時間の使い方
のど痛の投稿後しっかり発熱していました。和邇です。
咳が残っていますが、なんとか復活しています。我ながら、金曜の夜から発熱して、日曜には熱が下がって、月曜日通常通り出勤できるという社畜な体に驚いています。(いいのか悪いのか・・・)
今日は仕事における時間の使い方ではなく、それ以外での使い方について。
時間の使い方は自由だけれど
私は、”やるべきこと”はひとつひとつ終わらせたいタイプ。
一方で同居人は”やりたいこと”を同時進行するタイプ。
時間の使い方は自由だけれど、やりたいことを優先して、やるべきことが終わっていない状況が目の前にあることに、私はほとほと嫌気がさす。
やるべきこととやりたいことの区別
なぜ先にやるべきことをしないんだろう。そっち(やりたいこと)は後回しにしたらいいのに。と、ふと話を聞いてみると「〇〇しなきゃいけないからさ」と、やるべきことのように返答。そのまま様子を見ていると、結果的に「しなきゃいけない」は勝手なお節介や取り越し苦労で、本当にやるべきことだったのかと後から問われると、「?」となることも。
それって結局は、自分がやりたかっただけなんじゃない?
そして、本当にやりたかったことなのかな?
「〇〇しなきゃ、〜だから」に他者が現れるかどうか
やるべきこととやりたいことをどうやったら区別できるだろうと思った時に、他者が関与するかどうか が参考になるのでは?と考えた。
「〇〇しなきゃ、(自分が)〜だから」
例えば、
「今日洗濯しなきゃ、(自分が)明日着る服がないから洗濯しなきゃ」
これはやるべきことだろう。
では、「〇〇しなきゃ、(他者が)〜だから」
例えば、
「お米多めに炊かなきゃ、(息子が)夕飯時に来るって言ってたから」
これ、夕飯食べなかったら?お米多めに炊くってやるべきこと?
それともやるべきことだと思い込んでしまっていること?
自分事にする大切さ
極端な例となってしまったが(苦笑)
もちろん、お節介や取り越し苦労が結果的にやるべきことだった場合もあるだろう。では、無駄(思い込み)にしないために何ができるか。
他者が現れたらコミュニケーションをとって自分事にすること。
上の例で言い換えると、事前に息子とコミュニケーションをとり、夕飯を食べていく事をが明らかにした場合、「お米多めに炊かなきゃ、一緒に夕飯食べて(私が)食べる分無くなるから」と自分事にすることができる。
すると「やるべきこと」に変わる。
「やるべきことだと思い込んでしまった、自分がやりたいこと」に自分の大切な時間を割かずに済むのだ。
時間は平等だから
1日は24時間。それは1,440分で、86,400秒。
地位や名誉や国籍、性別、年齢に関わらず、
全員に今この瞬間は平等に与えられているもの。
だからこそ、
・やるべきこと
・やりたいこと
・やるべきことだと思い込んでしまっていること
を区別するスキルを磨いて、洗練された時間の使い方ができる人間になっていきたいな。と思った話。
やるべきことだと思い込んでしまっていることに埋もれず、
やりたいこと、やれる自分になりたいね。
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