「Honda FC」とはなんなのか――昇格しない強さの正体
「強いのに、昇格しないチーム」~なぜ昇格しないのか~
この言葉を聞いたとき、あなたはどう思うだろうか。おそらく、違和感だ。
あなたが日本サッカー界に詳しかろうと、詳しくなかろうと。「強さに伴う栄誉を拒否する行為」が自然でないことは、自明の理だからだ。
筆者がHonda FC(当時は本田技研工業サッカー部)の存在を初めて知ったのは、1996年だった。
Jリーグを目指して強豪ひしめく旧JFLで、非準加盟チームながらヴィッセル神戸を抑えて優勝。
にわかに「浜松にJリーグチームを」という機運が生まれ、本田技研工業サッカー部は、着実にプロへと近付いていた。
しかしその空気は、突如として引き潮となった。消え失せた。跡形もなく。
子どもだった筆者には理由がわからぬまま、本田技研工業サッカー部はJFLにとどまった。
それから、おおよそ30年が過ぎて。今もなお、Honda FCはJFLにいる。
ジャパンフットボールリーグから日本フットボールリーグへと形態が変わり、2部相当から4部相当にまで地位が落ちても、Honda FCはそこにいる。
正直に言おう。理屈はわかる。
Honda FCは、プロを目指すことを諦めざるを得なかった。
故に、アマチュアの最上位でやるしかなくなった。
だから、今は4部相当に籍を置く。
だが、Honda FCは強い。
新旧JFLにおいて合わせて12回の優勝を遂げ、幾度となくJ参入を志したチームの道を阻んできた。
故に、付いた二つ名が「門番」。
Jリーグに頼まれたわけではない。自ら志したわけでもない。
ただただそこに在り続けたことから、生まれた二つ名である。
しかし皆様は思うであろう。
「そんなに強ければ、再び機運が生まれたりしないのか」。
「プロにならないこと、上を目指さないことに、メリットがあるのか」。
ああ、不思議だ。数年にわたってHonda FCを観戦してきた筆者でさえ、疑問に感じてしまう。
そう。約30年前のあの時以来、Honda FCは一度たりともJリーグへの野心を見せていないのだ。まるで、それそのものが禁忌かの如く。
まことしやかに語られる理由は、ある。
曰く。「本業主義」。
曰く。「創業者の遺訓」。
曰く。「プロになると社名を出せない」。
おそらく、正否はともかく、これらも理由の一つではあるのだろう。
だが確信は持てない。筆者が、本田技研工業内部の人間ではないからだ。
外の人間が、勝手に事物を判断してはならない。これは私の、ポリシーだ。
だから、答えはどうしても仮置きになる。
おそらく約30年前のあの折り、本田技研工業は浜松を選んだのだろう。
関東、九州。あるいは鈴鹿。そういった、本田技研工業サッカー部を受け入れてくれそうな地は、あったとは思う。
だが、何らかの理由があって、本田技研工業は浜松を選んだ。
創業の地に、サッカー部を残すことを選択した。
そして、プロへ行くことを断念した。おくびにも、出さなくなった。そういうことなのだろう。
しかし、ここでもう一つの疑問が生まれる。いや、これは疑念という言葉が近いのかもしれない。
「なぜ、強さを維持するのか」。
そう。プロへ行かないのならば、強さは必要ない。JFLに残る程度で、のんびりやることだって許されたはずだ。
にもかかわらず、Honda FCは強く在り続けている。
JFLに覇を唱え、天皇杯では幾度となくJリーグチームを倒している。県代表からのベスト8を2度も達成したのは、今なおHonda FCのみである。
その根源は、一体。
「上はない。しかし強い」~なぜ強いのか~
またも矛盾だ。それも、ある意味では先程よりも強烈かもしれない。
何度も言う。Honda FCに、「上」はない。JFLが最上位であり、2026年もなお、そこでの優勝を目指して牙を研いでいる。
天皇杯のてっぺんを目指すという「上」はあるが、それでもその先はない。
世界やアジアに打って出る権利は、「ライセンス」という仕組みが阻んでいるのだ(仮にエコパをホーム扱いにできたとしても、難しいと思われる)。
とはいえ、「強さを磨くのは、天皇杯があるからだ」というのは、ある程度納得できる。
だが、この世には「能ある鷹は爪を隠す」という言葉もある。
リーグ戦で油断させ、天皇杯で刺す。そういう戦術とて、許されなくはないはずだ。
しかし、Honda FCはそれをしない。
己に許された範囲で強さを磨き上げ、ひたすらにJFL、ひいては天皇杯の頂点を目指す。
正々堂々と。戦術を大きく変えることもなく、だ。
ここまで来ると、いっそ「狂気」という言葉で片付けてしまいたくもなる。
否。Honda FCのやっていることは狂気ではない。
ひたすらに、己に積み上げられることを続けているだけなのだ。
選手人員の入れ替わりが少ないことを活かした、戦術・技術の浸透。
社員選手として環境を共にすることによる、阿吽の呼吸。
そしてなにより。創部から50年以上に渡って積み上げられた育成能力。
これらを活かし、Honda FCはいつでもJ参入を目指す挑戦者に立ちはだかってきたのだ。
たとえ相手が個人戦力という兵器で勝負に来たとしても。連携と集団戦術で跳ね返す。
相手が自分たちと同じく積み上げを図ってきたならば。歴史と技術の差をもって見せ付ける。
そうして積み上げた歴史こそが、アマチュアトップカテゴリにおける優勝12回という数字なのだ。
しかし疑問は残る。
このやり方を、続けてこられた理由。
この在り方が、許された理由。
Honda FCという存在に対する疑問は、更に深まっていく。
特異点~なぜ許されるのか~
先に、結論から述べてしまおう。
別の回でも述べたと思うが、Honda FCは、日本サッカー界における「特異点」である。
理由は簡単だ。世に実業団サッカーチームは数あれど、Honda FCに匹敵する実績を持ち合わせたチームは存在しない。
たしかに、ソニー仙台FC、SAGAWA SHIGA FCのように、並び称されるところまでたどり着いたチームはいた。
ミネベアミツミFCやジェイリースFCのように、実業団クラブの旗を掲げているチームもいる。
だが、厳密には細部が違う。システムが違う。歴史が違う。スタイルも異なる。
そして前者は、日本サッカー界から消え去った。もう二度と、同じチームを見ることはない。
さらに言えば後者は、実績が足りない。チームの歴史も異なる。敢えて強い言葉で言うならば、「重みが、違う」。
そんな中にあって、Honda FCは独自の存在を保ち抜いた。それは、本田技研工業がその存在を許しているからである。
もしかすると。Honda FCが強さを求める理由は、「存在の保証」にあるのかもしれない。
そう思わせてしまう程度には、本田技研工業の存在は大きい。世界企業が地盤を支える、あまりにも特殊な構造。それがHonda FCの真なる正体だからだ。
ああ、なんたることだ。
これほどの強さを持つチームの正体は、一皮剥けば会社の状況一つで消えゆく存在だった。
儚い。儚過ぎる。であるならば、プロを目指した方が生き残りを図れるのではないか。
しかし、そうはならなかった。
ジュビロ磐田の存在か?
浜松という土地か?
それとも、本田技研工業自体の、経営判断なのか?
きっと、すべてが複雑に絡んでいるのだろう。
すべてが事実であるかもしれない。あるいは、すべてが異なるのかもしれない。
ともあれ、外野からはこれくらいしかわからない。いずれ明かされる日が、来て欲しいものだ。
閑話休題。Honda FCが独自の道を続けてこられたのは、本田技研工業の一部活だったことが大きいと言える。
これが本田技研工業の手を離れたクラブチームへと変われば、方針が変わる。監督が変わる。選手も変わる。
仮にJへ参入したとて、1年や2年は暴れられるかもしれない。J1までたどり着けるかもしれない。私も熱狂するだろう。
しかしその後、「Honda FC」は崩れ去る可能性を秘めている。チームではない。チームの、「核」が崩れ去る。
その時残されるのは、「Honda FC」ではない。「前身がHonda FCだったという物語を持つ、一介のプロチーム」だ。
そうなった時に、私は応援できるのか。今はまだ、わからない。
話を戻そう。
ここまでは、「Honda FCのやり方が、存続できる理由」を連ねてきた。
ここからは「Honda FCの在り方が、許される理由」について考えていきたいと思う。
許される理由。まず一つは、静岡県が「サッカー王国」であることによるのではないか。
サッカー王国と呼ばれ、Jリーグ勃興以前からサッカーが市民レベルで根付いていたのが静岡県。
ジュニア世代では清水。高校では藤枝を中心とした中部地区が、全国を席巻した。歴史を飾った。
そして若干マイナーながらも、社会人世代においては浜松の本田技研工業と磐田のヤマハ発動機が鎬を削ってきた。
この下地は、あまりにも大きい。
紆余曲折の末に清水エスパルスがJのオリジナル10に名を連ね。
ジュビロ磐田と本田技研工業サッカー部が袂を分かち。
その後を、藤枝MYFCとアスルクラロ沼津が追い掛けて来た。
そうした歴史の中にあって、本田技研工業サッカー部――現・Honda FCのみがプロに行かずとも許される。
これはおそらく、すでに「近所にプロチームがある」というのが大きいのだろう。
本田技研工業サッカー部に機運が盛り上がった折り、ちょうどジュビロ磐田もJにおいて盛りを迎えつつあった。
仮に本田技研工業サッカー部がプロになっていたとして。共倒れだったか。あるいは、共存共栄だったか。
それは、誰も知る由はない。別の世界線であり、我々には見ることのできないものだからだ。
ただ一つ、明らかなことがあるとすれば。
本田技研工業サッカー部が、アマチュアクラブHonda FCとなったこと。
それによって、あまりにも近過ぎる2チームが共倒れに陥ることは避けられたこと。それだけだ。
仮に、である。Honda FCが、静岡県唯一の全国リーグ所属サッカーチームだったとしたならば。
おそらく、Honda FCは今の立場を許されなかっただろう。
なんらかの形で外圧が掛かり、どこかでプロへと方針転換せざるを得なかったと思う。
それが市民の圧か、行政の圧かはわからない。ただ、今の形を維持できるとは思えない。
だから、Honda FCがHonda FCであるのは、環境が大きかった。そう筆者は、考えるのだ。
結:不可思議なり、Honda FC
表題で出した問いの、答えへと向かおう。
まず、Honda FCは「偉大なる特異点」だ。
Jリーグ勃興前から日本サッカー界の第一線に立ち、今なおアマチュアサッカー界において先陣を切る。
唯一無二にして、二度と生まれ得ない存在だ。
この火を絶やし、入れ替えによる新陳代謝を活発にすべきなどという意見も散見されるが、とんでもない。
筆者は、この火を必要な火だと考えている。
ともすれば忘れられがちな下部リーグを、赤々と照らす存在だとすら考えている。
そしてその火は、時としてJリーグを焼く。日本サッカー界に、多様性の存在を知らしめる。
こんな面白い火は、消し去ってはならない。
数奇な背景と恵まれた環境が生んだ、「偉大なる特異点」。「プロとアマの狭間を、赤く照らす火」。
Honda FCは、そんな立ち位置へと、静かに佇む。
掴み取った訳ではない。積み重ねの中で、歴史の中で。気付けばそこに立っていた。
誰にも求められたわけではない。積み上げた戦いが、彼らをその位置に据えていた。
故に、Honda FCは、不思議なのだ。唯一無二なのだ。だから、あえてこう言おう。
Honda FCとは、「Honda FC」である。
うん、答えになっていない。なぜなら、今も答えを探しているからだ。
だから私は、都田へ向かう。
追伸
本記事は過去記事のリライト版だ。
当時の感情が赴くまま、本当にざっくりと書いている。
変化の比較も含めて、ご一読いただければ幸いだ。
