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罪悪感について、わたしも考えた

さとゆみさんの毎日24時間で消えるエッセイ「汝の名は、罪悪感」、「罪悪感の消し方」を読んで、すごくありがたい気持ちになったのと、自分でも感じることがあったので忘れないうちに書き留めておこうと思う。

なぜなら、私の2025年度目標の一つは「罪悪感を手放すこと」だったから。

ものすごくタイムリーにXにポストされて、私は自分の心でも見透かされているような気持ちになったのです。
罪悪感。
罪・悪・感。
(同・級・生を連想してしまう方は同じ世代ですね笑)

まず「汝の名は、罪悪感」の記事を引用させていただくと、

ダメだ、汝の名が、我が辞書にない。
なぜ私の辞書に「罪悪感」の文字がないのだろうと考えてみる。
もう少し解像度をあげると、
・まったく罪悪感を覚えない
・仕方ないなあと思うけれど、罪悪感は覚えない
の2パタがあることに気づく。

さとゆみさん24時間で消えるエッセイ「さとゆみの今日もコレカラ」より

あぁ、なるほど。
私は記事を読んで、ものすごく納得した。

罪悪感のない人は、自分の心をオープンマインドにして、みんなの喜びを考えられる人。
罪悪感がない人は、人生を楽しく謳歌できる。
罪悪感のない人は、失敗を恐れないので、どんどん道を切り開いていける。

この辺りが、私のおもう罪悪感のない人のイメージ像だ。
さとゆみさんにピッタリではなかろうか。

私はさとゆみさんにお会いしたこともないし、オンラインでも話したことがない。
所属しているwebライターラボで、さとゆみさんの講義に顔無しで参加するような人であり、
遠くから、ひっそりとさとゆみさんの背中を見ているような、ライターの1人である。

それでも、さとゆみさんの発信には力を感じるし、さとゆみさんの著書からたくさん勇気をいただいている。
人にそこまでのパワーを届けられるような方には、罪悪感がないのが、至極当然、納得の答えである。
もしさとゆみさんが罪悪感のかたまりであったら、逆に不思議で仕方ない。

では、罪悪感のある人は?
なぜ罪悪感という感情が生まれるのか?

さとゆみさんの見解は、こうだった。

「自分の理想に比べて、頑張れていない自分」に対して罪悪感が生まれるのではないかとも感じた。
もちろん、その「理想の自分」がそもそも人と比べた結果生まれている可能性もある。
(中略)
理想の自分と比べて罪悪感を抱えるのであれば、ひとつ、取り入れたら良いかもしれない思考法がある。
これはかつて、私自身があるメンタルコーチに教えてもらった方法だ。
「自分はここまでやらねばならない」
「これができていない自分はダメだ」
と感じるとき。
それを親しい友人、もしくは可愛い部下、もしくは大好きな恋人にもやらせるかどうか。
それを考えよ、という教えだった。

さとゆみさん24時間で消えるエッセイ「さとゆみの今日もコレカラ」より

その通りだと思う。
罪悪感があるから、他人と比べて落ち込むのだろうし、~べき論に縛られていると、それが出来なかったときに自分を責めてしまうだろう。
そんな責め方を、決して自分の大事な人には強要しない。
だから、罪悪感が芽生えた時は、それを思い出すというもの。

自分にもっと甘くしてもいいし、優しく労わってあげてよいのだ。
では、なぜ自分に優しくできないのだろうか?

なぜ罪悪感という感情が、自分を責めてしまうのだろうか?

わたしの思う罪悪感の根幹となるものは、もう少しブラックホールの中をのぞいたところにあった。

それは、罪悪感の生み出す感情の1つ。
「どうせ、私なんて」である。

これぞ、ネガティブの中のネガティブ。King of  ネガティブではなかろうかと思う。
この「どうせ、私なんて」は、罪悪感があるから生まれる。

「どうせ私なんて、あの人よりもできないんだ」
「どうせ、私なんて無力な人間なんだ」
「どうせ私なんて、価値がないんだ」

と、ネガティブループ無限入りだ。

そう、罪悪感は、自分の存在そのものに罪悪感を感じるのだ。
だから、自分自身にも厳しく当たってしまう。
自分に優しくできず、いつも自分に中指を立てている。
なんて恐ろしいやつ。
こんな感情を持ち合わせていたら、幸せになれるはずがない。

そして、幸せになってはいけない、というのもまた、罪悪感のもたらす感情なのだ。
幸せになることを許せない自分が、ブラックホールの中の一番下に潜んでいるのだ。

それに気づいたのが、ここ数週間のことだった。
かくいう私も、普段からこんなことを考えて生きているわけではない。
こんなことばかり着想していたら、しんどくて病んでしまいそうだ。

だから、なるべく考えないようにして、罪悪感を消して生きている。
罪悪感に向き合うのは、非常にエネルギーを消耗することなのだ。
こんなことは考えないで、寝る前にPodcastでロバート秋山でも聞いていれば
くすっと笑って眠りにつけるだろう。

だが、だがしかし。

ここ1年ほど、自分を内観し続けてきた。そしてもう一人の自分と対話してきた。
(ほんとに話せるわけではない、念のため。)
時に、自分にネガティブな反応がむくっと湧き出てきたとき、この根底にあるものは一体何だろう・・と、俯瞰して、その都度見つめてきた結果。

「ははん、、さてはおまえ、罪悪感だったんだな」と、最近になって気づいたばかりなのである。

なので、2025年は少しずつ「罪悪感を手放す」ことを目標としている。
さとゆみさんのポストに便乗させていただいたけれど、そうでもなければ言語化しなかったかも、と思う。

読んでくださっているかはわかりませんが、改めて、ここでお礼を申し上げます!
失礼があったらすみません!
(これも罪悪感から来るのか・・・?)

けっこうエネルギーを使ったので、もう寝よう。
3月17日中に投稿できたので、自分をヨシヨシしたらいい。
また明日、がんばるぞ~と。


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