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イノベーションと室生犀星《ショートショート》

「それでは、発表はここまでとさせていただき、これから発表者の皆様によるフリーディスカッションを始めます」

 2027年7月のある日、『2030年代のイノベーションを展望するマーケティングセミナー』(@東京国際フォーラムhallA)は、最後のディスカッションとなった。今回、発表者としてお呼ばれに与った私、紫藤健(たける)も客席向かってステージに並べられた長テーブルの椅子に座った。

紫藤健しどうたけしさんは、外資系大手消費財メーカー□□□□□に入社後、マーケティング業務では、消臭剤○○○○○○のブランドマネージャをはじめとして……」

 自分では聞き飽きた私のプロフィールが、他の3人の発表者のプロフィールとともに、改めて司会者によって紹介されるのを聞き流しながら、何となく感じていた居心地の悪さのためか、私は早くも、机上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルの薄緑色のキャップを外し、一口二口、のどに流し込んだ。
 転職にも飽きてフリーランスになり還暦が目前。それでも同業の先輩に勧められて出版にこぎつけた書籍の効果もあって、何とかこのような晴れの場に呼ばれている。ありがたいと思わないとね、と、感謝しているつもりなんだが……。
 
 フリーディスカッションが10分程続き、質問コーナーとなった。20代後半か30代前半くらいの女性が私に質問してきた。長年の経験からおおよその質問内容は予想できたが、彼女の質問は、今まで私が受けて来た質問とは趣を異にしていた。

「本日は貴重なお話、どうもありがとうございました。紫藤さんにとってのイノベーションの座右の銘がありましたら、教えて下さい。できれば文系の私にもしっくり理解・吸収できることでしたら、ありがたいのですが」

「どうもありがとうございます。それでは紫藤さん、よろしくお願いいたします」

 司会者からバトンを渡された私は、微かに面白そうだと思った。

「ご質問ありがとうございます。そうですね、しっくり理解・吸収していただけるかどうかは保証できませんが(笑)。一つ目は釈迦に説法かもしれませんが、水平思考でしょうか。文系の皆さん、実は私も文系出身なんですが、いかにも文系っぽい事例は、2009年に出版されベストセラーとなった〝もしどら〟、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』でしたっけ? 経営学書とマンガ、学者と女子高生を結合させた、典型的な水平思考ラテラルシンキングの見事な成功例でしたね。二つ目はさらに釈迦に説法どころかステレオタイプすぎるのですが、それでも重要なこととは、常識の転覆です。よくわかる例はまず無印良品。まだバブル経済前、記号消費とヴェブレンの顕示的消費の黄金期だったのにもかかわらず始動した無印良品は、ブランドを主張しないことの価値を訴求しはじめました。その〝ムジ〟を更に純化させたのはユニクロですよね。2000年代前後、アパレル業界でSPAが台頭し、ユニクロのフリースが大ヒットしたとき、国内の百貨店陣営はまだ、〝ユニクロはブランドではない〟と口を揃えていました。ところが現在、ノンブランドを極めることで強烈なブランド、しかも従来とは違った意味での〝LifeWear〟というコンセプトを確立しました。他にも、お菓子からコミュニケーションツールへ転換させたネスレさんのキットカットのように、数え上げればキリがありませんけどね」

 それくらいのこと、わざわざこんな晴れの席で教えれ貰う程のことではあるまいと私は思っていた。それでも、まだ私は止まらなかった。本題はこれからだったからだ。

「三つめは、そうですね、常識の転覆の進化系で、こんなこと言うのは私ぐらいでしょうか(笑)。コテコテの文系の話です。私は大学の学部生の頃、文芸批評家の奥野健男の『間の構造』という本を買いました。その本は、室生犀星むろうさいせいの『抒情小曲集』に収録された『寺の庭』という詩の引用で始まります」
 
 つちすみうるほい
 石蕗つはの花咲き
 あはれ知るわが育ちに
 鐘の鳴る寺の庭
 
「普通、〝水が澄む〟とは言っても〝土が澄む〟とは言いませんよね? 私はこれをイノベーションの暗喩にもなると考えています。〝あり得ない逆の発想〟ということです。過去の成功事例としては、徳島県上勝町の葉っぱビジネスですね。いろどりという会社の。過疎化と高齢化が進む〝土〟、つまり泥臭い現実の中から生まれたイノベーションでしょうか。ただの葉っぱに高い付加価値をつける。料亭の料理を彩る〝つまもの(葉っぱや花)〟に価値を見出し、地域の高齢者が主役に躍り出ました。ご存知でしょうか?」
質問者の女性は、まさかの切り返しに少し驚きつつも、しっかりとこう返してきた。

「はい、学部の授業で学びました。今のお答、私もよく理解できます。土という共通項もお見事ですね。それでは、今後〝土が澄む〟に象徴される、どのようなイノベーションが想定できますか?」

「とてもエクセレントなご質問ですね。思いつきにくい逆転の発想といいましょうか、まず思い浮かぶのは、未来のAIです。膨大な情報の海の中、より賢い回答を導出するという方向性で進化してきたAIですが、これまでとは逆に、溢れかえるデータをAIが自発的に消去・忘却することで、情報空間を整理する。つまり、ネットワーク上のノイズや不要な因果関係を瞬時に相殺する、つまり澄ませるというコンセプトが思いつきますね。その目的の一つは、ノイズによって遮られていた、生身の情緒や思索の時間を、自動的に取り戻すことです。現在のAIのアウトプットには、まだまだ膨大なノイズによる弊害が数多く見られますから」

 賢明な質問者の女性が、私の回答に納得してくれた手応えは感じた。
 
 そのイベントが終わった週末、私は甲斐小泉の別荘で過ごしていた。
 梅雨が明けた七月の陽光をパラソルで遮りながら、チェアに座りビールを飲んでいた。

(あーあ、マーケティング界隈で偉そうにたれるご託宣たくせん。いい加減、嫌になっちまうぜ……。土が澄んで潤うだと? そんなのただの隠喩メタファーだよ。実感できるとしたらね、とても高度な次元での悟り、いや、どうかな? この世の生を終えて物理的な肉体から離れるときでもこなきゃ、わかりゃしねーって。室生犀星はたまたま一瞬だけ、そんな境地に達したのかもしれないね……)
 
 そう頭の中で呟いた刹那、別荘の庭の土が〝澄んで〟いることが、五感ではない別の感覚で認識できたことに私は驚いた。
 数秒後、別荘の庭の上空に浮かんでいった私の意識(?)は、ぐったりとチェアに身を置いて、右手にビールのグラスを持ったまま、呆けた口を開けた私の肉体、抜け殻を眺めながら、八ヶ岳に向かい昇っていった。
              了
《参考文献》
『間の構造: 文学における関係素』(奥野健男著、集英社、1983年1月第一刷) 

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