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調子が悪い時は美術館へ出かけてみよう その2

続けざまに投稿しますが、前回に引き続き、調子が悪い時は美術館へ その2です。

仕事上の怒りが腹の中で渦巻いていたこの1週間。残業続きで疲れているのにイライラして夜もろくに眠れず。せっかく週末を迎えたというのに、汚泥のように怒りの感情が心にこびりつき、土曜の朝は悪夢で目が覚めました(猫が私の上で寝ていたからかもしれません笑)。

この罵詈雑言渦巻く心を浄化せねば、と週末は美術館に行くことにしました。

前から行こうと思っていた東京ステーションギャラリーで開催中の「タピオ・ヴィルカラ 世界の果て」展へ。美しいガラスを見ていたら心もクリアになるかもしれません。

タピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala)は1915年、フィンランド南部の港町ハンコで生まれました。美術を学んだのち、イッタラ社のデザインコンペで優勝、その後40年に渡りイッタラ社のデザイナーとして活躍しました。 
今回の展覧会はタピオ・ヴィルカラの日本初の回顧展だそう。

ヴィルカラがラップランドの大自然と向き合う中で生まれた数々の名作とともに、アラビア製陶所のセラミックアーティストとして活躍した妻、ルート・ブリュック(Rut Bryk)の作品も展示されていました。

最初の方に展示されていたライオンをモチーフとしたブリュックの作品や、ヘルシンキのオフィスの扉(木材を組み合わせた扉)で、「ひゃ〜これは私の好みど真ん中ではありませんか」となってしまいました。

ガラス作品も美しくて面白くて。氷や水面の波紋、キノコ、地衣類などに着想を得た作品は、ヴィルカラがラップランドの自然を観察する中から生まれました。なんだろう、このクリアな感じは。

単純に自然を模したのとは違う。単に自然を模しただけではそこには人間の意図を強く感じます。

展示室の壁のところどころにヴィルカラの言葉が書いてあったのですが、作品がどうやって生まれるかについてヴィルカラはこう考えていたそうです(ミュージアムショップで購入したヴィルカラの本にも書いてあったので、そちらから引用しました)。

アイディアは大概偶然から生まれ、意図したものとは全く別のものから飛び出てくることもある。物質は常に可能性をもっている ー まるで何かを生み出してくれと自ら促しているかのようだ。物質はどこかしら自らの法則に従おうとする。芸術家の使命とは、それを目的地へ到達するように導くこと。これが私の理解だ。

『Tapio Wirkkala タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』72ページより引用

自分の手で素材に触れ、素材の出方を見極めながら、素材の意図に気づき、それをキャッチして作品を作っていく。素材をコントロールするのではなく、素材の声を聞く。素材の声を聞くことは自然の声を聞くことでもあります。人間は一見、地球上のあらゆるものをコントロールしているかのようですが、人間がコントロールできるのは自分自身だけです(それすらも難しい)。物質も自然も他者も、人間が物質や自然から作ったものすらコントロールできません。

ヴィルカラが上記の引用のように考えるのは、ヴィルカラが身を置いた、ラップランドという大自然と大いに関係があると思いました。

ラップランドはフィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ロシアの4カ国にまたがる地域のことを指します。帰りにミュージアムショップで購入した『初めまして、ルート・ブリュック』で今村玲子さんが実際にフィンランドを訪れた時のエッセイが載っているのですが、タピオ・ヴィルカラとルート・ブリュックはフィンランドの北の方、イナリ湖という大きな湖の近くにある細長い湖(地図で見ると近くには数え切れないくらいの大小の湖があります)の湖畔にあるレメンスーという場所にサマーハウスを建て、そこで毎年6月から8月にかけて暮らしていたそうです。フィンランド語が読めず翻訳機能でも分からないのでGoogle地図を見ても分かりませんでした。

展覧会ではラップランドで過ごすヴィルカラの映像を見ることができましたが、映像で見るラップランドは美しい自然が広がっていました。人工物過多、情報過多の都会で暮らしていると、大自然の中に身を置く、という機会がなかなかありません。ラップランドの映像を見て、この自然の中に自分がいると想像すると(想像するのも難しいですが)、果てしなく広がる自然の中に本当に小さな小さな自分がポツン。頼れるものはこの小さな自分だけ。経験してみたいけど、すごく不安に駆られるんじゃないかと思いました。

ちなみにヴィルカラ夫妻が一緒に暮らしていたと思われる犬の写真もあり、やはり寒い地域にいそうなモッフモフの犬で、可愛かったです。あと映像で出ていたスモークサーモンがすごく美味しそうでした。

ヴィルカラの言葉ですごく印象的だったのがこちら。ヴィルカラにとってのラップランドとは、について語った言葉です。

ラップランドは、私のバッテリーを充電する場所になった。溺れたと気づいた時につかむ救命ロープにもなった。ヨーロッパの豊かさとその副作用のすべてや、エゴイズムと野心の汗のにおいに不安に駆られた時……溺れてしまいそうで、痛みが強い時、ラップランドへと逃げ込むのだ。私にとってそれは集中、そして生き延びるための手段になった。(1981年)

『Tapio Wirkkala  タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』115ページより引用

ラップランドはヴィルカラにとって、自分を保つ場所、自分の感覚を取り戻し研ぎ澄ませる場所だったようです。その研ぎ澄ませた感覚で自然を受容し、作品に昇華していったからこそ、あのクリアなガラスたちが生まれたのかもしれない、そう思いました。

そして、ヴィルカラの言う「溺れ」っぱなしになっているのに気づいていない自分に気づき、ゾッとしました。

ヴィルカラはガラスの他にも木材や銀、ステンレス、プラスチックなど様々な素材を扱っていました。面白かったのが(名前も)、puukko(プーッコ)。フィンランド語でナイフという意味だそう。写真や映像でもヴィルカラがナイフで木や食べ物を削ったり切ったりしている様子を見ることができました。美しい無駄のないデザインのナイフで、一度買ったら手入れさえきちんとすれば一生使えそうです。ニューヨーク近代美術館や各国の美術館にも所蔵されているそう。

プーッコ、響きが好きです。

最後はヴィルカラが生み出した名作、ウルティマ・ツーレ(Ultima Thule)シリーズのインスタレーションが。ウルティマ・ツーレ(「世界の果て」という意味)はラップランドの溶けていく氷をモチーフにしているそう。
イッタラのホームページによると、約400点のウルティマ・ツーレが使われているとか!

映えます

⇩イッタラのホームページ

ミュージアムショップでは『Tapio Wirkkala タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』と妻のルート・ブリュックの展覧会が開催された時(2019-2020)の『初めまして、ルート・ブリュック』を購入しました。どちらもBlue Sheepという東京・吉祥寺にある会社が作った本で、背表紙に紙を貼っていないので、本を広げたまま置いておけます。

左の鳥たちがラップランドの自然の中に置いてある写真があったのですが、
本物の鳥みたいで面白い風景でした。

さて、私の罵詈雑言渦巻く邪悪な心ですが、ヴィルカラの世界に誘われ見事に浄化されました。

見終った頃にはすっかり忘れていて(ということは書いている今は思い出しているけど、ちょっと皮肉な笑みを浮かべるくらいにまで落ち着きました←まだ怒ってるんかい)、近くの丸の内丸善にあるレストランでハヤシオムライスセットを食べお腹いっぱいになり、さらに丸善で面白そうな本を買って満足し、ついでに近くの三菱一号館美術館で開催中の「異端の奇才 ビアズリー展」も見て帰りました。ビアズリー展は特に好みの絵というわけではなかったのですが(しかも入場料の高さとヴィルカラ展の何倍もの人の多さにびっくり)、部屋を真っ暗にして蝋燭の灯りで書いたというその緻密で強烈な絵の数々に圧倒されてクタクタになって出てきました。単独で見るべき展覧会でした。私が一番好きだった作品は、一緒に展示されていたギュスターヴ・モローの《牢獄のサロメ》でした。《牢獄のサロメ》を見られただけでも行って良かったです。

撮影可で、わりと好きだったポスターを記念に1枚。

オーブリー・ビアズリー《「キーノーツ叢書」の宣伝ポスター》1893年(原画) 1966年(復刊)

調子が悪い時は美術館へ出かけてみようシリーズですが、ちょっと出かけてみたり、普段と違うことをしてみたり、やはり刺激は大事ですね。