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「逃げる」という選択肢を持っていたっていい。自分軸で生きる限り、人生に「負け」はない。

昨夜、静かな部屋で日課の瞑想をしながら、ふとこの「逃げる」という選択肢について深く考えてみた。

ギリギリまで踏ん張るための「安全装置」

現在一人暮らしをしている長男は、経営陣の不祥事で揺れる厳しい環境の会社で、必死に踏みとどまりながら前を向いて働いている。親としては遠くからエールを送ることしかできないが、少しだけ心配になることもある。

家族という存在は、最後まで応援してくれる人がいるからこそ、ギリギリまで踏ん張れる「心の安全装置」のようなものだと思う。 「自分には帰る場所がある」「無条件で味方でいてくれる人がいる」 そう信じられるからこそ、人は過酷な環境でも戦える・・・・。

しかし、それは決して「家族のために逃げてはいけない」という鎖であってはならない。むしろ、ギリギリまで踏ん張った結果、これ以上は心が壊れてしまうと感じたなら、迷わず「逃げる」という選択をしてほしい。逃げることが悪いわけでは、決してないのだから・・・。

「逃げるな」と追い詰めてしまった、あの日の後悔

「逃げる」という言葉を聞くと思い出す、私自身の苦い記憶がある。

次男が起立性調節障害で苦しんでいた時期。
当時の私は、学校に行けなくなった彼に対して「ここで逃げてはいけない」と焦り、無理やり彼を学校の校門まで連れて行き、その場に座り込ませてしまった。 彼の心と体はすでに限界を迎えていたのに
私は父親としてその「逃げ道」を塞いでしまったのだ。

今でも私の胸には後悔の念が刺さっている。
私自身もでメンタルが大きく揺らいだ時期があった。心が悲鳴を上げている時に「逃げるな」と鞭を打たれることが、どれほど残酷なことか、今は痛いほどよくわかる。

幸いなことに、次男はその後、通信制高校を卒業し、今はラーメン屋でのアルバイトに精を出している。さらにはAIの活用や資格取得に向けた勉強まで始めるようになった。 あの時、彼が自分自身のペースで休むこと(=一時的に逃げること)を許容してやれればよかったと、心から思うのだ。

自分軸で生きれば、人生に「負け」など存在しない

世間は時に「逃げる=負け」というレッテルを貼りたがる。 しかし、筋トレでケガを避けるためにバーベルを置くのが負けではないように、心を壊さないために環境から離れることは、決して敗北ではない。
それは、自分の人生を生き抜くための立派な戦略だ。

他人から見たら大した挑戦でなくてもいい。ほんの小さな成長でもいい。 大事なのは、他人の物差しではなく「自分軸」で生きることだ。自分軸で判断し、自分の心を守るために選んだ道であるならば、そこにはそもそも「負け」など存在しない。

「逃げてもいい・・・」

厳しい環境で戦う長男にも、そして新しい未来に向かって歩き出した次男にも、私はそう伝え続けたい。 かつての暗闇を抜けて胸を張れるようになった私だからこそ、彼らの絶対的な味方でありたいと思う。


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