ちっとも真剣じゃなかったわたしたち
一日で日常が変わってしまったという経験を、多分わたしはしたことがない。
あれはそうなんじゃないか?
あの時起きたあの出来事はトラウマで。
わたしには重要でも、他人が聞いたらよくあるような悲劇のヒロイン話ならいくらでも持っている。
こんな悲しいことがあってね。
こんな酷い目にあったの。
許せないでしょう。
許さないの。
そう激昂するわたしは、口にできるだけでまだまだ未熟者だと諦めざるを得ない。
朝のニュースを、直視することができず自転車で仕事に行った。
この暑さの中で、同じ日本で生活している人が、昨日まではおかしくてたまらないね?と爆笑していたかもしれない人々が犠牲になっている。
憎むべき対象が手の届くところにあるのなら、ネットニュースを漁り、フェイクニュースに怒り、そことは別に動悸が止まらないだろう。
遡ること10年前の、わたしたち家族の会話を反芻する。
もし、災害が起きたらどこに集合しようか。
普段、夫は都内に。
わたしと息子、双子の娘たちはまだ中学生と小学生で、語り合った。
〇〇小学校の鉄棒の前ね。
校庭だと、みんな集まっているだろうからね。
分かりやすく鉄棒にしよう。
そして昨日。
家族で再確認をするとこにした。
夫は〇〇小学校の鉄棒の前?確かね?
と曖昧であったし、息子はそれさえも覚えていなかった。
双子の娘たちは、〇〇中学校だったと思うと口を揃える。
わたしは、わたしは。
鉄棒の前。
それだけ。
どこの小学校だか中学校だったのかさえも覚えていなかったのである。
あの時を振り返る。
わたしたち家族はちっとも真剣ではなかったんじゃないか。
決めておいて損は無いくらいの気持ちだったんじゃないか。
この辺は、大きな被害もでないだろう。
どこか他人事のくせに、しっかり募金や寄付をして、神様どうかお守りくださいと目を瞑る。
去年の夏、冷房が壊れたあの夏。
一晩が限界だと思った。
すぐさま家電量販店に走って命を繋ぐものを探し求めた。
先程まで、仕事をしていた。
自転車で数件回って、利用者さんのお宅でニュースを観ていた。
再び言葉にならないくらいの現実を目の当たりにして、目を背けるなよ、と心の中で言ってみる。
帰り道、わたしにできることってなんだろう?
なんて、そんなかっこいい自分はいなかった。
スマホで音楽を流す。
コーラスの発表会に向けての歌の歌詞が、完璧には入っていない。
ダンスだって気恥しさが残っている。
あと、何日で本番だな。
それまでに覚えないと。
チャンチャンチャンと、いつもの音が流れている。
それは耳の奥までしっかりと届いている。
家に着いて、雑に荷物を放る。
冷房をガンガンつけて扇風機まで回して、テレビだけはつけられずに座り込む。
「汚ったない 部屋」
そんな汚い部屋に帰ってこられたんだ。
人間は忘れる生き物だから幸せなんだとなにかの本で読んだ。
その言葉は、いまはとても残酷で息苦しい。
踏ん張っても倒れてしまうことがあることを思い知らされる。
積み重ねてきた日常が呆気なく壊れるという現実を、わたしは真剣に考えなければならない。
それでは
