レンズの向こうのまなざしが教えてくれたこと
序章|「写っていなかった私」に、会いに行く旅
ふと目にとまった、一枚の家族写真。
みんな笑っている。幸せそうだった。
でも、そこに“私”はいなかった。
あのときの私は、カメラの向こう側
子どもたちに声をかけながら、ピントを合わせ、
少しでもいい笑顔を残そうと必死に動いていた。
——そう。私はずっと、
家族の思い出を残す係だったのです。
気づけば、60代。
子育ても終わり、家の中は静かになった。
「これからは自分の時間を楽しもう」と思ったのに、
心のどこかがぽっかりと空いたまま。
そんなとき出会ったのが、亡き叔父が遺した膨大な数の、親戚中の家族写真でした。
叔父は昔から、親戚が集まるときには、いつも微笑みながらみんなを撮っていたのです。
縁側で割ったスイカをほおばる子供たち、ひさしぶりに顔を合わせてちょっと恥ずかしい従妹たち...
どれも特別ではない、何気ない日常。
でも、そこには...
叔父のあたたかい“まなざし”があふれていました。
ピントは甘くて、構図も整っていないかも…。
だけど、どの写真からも感じたのは——
「大切に見つめていた人が、たしかにここにいた」ということ。
写真の奥に、叔父のまなざしが見え隠れして——
涙が止まらなかった…。
シャッターの音に紛れていた、
静かで、深いやさしさが胸に沁みた。
そしてその瞬間、私の中の何かがほどけていった——。
ああ、私も同じだったんだ…。
子供たちが小さい頃の写真には、私はいつも写ってません。でも…、
”子供たちを見つめている私が、この中に一緒にいたんだ…!”と思えるようになったのです。
忙しさで後悔だらけの子育て期間も、写真だけは撮ってて良かった…。
あの頃の余裕のなかった私の背中を、いまわたしは優しく抱きしめていました…。
誰かのために必死に動いていた日々、
見えないところで手を動かし、想いを重ねていた時間。
それは写っていなくても、
**たしかに私がそこにいた証”**だったんだね…。
もし、今このnoteを開いたあなたが、
「写真の中にいつも自分がいない」と感じたことがあったなら——
きっとその奥には、
**いつも誰かを愛して、いつも誰かのために必死に動いて、
いつも誰かを思い続けている“あなた”**がいたはずです。
このnoteは、
そんな“見えなかったあなた”に
やさしく手を差しのべるために書いた物語です。
誰かのためじゃなくていい。
あなた自身のために、今日という日を残すこと。思いを残すこと。
その最初の一歩を、
一緒に踏み出してみませんか?
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!