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仕事のキャリアと子の不登校

私は氷河期世代だが、運良く公務員として就職できた。
私の世代は、結婚したら仕事を辞める人も多かったが、私自身はたとえ結婚したとしても自分の経済力を手放すことは不安だったので、公務員は最適解のように思えた。
私が就職した当時はどしゃぶり氷河期という言葉が新聞の一面の見出しになる時代だった。やりたい事より就職できたら有難い状況で、自分は運が良いと思っていた。

30代後半に結婚、出産し、家を購入した。
子が一人で家事をかなり手抜きをしても、育児と仕事の両立は大変で、時短勤務を利用し、心身は疲れていたが何とかのりきっていた。

公務員というのは、定時退社というイメージが一般的には強い。
私も仕事へのやりがいに加えて、定時退社のイメージも公務員を志望した大きな理由だったが、就職してみるとそれはごく一部の幸運な部署や担当に限られた。
むしろ、ほとんどの部署は残業が当然で、時短で帰宅することが申し訳なく「すみません、お先に失礼します」と言いながら帰宅した。
権利なんだから堂々としていればいい、と言う同僚もいたが、子の体調不良等で突然の休暇も多かったので、他の同僚より早く退社することは、やはり申し訳ない気持ちだった。
どこの職場でもそうだと思うが、育児で突然休暇を取得することや時短で退社する事に関して、私の職場にも心無い事を言う人がいた。
そもそも独身の人には、育児と仕事の両立の大変さは理解できないだろう。
私も独身だったら心無いことを言う側にまわっていたかもしれない。
どこで働いても育児と仕事の両立は大変なのだと思う。

息子は、保育園の頃から登園渋りがあった。
あまりに登園渋りがひどく、私がどうしても仕事を休めない時には、どうしようもなく実家の母に来てもらい、保育園を休ませたりした。

息子が小学校に入学すると時短勤務は使えなくなり、一方で、息子は小学校入学後も登校渋りがあった。
息子が保育園の頃から、月曜日の朝は私にとって憂鬱だった。
土、日で体力を使っても、体力を使わなくても、楽しい思いをしてもそうでなくても、毎週月曜日に子を登校させるのにかなりの労力を必要としたからだ。
付き添って登校した事もあるし、子を責めた事もある、玄関で座り込む子に泣きたくなるような思いで自分も途方に暮れたこともある。学校まで徒歩10分の道のりを、休み休み1時間かけて登校したこともある。あきらめて、自宅に引き返したこともある。
毎回、職場やチームの同僚に対して、申し訳なさと苛々と何とも言えない感情に疲弊しながら、私は職場に遅刻の連絡を入れた。
私自身は時間を守る人間で、余程のことがなければ遅刻するような人間ではなかったから、余計に遅刻の連絡は私のメンタルを削った。
職場でも事情は説明していたが、同じ年齢の子を持つ同僚の「うちは学校大好きで走って行くよ」などという何気ない一言に、私の育て方が悪いのだろうか、どうしたら良いのだろう、と思い悩んでいた
職場に着いたら、午前中に出来なかった仕事をこなし、残業もできないので定時で退社し、休日出勤をして埋め合わせをすることがよくあった。

夫は、私より早く出勤し、私より遅く帰宅したので、子に付き添って登校してもらうこともほとんどできなかった。
私は息子の登校渋りの苛立ちを夫にぶつけたが、夫はその時には労りの言葉をかけてくれたり、時には喧嘩になったりもしたが、子の登校渋りと仕事との板挟み、じわじわとメンタルが削られるような大変さは分かっていなかったと思う。
人間は自分で体験しないと、大変さはなかなか分からない。

それでも、なんとか仕事と子育ての両立を続け、子は5年生になった。
5年生になってからは登校渋りで学校を休む頻度が増えていた。
間の悪いことに、5年生の夏休みが終わる2週間前くらいに、私に人事異動の打診があった。
当時は10年間同じ担当業務を行っていた上に年齢も上がり、子が高学年になったことで、他課室への異動を打診されたのだ。
もちろん、直属の上司に対して、子の登校渋りの事を何回も告げていた。
上司は理解は示してくれていた。しかし、組織には組織の事情がある。
同じ担当業務を10年行って、まだその担当業務を行いたいという希望は、私の職場では難しかったし、年齢と共にマネジメント業務も求められるようになっていた。

上司に、他課室に異動するか、同じ室内でチームリーダーになるか選択するように言われ、同じ室内の方がまだましだろうかとそちらを選択した。
今思えば、異動を頑なに断り続ければ良かったかもしれない。
組織で長くうまく働くには、誰にどんな事を言われても動じず、自分の要望を通す強さも必要だ。
ただ、私の中にも子の事情などで10年間同じ業務を担当している、という負い目があり、私はこの話を断りきれなかった。

蓋を開けてみれば、夏休み明けから息子は不登校となり、私自身はチームリーダーという慣れない業務がのしかかり、その2つはどっちつかずの悩みとなり、私のメンタルを疲弊させた。
気持ちがいっぱいいっぱいになり、チームリーダーになってからわずか3週間後には、涙ながらに上司に息子の事情を伝え、チームリーダーから外してほしいと訴えたが、大きな組織の人事異動はすぐに後任の補充などない。
ほどなく、眠れなくなり、食べれなくなり、私のメンタルは限界に達し、適応障害で休職した。

当初は私が休職し、今までよりも丁寧に子と関わってみれば2,3か月で再登校するのではないか、と考えていたが、その考えは本当に甘かった。
子は学校に登校しないばかりか、状況はどんどん悪くなった。
子の生活は昼夜逆転し、風呂に入らなくなり、食事は一日一食になった。
生気のない子の表情に危機感を覚え、とにかく元気になれば、という思いでゲームやyoutubeの時間制限を解除し、勉強は一切止めた。
子への関わり方を見直し、子の笑顔が増える事を目標にし、同時に親が過干渉、先回りすることを止めた。
子が決めたことが私達親にとって望ましくなくても、なるべく表情や態度にださないようにして、何事も自分で決定させるようにした。

6年生になり、子は少し外出できるようになった。
担任やスクールカウンセラーも変わった。
6年生の担任はきめの細かい関わり方をしてくれて、息子は徐々に登校し始めた。最初は給食のみ登校した。
今現在は毎日登校できるようになったが、まだ、6時間授業を全て受けることはできていない。

もうすぐ、私が休職して1年になる。
1年前に、どうしたらこの休職を防ぐことができのか今でも分からない。
いや、防ぐことはできなかっただろう、と思う。

最近、ようやく「不登校離職」や「不登校離職による経済的損失」という単語が大手メディアでも聞かれるようになった。
もっと多くの人にこの言葉やこのような状況が広まってほしいと思う。

休職した当初、私は自分を責めたが、仕事では変わりはいくらでもいるが、母親の変わりは自分しかいない、と自分に言い聞かせた。
同時にフルタイムの仕事と育児や介護を両立することはなんと難しい事かと思った。
介護も不登校と似た側面がたくさんある。
そして、育児や介護が女性ばかりに比重がかかることも大きな疑問を持つ。
女性はキャリアを分断される機会が本当に多い。
それでも女性がフルタイムで働くことを求められる時代、少子化が止まらないのも当然のことだろう。

今は共働き世帯が当たり前となり、皆、何事もなく育児と仕事の両立をしているように見える。そんな中で、何事もなく育児と仕事の両立をこなす側になれなかった私は、自身の状況からマイノリティや女性の働き方に関心を抱くようにもなった。

今後、自分がどのように働くことができるのかは未定だ。
だって、子の状況次第だから。
こんなにも、家族の状況に影響される女性のキャリア。
子の不登校は間違いなく私のキャリアの分岐点である。

#キャリアの分岐点

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