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書くことと、意志の力

わたしの「書く人生」は、始まっているのだろうか。
正直、よくわからない。


ライターと名乗り始めて早2年。
クラウドソーシングで案件に応募し、クライアントに依頼された記事を執筆する。言われた日時に取材に行き、指定の文字数に記事をまとめる。

お仕事をくださる方がいて、時折「いい記事をありがとう」と言われる。

それなのに、どこかに置き去りにされたように、心の空白がいつまでも埋まらない。
「読まれる文章を書いて、クライアントに貢献する」
わたしの口から出る言葉と、心の中はいつまでも一致しないままフワフワと浮遊している。

それでも、書くことをポツポツと続けている。
「書く」とはわたしにとって、いったい何なのか。





3年前。夕方16時。今日も滞りなく、仕事が終わった。

「お先に失礼しまーす!」
コートを羽織りながら靴を履き、子どものお迎えに向かうため、足早に会社をあとにする。

正社員で働きだしてから、15年が経った。
産休・育休・時短勤務を経て、パート勤務に移り、気づけばすっかり部署内の最年長になっていた。

職場には気を遣わなくていい同僚がいて、子どもの病気でも気兼ねなく休める環境。数字のノルマも課せられず、精神的にも最高の職場。
仕事内容も、人と話すことでストレス発散していた面もあって、まぁまぁ楽しんでいた。


ある薄暗い夕方の帰り道。スタバで買ったホットラテを片手に公園のベンチに腰掛けたわたしは、目的もなくスマホの画面をスクロールしながら、空をあおいだ。

「定年まで、15年…か。」
もうすぐ45歳。このまま60歳まで、いまの仕事を続けていいのだろうか。


ぬるくなったカップを膝に置いて、片手でスマホの画面を見つめた。


だからと言って、今さら仕事にするような強みも、熱狂的な趣味もない。
ただひたすらに目の前の仕事に向き合って、わき目も振らずに子育てをして今がある。
何かを変えたいと焦りを感じながら、もう何十年も自分を後回しにしていたせいで、もはや自分の気持ちが分からない。

スマホの文字盤をうっすら見つめ、「副業 おすすめ」とフリックする。
自分がこのまま何ができるのかわからないまま、ただ年齢だけが重なっていくのが、とてつもなく不安に思えた。

検索したキーワードにヒットしたのが、動画編集だった。


「最短・最速で30万円」のコピーに惹かれて


まずは副業から始めよう。

そう決意して入会した動画コミュニティの同期は30人。バックグラウンドはさまざまだったが、意外とパート主婦も多かった。

「未経験でも、主婦でもできる」と謳った広告のコピーに誘われ、のこのこと参加した、わたしと同じ種類の人たち。

コミュニティでは動画編集ソフトの使い方から始まり、カット編集、テロップ、音の調整、色調の改善…
とにかくカタカナの専門用語が多く、頭に入れるまで一苦労だった。そして編集ソフトの操作は気が遠くなるほど、わたしには細かい作業だった。

HSP気質のわたしは、いつまでやっても「これでいいのだろうか‥」と不安がつきまとった。

講座に入って1か月目に気が付いたことがある。

「あれ、動画編集の技術を学んだところで稼げるようにならないんだ…」と。

しごく当たり前のことだ。しかし当時のわたしにはそれがわからなかった。
スキルを学べば仕事になると、最初は本気で思っていたのだ。世間を知らな過ぎた45歳。あまりにも痛い。



動画編集者として進むのは難しいと感じたわたしだったが、チームでインタビュー動画を制作したときがいちばん楽しかった。
クライアントにカメラの前でインタビューをする役目をいただき、同期に
「宮田さんインタビュー向いてるよね」と言われ、思わず「え、そうかな?」と頭を掻いた。

人と話すことや、場の雰囲気を明るくするのはわりと得意だった。場を和ませ、自然な流れで会話に導くことは特別の苦労を必要としない。


また、インタビュー後に動画を編集する際、構成をつくるのは楽しかった。どうしたら観ている人に刺さる内容になるか、インタビューの中から印象的な言葉を抽出し、どこで見せる演出にするか。そんなことを考えるのは楽しかったのだ。

そして、その過程でもうひとつ気が付いたことがあった。

それは、映像はすべて「言葉でできている」ということだ。
これは自分にとって大きな気づきだった。

映画も脚本がおもしろくなければヒットしないし、ドラマも、広告も、おもしろいシナリオがあってのことだ。なんとなく創作されたものなんてこの世に存在しない。45歳。恥ずかしながらこのとき初めてそれを知ったのだ。

そして、もっと相手の心に残る言葉やストーリーを、AIじゃなく、自分の言葉で届けたい、と思うようになった。

言葉を扱うために


すべては言葉だ、と悟ったわたしはライターに転身した。
その過程で出会ったのが「取材ライター」と「ストーリーの技術」だった。
ふたつのことを学びながら、わたしは仕事の在り方を根本から見直し始めた。

来る日も来る日も、自分に問い続ける日々が始まった。

わたしが書く文章で、いったい誰を救いたいのだろう。
わたしは書くことで何を表現したいのだろう。
人の葛藤や感情の動きを描いていくにはどうしたらいいのだろう。


45年間使っていなかった脳のどこかをフル回転させながら、自分の特性も少しずつ見えてきた。
そして自分の書きたいテーマや、自分自身の輪郭を、ゆっくりゆっくりとつくっていった。
それは本当に長い間、土の中に葬っていた心の奥深い部分を掘り起こすような、ときに苦しい時間だった。今も、なおそれは続いているけれど。



動画編集から副業を始めた日から数年が経った。
よっぽど会社員に戻ったほうが幸せかもしれないと思うときも正直あった。

それでも書くことをやめなかったのは、自分に沸きあがってくる命題のようなものを無視できなかったからだ。

それは、もっと声があがらないような人の声を社会に出していきたい、ということ。

誰にも頼ることができず、居場所のない心細さ。
人から見捨てられてしまうような気持ちに苛まれる日。

そんな悩みを抱えた自身を慈しみ、そのテーマと一緒に生きていくことを言語化するお手伝いがしたい。

でも、そんな高尚なことを本当にできるのか?……と、もう一人の自分が囁く。



わたしの「書く人生」は始まっているのか、答えはわからない。
でもこうして書くことの先に、自分の在り方を見つける旅に出ていることは確かだった。

長い間、自分がなにを感じているか、を諦めてきた「意志の力」を育てる工程のようにも思う。
自分はどこに向かっているのかを探し続け、そして行動しながら出会った人の灯になれるような仕事がしたい。

「そんなの無理だよ」なんて、自分に言わなくていい。

まだ見ぬ自分にかすかな期待を寄せながら、転びながら、でも1%でも前に進みたいと願っている。






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みくまゆたんさん、このような素晴らしい機会を与えてくださり、本当にありがとうございます!

#書く人生が始まった瞬間

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