明智光秀 娘
明智 光秀の娘。
三女である 明智 玉。
織田 信長の命で
細川 藤孝の嫡男 (細川 忠興)と結婚。
16歳同士の美男美女。
3人子どもを産んでいる。
(1582年)本能寺の変のすぐ後、
細川家 が苦渋の決断をする。
本能寺の変の3日後、
明智 光秀から戦の協力要請を受ける。
明智 光秀に加担すると細川家の存続がなくなる。
ここは細川家の存続を考えなければならない。
・細川 藤孝は髷(まげ)をおろし、細川 幽斎となり引退。
・家督を嫡男の 細川 忠興(ほそかわ ただおき)に譲る。
・玉を丹後の山奥に幽閉する。
明智 光秀との縁を家督を引退したことで同意を拒む。
豊臣 秀吉に忠誠心を示しつつ、
愛する 玉 の命を守るための決断であった。
謀反人の娘となった玉。20歳。
細川家の決断に従うしかなかった。
この時点で明智光秀の血縁は皆亡くなり、
玉と子どもが生き残りである。
玉は丹後の山奥で孤独の中で2年間すごす。
過酷な幽閉生活は、
大きな孤独と逆境を経験し、
忍耐強さと謙虚さと芯の強い性格へと変わりました。
のちに秀吉から許されて玉は、
大阪の細川屋敷に移る。
その後カトリックの教えに心惹かれ、
宣教師から教えを学ぶ。
ひそかに洗礼を受け、
ガラシャと名前をもらう。
時は1600年7月 関ヶ原の戦い の直前。
石田 三成が徳川家康に対抗して挙兵する。
大阪にいる諸大名の15人の妻ら人質にとろうとします。
玉はこの人質要求を拒み自害する道を選びます。
これは夫の出陣にあたり、夫や家名に泥を塗ることを避けるために
人質になることを拒んだ。
そして自らの屋敷に火を放ち
家臣の手によって命を絶つ。
玉38歳。
玉の子どもが細川家、明智家の血を引き、
現在でも活躍している。
79代総理大臣細川護熙(ほそかわ もりひろ)は、
この流れを汲んでいる。
国のリーダーとして活躍する。
玉、素晴らしい血を残す。
頑張りました。
凄いです。
