【医師エッセイ】野口英世 遠き落日
『遠き落日』を読んだのは、大学生の頃に映画を見たとき以来です。私は医学生、研修医と8年間過ごした金沢の大学病院を3月で辞め、5月から東京の国立小児病院で研修することになっています。ただその前に、当時付き合っていた彼女と入籍し、4月の初めに新婚旅行で行きました。金沢から車で新潟を抜け、磐越自動車道で会津を目指します。長年過ごした金沢から、妻の実家のある富山。そして会津を目指す私は、これからの研修に向けて、覚悟を決めたかったという思いもありました。そうしなければ、これからのことに自信が持てなかったのでしょう。
「志を得ざれば再び此地(このち)を踏まず」
と実家の柱に刻んで上京した野口英世が、丁度私の今とあっているようでした。
この地から身体的な障害を持ちながら、学問を究める努力、そして逆境を跳ね返してハングリー精神で、駆け上がっていく姿がまさに映像のように思い浮かびました。
桜の舞い上がるこの地から、磐梯山を眺め、今から150年も前に生まれた野口英世は、いったいいつから、アメリカに行こうと思っていたのでしょうか? 彼の辿った道を歩めば、見えてくるのでしょうか。そんなことをふと思いました。
人からお金をせしめたり、ハッタリをかましたりしてでも、目的を探求し続けた野口英世と、対話しているような旅。野口英世記念館には生家が併設されています。その中で驚いたのが、意外なことに、等身大パネルで見た野口英世は非常に背の低い方ということです。あれだけのことをされた人物ということもあり、私はもう少し背丈の高い人を想像していました。身長と志に因果関係はありませんが、彼の見ていた世界に、私はなお興味を惹かれたのは間違いありません。
また会津にはおいしい海鮮料理屋がいくつもあり、野口英世もこりゃあハメを外すなぁとも思いました。短い期間の旅では、気になる海鮮料理屋を全て巡るなんてことはできません。そして、本当に美味しいと思ったお店であれば、何度も通いたくなるもの。そうしていると、一つのお店だけで何度も行きたくなるのですから、他の店に行きづらくなります。けど、他の店の味も気になる。というようなことをしていれば、ここにずっといたくなるというものです。
話しは変わりますが、私が5月から東京の病院に研修に出ようと考えたのには理由があります。自分が何者で、どこからきて、どこに行くべきかわからない気持ちがあったからです。医師としての道を進んでいますが、迷いはあるものです。なぜなら、認めたくはないのですが、自分じゃ何もできないという壁にぶち当たり、それを認めざるを得ない状況になったからです。
このままではいけない、という気持ちもありましたし、じゃあどうするのだというと、分からない。だから、東京の病院への研修を決めたのです。環境を変えて、気持ちを新たにして一から勉強をし直すように、本当に医師としてやっていけるのかという気持ちも含めて。私がどこまでできるかはわかりません。けれど、試してみないとわからないことは、やはりあると思っています。
そんな背景を抱えている私なので、野口英世が、どこまで自分のことがわかっていたのかも気になっています。全てわかって行動していたのでしょうか? それとも、やはり迷いながら、葛藤しながら人生を歩んでいたのでしょうか? 彼の辿った人生を見ていると、野口英世は母の支えと素晴らしい先生と出会いがあったからこそ、今も語り継がれる存在になっているように思えます。どちらか片方だけでは、きっと違った道を歩んでいたのではないでしょうか。
私はこれまで育ててもらった両親から自立して、新しい家庭を持つ助走期間に入りました。これからどうなっていくのかは、まだ見えていません。けれど、東京の研修先で教授に、「28歳の僕は、教授になりたいと思っていたけど、どうしたら教授になれるかわからなかったよ」と言われて、一つ答えが出た気がしました。
あれから数十年。思い起こせば当時は、小児神経科医として、もっと学びたいと思っていたけれども、わからないことばかりで辛くもありました。思いと実力が見合っていなかったのです。でも、何とかしたいと模索していた、あの頃。思い出したくもないけれども、あの思いがあるから今があると思い、忘れないようにしています。
そして、道に迷った時には、野口英世の地を訪れ、自分自身と対話をするようになりました。今の私にとっても彼は、変わらず道しるべとなってくれています。
