今、俺が旅をしているパラレルワールドは、ただのパラレルワールドではない。〝絶対感情〟を極めるという特殊な世界なのだ。自分にとってでも相手にとってでも〝絶対感情〟によって導かれる結末は激しすぎて疲れる。高みから眺めていれば、とてつもなく面白いエンタテインメントなのだろうが、役者のように、いや、実際の役者として演じさせられる方はたまったものではない。今の俺の場合、必死に演じる自分と、そのシーンを斜め上から俯瞰(メタ認知)するもう一人の自分という〝二重自己〟で体験しているわけだが。
ま、こういうのって誰もが簡単に体験できることではないだろう。パラレルワールドに慣れた今だから、俺はそこまでの余裕を持てるようになったのだろう。
9.未来のパラレルワールドに来ちまった
過去・現在・未来。こういう直線的な時間概念があるのは、〝この世〟、つまり三次元物質世界だけだということは、数えきれない程の書籍・動画・ブログなどを通して語られている。そう考えると、不思議なことは何もないのだが、実際に〝未来〟のパラレルワールドに移動するというのはとても奇妙な感覚だった。
今度、俺がワープしてきたパラレルワールドは2030年。52歳のはずだった俺は58歳になっていた。
俺がマーケティングの仕事を始めたのは28歳のときだった。それまではある金融機関に勤めるシステムエンジニアだった。今思うと、大した理由もなくシステムエンジニアを辞めた。所謂、コンピュータの「2000年問題」とは全く関係なかった。
今度のパラレルワールドは、もし、俺が2000年にシステムエンジニアを辞めることなくそのまま続けていた場合、しかも2030年という〝未来〟だ。
どうやら俺が勤務し続けていた金融機関のシステム部門は、2008年のリーマンショックを乗り切った後、本社から子会社として分離・独立し、同じようなシステム構築・運用を主業務とする企業と合併したようだ。
さらに2020年代には、AI開発のスタートアップ企業を吸収・合併、同じようなAI開発企業との資本連携も行い、従業員数200名を超える規模の企業となっていた。そして俺はその企業の常務取締役となっていたのだ。
2000年には渋谷区富ヶ谷に本社を置いていたその企業は、数回の本社移転を経て、2030年現在、JR渋谷駅と直結した渋谷区道玄坂の高層ビルのワンフロアというロケーションだった。
2010年代に吸収・合併したある企業の経営幹部に饗庭という男がいた。饗庭は俺と同じ歳で、やはり俺と同じく文系の出身だった。そればかりか、ポストモダン系の文学・音楽という好みも一緒。俺が饗庭と公私ともに親しくなったことはいうまでもない。最初は一般的な知名度が高かったマイケル・サンデルや村上春樹の書籍の話から始まり、徐々にディープな現代思想や哲学書の内容を語り合うことが、俺にとって密かな愉しみとなっていった。
まだ饗庭と、オフでの付き合いを始めたばかりの頃のことは忘れられなかった。それは2012年の春のことだった。確か金曜日の夜、場所は赤坂のカウンターバー。そう、別のパラレルワールドで大学生だった俺が恋焦がれていた、阿見さんの彼氏(泉澤さん)が働いていたカウンターバーだった。膨大な数のパラレルワールドを体験してきたからわかったわけで、このパラレルワールドに限定すると2012年の春、饗庭と一緒に飲んでいたカウンターバーに寄ったのは、俺にとって初めての経験だった。
饗庭は俺にこう聞いた。
「冴木さんは村上春樹の『アンダーグラウンド』読んだ?」
「うん、読んだことあるよ。やたらと長いノンフィクション、それもインタビュー集だったよね。今、やたらと長いって言ったけど、作家の本音としては、その何倍、何十倍のボリュームになるぐらいの情報を記録したかったのだと思った」
饗庭は肯いた。
「なるほど」
今度は俺が饗庭に聞いた。
「『1Q84』のほうはどう思った?」
饗庭は答えた。
「フィクションとしてはそれなりに楽しめた。手に汗を握るようなシーンもあったしね。それよりも村上春樹の場合、デビュー以来、表層的な現象とか流行ではなく、人間の陰陽という本質を体現している社会現象や社会構造を重要なテーマとして、小説に〝埋め込んで〟いるんだ。社会問題とか興味のない読者に対しても、深層心理のどこかに〝魚の骨のような違和感〟をひっかけようとしているように思えた。そうだね、俺が勝手に定義するとね、その〝魚の骨のような違和感〟こそ、村上春樹の小説の設計思想、小説のアーキテクチャだね」
饗庭とは話が合いそうだとピンと来たのはこのときだった。
饗庭は続けた。
「そういうフィクションは俺も好きだけどね、それでも『アンダーグラウンド』のほうに生理的に惹かれる、というか、自分がやってきたいことのベースに近いと感じているわけ」
「どういうこと?」
俺が饗庭の言いたいことを理解できないのは当然だった。なぜなら、饗庭の〝やっていきたいこと〟など聞いたことはなかったからだ。饗庭ははっきりとこう答えた。
「グーグルは世界中の情報をデータベース化しているよね。それはグーグルに任せておけばいいんだけど、俺は人間の心理とか哲学をはじめとしたあらゆる叡智、もちろんポジティブな叡智だけではなく、ネガティブな経験まで含めたデータベースがあればいいと思っているわけ。もちろん自分一人で創るのは無理だけどね」
それを聞いた俺は驚くしかなかった。
「ネガティブな経験も?」
「そりゃそうだよ、俺たちが知ることのできる人類の歴史では、たった一人の孤独感、猜疑心、嫉妬心から始まって集団間の争い、戦争などの悲惨極まりないネガティブな悲劇のほうが遥かに多かったことは想像がつくよね?」
「それは、わかるけど……」
饗庭は戸惑う俺を気遣うことなく、持論の一端を解説した。
「俺が考える膨大な知のデータベースがAIに装着、というか、アナログな人間ではなく、デジタルなAIが知のデータベースとつながっていれば、どんなに面白い世の中になるか。さらに進化したAIと人間のインターフェイスも整備されていくのが楽しみだ。今の俺達が生理的に感じるだろう違和感などないようにね……」
饗庭の発想自体には、特に目新しさなど感じられなかったが、いざ現実化することを想像すると、壮大な事業であり、その内容に興味を感じる人にとっては、とてつもなく面白いビジョンなのだろうと思った。
「話を村上春樹に戻すとね、冴木さん、実体験の膨大なインタビューのデータベース。これだけでも人類にとってかけがえのない財産になるんじゃないかと思うんだ」
村上春樹とAIの往還。饗庭という男は面白いと、俺は心の底から思った。
さらに饗庭は語った。
「ノンフィクションとしての『1Q84』、それはそれで面白かったとさっき言ったよね? でもノンフィクションには作家の主観をベースとした解釈・価値判断が入ってしまう。だから知のデータベースは、全てノンフィクションで構成されなければならないわけ。例えば昨年の『3・11』に関する膨大なデータベースを構築するにしても、ただ客観的なファクト、事実だよね、それとバイアス(偏り)を弱めるためにも、様々な立場と考え方の人達のインタビュー内容やコメントを蓄積するだけでいい。解釈のほうはね、知のデータベースにアクセスして情報をインプットした人間が解釈するか、AIが人間に替わって解釈し、複数の答えの選択肢を提示すればいいというわけさ」
この夜の俺と饗庭の会話は、酒を飲んでいたこともあり、プライベートの席での雑談にすぎなかった。が、それでもオンとオフという区別のない世界での、饗庭という人間の価値観のベースは、俺の心に刻み込まれたのだ。
10.厄介な近親憎悪
そんな饗庭と俺がタッグを組み、会社を発展させていった、と都合よくいかないのがこの三次元物質世界の常ということだろう。だから面白いのだろうが。もちろん、AIの先端的テクノロジーと、高度なマーケティング・メソードをコア・コンピタンスとした会社の業績は順調に推移していた。大学発のスタートアップへの支援を行う余裕もあった。
ただ、社内的には2020年、ともに常務取締役に就任した俺と饗庭の二つの派閥が何かといがみ合い、対立を繰り返すという社内文化が醸成されていった。
2012年の春、赤坂のカウンターバーで互いに打ち解けてから7年後の2019年、つまり平成から令和に遷った頃のこと。あるプロジェクトのリソース配分を巡り、俺と饗庭は激しく対立することとなった。
その対立は二人だけの問題ではなかった。互いに別セクションの事業部長として現場を統括していた俺達は、社内を二分する派閥を形成していたからだ。企業社会における派閥の問題は、たとえ従業員数が2桁でも、俺たちの会社のような3桁でも、一部上場企業でも本質的に変わることはない。
ただ、企業規模が大きくなれば派閥の数も多くなり、派閥間の構造、つまり力関係が複雑になるだけのことだ。
俺は変わっていなかったし、饗庭も変わっていなかった、と俺は思っていた。だが、人間としての趣味・嗜好と生活価値観が似ている相手との間で、最初、うまく付き合えても、次第に似ているがゆえに、微細な差異がやたらと気になってしまい溝を深めてしまう。
自分と相手が似ているからこそ、自分自身では認めたくないばかりか抹消してしまいた〝嫌な自分〟が、相手の中に鏡のように映し出されてしまう。心の底では相手に惹かれているからこそ、相手が自分以外の人間と親しくすることへの嫉妬が醸成されてしまう。
俺はいつの間にか、饗庭に対するそんなこじらせた感情に憑りつかれてしまい、もはや修復不可能な精神状態に自らを追い込んでしまったのだ。それは饗庭も一緒だったかどうかはわからなかった。
俺と饗庭以外の役員、そしてCEO、CFOは親会社の出身だった。皆、トップ層であるのにもかかわらず、俺と饗庭に分かれた二つの派閥に対しては〝中立〟の立場をとっていた。
むしろ社内の二派閥が競い合うことで結果的に全社の利益(全体最適)になればいい、という昭和の保守政権政党のような考え方ゆえのようだった。もはや、政界でも企業でもそんな時代ではなくなったとは思うのだが。そう思えるのもこうして俯瞰してパラレルワールドを体験しつつ見ているからだ。
実際、組織の中で派閥に身を置くことは心地よかったことも確かだった。三次元物質世界という波動の低い世界では、その低い波動のことなど意識することなく生きられれば幸せなのだ。それこそ〝この世〟でのデフォルトである態度なのだろう。組織・集団への帰属というポジティブな安心感。「マズローの欲求五段階説」の「所属」の段階だ。それは社会的欲求ともいわれている。この「所属」の欲求の上位にあるのが、「承認」そして「自己実現」の欲求だ。
ともあれ、「所属」という社会的欲求は、その外部に〝敵〟を策定することで内部の結束を強化することは、人類史における教科書的といってもいいほどの事実だ。どんな組織であれ、派閥を形成することは〝人間の不完全さ〟をわざわざ味わって堪能するこの三次元物質世界における快楽であるといっても過言ではないだろう。もちろん、そのネガティブな側面も内包した上でのことだ。
一般的にどんな組織でも各派閥の間では、利害関係を巡る争いが対立のコア(核)となることはいうまでもない。だが、派閥間の利害対立のみが原因であったならば、派閥争いの醜さも快感もないだろう。
俯瞰すれば極めて次元の低い感情的な振舞いであっても、その当事者にとっては、それはそれで面白い。だから、派閥を否定することもあるまい、というか、メタ認知的視点から否定しようとしても、〝現実〟の中でがんじがらめになってしまっているのだから仕方があるまい。
11.結論は同じでもプロセスの違いが許せない
俺が統括しているセクション、饗庭が統括しているセクションは別セクションながら、ともに、ニューラルネットワークの発展形であるディープラーニング(深層学習)の開発をコア事業としている。ニューラルネットワークの基本とは、人間の脳の構造と機能そのものだ。
そんな訳で饗庭のAIについての基本思想、設計思想(アーキテクト)は、人間とその脳は〝完璧な存在〟であるということだった。そこが俺とは正反対だった。俺は人間とは〝不完全な存在〟であると考えていた。それが俺の基本思想、設計思想(アーキテクト)だ。
2020年代、つまり令和になってからのことだったが、俺は饗庭と二人だけで渋谷・神泉のバーで飲んだことがあった。対立派閥の長同士でも俺たちは、年に数回はそんな席を設けていたのだ。
飲み始めてから一時間程経った頃、俺は饗庭にこう切り出した。
「かつて俺たちは哲学、文学、心理学で興味の尽きないテーマについて議論したり情報交流をしてきたけどね。いくら会社の業務というパブリックな世界のこととはいえ、饗庭が人間を〝完全な存在〟と規定することがね、俺にはどうしても納得できないんだよ」
右手で握ったロックのグラスを口元から離した饗庭は、軽く冷笑しながら答えた。
「俺の基本思想がどうであれ、そうやって自分の思想と正反対の思想に対して、目くじらをたてる、冴木のそういうところがわかってからね、俺はお前と段々距離をとるようになったんだよ。それはお前の方でもよくわかってくれたような気はしたのだけれどね…」
こうなってしまうと、修復は困難だ。論点が多岐に渡ってしまうであろうことも容易に想像がつくからだった。
それでも俺は最初に切り出した論点に沿って話を続けた。
「俺たちが初めてこんな話をしたとき、饗庭は〝知のデータベース〟の概念について語ってくれたよね?」
しばらくの沈黙の後、饗庭は答えた。
「そんな、こともあったかな?」
話を逸らしたい意図が垣間見られた饗庭に構うことなく、俺は続けた。
「〝完全な存在〟である人間でも、脳の容量と機能・スキルには限界がある。だから、AIによって補完するという基本思想はよく理解できる。だけど、どうしても俺には、饗庭が人間を〝完全な存在〟であると規定することが納得できなかったのだよ」
今度は呆れた表情で饗庭が答えた。
「だからさ、それは冴木の思想であって、どうして俺が冴木の思想と同じでなければいけないわけ? それはお前の自分勝手さ以外の何物でもないし、どうしても俺の思想が理解できないとしたらね、冴木の思考の枠組み、スキーマだよね、スキーマの柔軟性がなさ過ぎて硬直しているということじゃないかな?」
饗庭のロジックは理解できた。やはり、自分では制御することが難しい感情という奴が、俺の思考の柔軟性を奪っているのかもしれない。饗庭は容赦なかった。
「人間を〝完全な存在〟と考える俺の思想はね、完全ながらも自らの能力が及ぶことのない領域を抱える人間をサポートするのがAI、という極めてシンプルなものだ。それに対して冴木の思想は、〝不完全な存在〟としての人間を、やはりサポートしてくれるのがAIということだろ? 俺と冴木の人間観が正反対だとしてもだよ、AIが人間に果たす役割ということでは、全く変わりはないと思うのだがね」
その饗庭の指摘にも俺はグウの音も出なかった。饗庭はさらに畳みかけてきた。
「結局さ、そういう大局からずれた視点で、自分の思想を頑なに守ろうとして、近視眼的になって、微細な差の存在が許せなくなる。それって神経、いや精神的な疾患につながりやすい危険な性格かもしれないね」
12.死んでは元も子もない? それとも、ある?
今や〝論破〟などの時代ではない。令和になってからも一部の論者の間で話題となった論破だったが、基本的には昭和の遺物だった。にもかかわらず、そんなことにはお構いなく、その日の夜、俺は饗庭に完璧に論破されてしまったわけだ。
だが、論破されたからといって、「はい、そうですね」と自らの考えを修正するわけにはいかないのが、社内の力関係まで内包せざるを得なかった俺の価値観だった。
たとえ社内でのAIの設計思想を決めるのが俺であれ饗庭であれ、事業におけるAIの位置づけは何ら変わることはなかった。俯瞰どころか冷静に考えただけでも、「それって同じじゃーん!」の一言で済んでしまうのだ。饗庭の言った通りだ。
それでも、頑なに自分の思想に固着し、自分とは異なる饗庭の思想を否定したがって止まないのが俺の衝動だった。それこそ〝絶対感情〟の追求をモチベーションとした〝完全ごっこ〟なのだ。たとえ辿り着くゴール・結果が同じであったとしても、スタートの基本思想から事業全体の結末まで100%、自らの思い通りで進まなければ意味はない。
ちょっとした齟齬があるだけで、堤防の決壊を促すかのような決定的な水漏れとなるのだ。我ながら人間っていうのは実に厄介でお馬鹿な存在、いや、俺だけか?
愚かにも自分で蒔いてしまった不毛感に苛まれながら、俺は饗庭との派閥争いのスパイラルの中でもがいていた、いや、別の一面では楽しんでいたのかもしれない。
だからそんな観念の内部での葛藤など関係なく、俺と饗庭の派閥がいがみ合いながらも、会社の取引先数は順調に伸び、売上高と利益高も二桁の伸長という結果を更新していった。
ところが、世の中、想定外の事態により右往左往させられるのが常のようだ。
2030年9月のある朝、出社直後、俺は饗庭の死を知らされて愕然とした。長期休暇を取りバケーションに出かけていた沖縄の海で饗庭は、ジェットスキーの操縦中、他の小型船舶に衝突して還らぬ人となったのだ。あまりにあっけなかった。こうなると不思議なもので俺は、長年の派閥争いの当事者だった饗庭の死が、俺の心に大きな穴を開けたことに気がついた。
それから1週間後、俺は饗庭の告別式に参列した。お清めの席で饗庭の右腕だった相馬というシニアマネージャーが俺の隣の席に着いた。対立派閥といっても饗庭とはオフに密かに飲むこともあったが、俺は相馬とはロクに口をきいたことさえなかった。
俺のグラスに瓶ビールを注いでから相馬は言った。
「冴木さん、改めてよろしくお願いします」
おいおい、もう派閥を鞍替えするのか? と一瞬、ギョッとした俺だったが、それは俺の早とちりだったようだ。
「饗庭さんは心の中の深いところで、冴木さんのことリスペクトしていたのは間違いありません」
「そうか、そう言ってもらえると嬉しい。どうもありがとう」
相馬は、今度は心配そうな表情で俺に尋ねた。
「これからどうなってしまうのでしょうか?」
「なるようにしかならないんじゃないかな?」
とっさにそう答えた俺は続けた。
「個人的にはね、かつて饗庭を同僚というだけではなく大切な友人と思っていた俺なので、先のことは考えたくはないのだけどね。社のことを考えるとそう悠長なことは言ってはいられないだろう。が、相馬君もよくわかっているとは思うけど、俺と饗庭の派閥の対立というのは、本質的に深刻な対立ではなかったはずだ。CEOだってそのことはよくわかっていて、意思決定においてどちらかの派閥に偏っていたとしても、最終的には社が危機的な状況に陥るどころか、業績が悪化することさえなかった。つまり、各論として社内でうごめいていた俺たちの対立が、総論としては全体最適に向かっていたわけだ。そういう意味で俺は〝なんとかなる〟と思っている。君たちの派閥のヘッドの饗庭が亡くなったことにより、今後、起きるだろう化学変化は、俺の派閥の内部でもね、起きるはずなんだよ。そうなると俺ものんびりとはしていられないし、饗庭の死の悲しみに浸ってばかりもいられない。そういう意味では相馬君、どんな事態が生起するかわからないが、とりあえず宜しく頼む! とだけは言っておこう」
そう言った俺自身、(何てまだらっこしいモノの言い方をしているのだろう……)と自分に呆れながらも、相馬のグラスに瓶ビールを注いだ。
饗庭の告別式から1週間後、俺はかつて饗庭と二人で飲んで議論をしたことのある渋谷・神泉のバーへ足を運んだ。今度は俺一人。一人でカクテルを飲みながら饗庭との想い出に浸っていた。
それまでの人生経験を鑑みると、もし饗庭が生きていた場合、俺か饗庭のどちらかが今の会社を離れて数年が経てば、派閥間で憎しみ合ったことなどどこかに吹き飛んで、知り合ったばかりの頃の親密な関係に戻れたのではないかと思えた。あれほど許せなかった相手の嫌いな部分など、どうでも良くなってしまう。そんなことは数多く経験してきた。自分の記憶で最も古いのは、高校生時代に組んでいたロックバンドだったと思う。バンド内では自分の自信のなさによる苛立ちの責任を他のメンバーに転化して、感情的に最悪の状態を招いてしまって脱退すると、間もなく何もなかったかのように友達付き合いができたことに自分で驚いたことが最初だった。
そんな昔の記憶まで手繰り寄ながら、あれこれと考えを頭に巡らせていた俺は、23時過ぎにバーを出て井の頭線の神泉駅に向かって歩き出した。そして神泉駅の改札が見えたとき、脳内の血液の流れが一瞬で止まった感覚に襲われ、そのまま意識が吹き飛んだ。
そして暗闇の中で俺は、社内派閥間での主導権争いにおける〝絶対感覚〟〝完全〟を求めてやまない〝病気〟が、このパラレルワールドでは、饗庭と俺の死によって、悲劇的な結末を迎えずに済んだということを認識した。
暗闇の中にいる俺には、肉体の感覚などない。物質的であれ非物質的であれ、肉体の感覚がないとは、軽いということだ。
やがて暗闇に眩しい一筋の光が差し込んだかと思うと、雲一つない夏空が現われ、手前に南アルプスの甲斐駒ヶ岳、奥に北岳の山容が姿を現した。甲府盆地の底から眺めるよりも、ここから眺めた山容のほうが俺は好きだ。
俺は自分が甲斐小泉の上空にいることに気がついた。そして緑の雑草が生い茂る庭に、うつぶせに横たわる一人の男、そう、俺は抜け殻となった俺の物質的な肉体を眺めている。何ともまぁ、ぶざまなもんだぜ、と笑いがこみあげてきそうだ。
たしかガイド君は、俺の気が済めばパラレルワールド遍歴がエンドとなって、甲斐小泉の俺の体に戻れると言っていた。いい加減な奴だ。これだからスピ系の奴らって信用できないんだよな。
でも正直、ここまで多くのパラレルワールドを巡りに巡って、色んなことがわかっちゃうとね、今更、まるで重くて仕方のない鎧のような肉体の中に戻って、三次元物質世界の〝この世〟に戻る意味も意義もないことが実感できるんだ。
もし今、ここにガイド君がいたとしたら、間違いなくそう言っただろうし、そのくらいのこと、俺がわかっているからこそ、ガイド君はここに居ないのだろうね。どこかで見守ってくれているとは思うのだけど、冷徹にコスパを追求する奴だ。それも俺自身か。
そんな俺の記憶の底から浮かび上がってきたのは、夏目漱石『吾輩は猫である』の最後のセンテンスだった。「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という最初のセンテンスは有名すぎるが、最後のセンテンスを知っている人はほとんどいないよね、と〝この世〟の最後の最後にマウンティングさせてくれ。
吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。難有い難有い。
(『吾輩は猫である』夏目漱石 著、新潮文庫545ページ)
すると、眩いばかりで、〝この世の肉体の脳〟なんぞでは決して認識などできないであろう美しい、いくつもの光の球が現われると同時に、光の道が俺の前に現れた。
了
