#54祈りは、どこに届いているのか 「目を開けたままの修行」
⸻
けんちゃん
「今日はなんか、いつもより静かな感じやね😶」
彦ちゃん
「うん😶
今日は“祈り”について考えててね」
けんちゃん
「祈り?」
彦ちゃん
「祇園で出会ったお母さんが言ってたんよ。
“祈ることは大切やで”って😶」
けんちゃん
「へぇ…どんな方なん?」
彦ちゃん
「神職でもあり、僧侶でもある方でね。
毎朝、祈ってるって言ってた」
けんちゃん
「本物やね😶」
彦ちゃん
「でね、僕もメール返信する時に、
“お相手が幸せであるように”
って言葉を入れてるんだけど、それを不思議がられてね😶」
けんちゃん
「確かに珍しいかも😅」
彦ちゃん
「でも昔から、祈りって大切だって言われてるやん😶
しかも最近は、科学的にも影響があるって話もあるし」
けんちゃん
「水の結晶とか、そういうやつやね」
彦ちゃん
「そうそう😶
だから思ったんよ。
“本気の祈り”って、やっぱりエネルギーなんだなって」
けんちゃん
「心からの祈りほど、強いってことか」
彦ちゃん
「うん😶
形じゃなくて、どれだけ純度が高いか」
けんちゃん
「なるほどなぁ…」
彦ちゃん
「でね、昨日はすごく穏やかな一日やってん😶」
けんちゃん
「いいやん😌」
彦ちゃん
「でもそれって、環境が静かだったからかもしれないって思ったんよね😶」
けんちゃん
「環境の影響か」
彦ちゃん
「うん。
職場に行くと、やっぱり色んな波があって、自分の中の何かが反応する感じがある😶」
けんちゃん
「共振してる感じやね」
彦ちゃん
「そう😶
それってつまり、自分の中にも同じ周波数があるってことなんよね」
けんちゃん
「厳しいけど真実やなぁ…」
彦ちゃん
「でも同時に、環境を整えることも大切だなって思ったんよ😶」
けんちゃん
「確かに。影響は受けるもんね」
彦ちゃん
「でね、ここで思い出したのが、お寺の住職さんの話😶」
けんちゃん
「どんな話?」
彦ちゃん
「坐禅って、本来は目を開けたままやるんだって😶」
けんちゃん
「え、そうなん?」
彦ちゃん
「目を閉じてやるのは、ある意味簡単。
でも目を開けたまま、外の世界を見ながら心を保つのが本当の修行だって😶」
けんちゃん
「うわ…深いなそれ😶」
彦ちゃん
「つまりさ、
“現実の中で心を保つ”
ってことなんよね😶」
けんちゃん
「逃げずに、ってことやね」
彦ちゃん
「そう😶
祇園のお母さんも言ってた。
“出家っていうのは、ある意味逃げでもあるんやで”って」
けんちゃん
「それ言うんや😅」
彦ちゃん
「でも確かにって思ったんよ😶
環境を切り離すことで整えるのは一つの方法だけど、現実の中で整える方が難しいし、価値があるのかもしれないって」
けんちゃん
「たしかに…現実はノイズだらけやもんね」
彦ちゃん
「だから思ったんよ😶
“今こうして生きてること自体が、目を開けたままの坐禅なんじゃないか”って」
けんちゃん
「おぉ…それはすごい視点やね😶」
彦ちゃん
「人と関わって、感情が揺れて、その中で自分を見つめて整えていく😶
それが一番尊い修行なのかもしれないなって」
けんちゃん
「確かに、それ逃げ場ないもんな😅」
彦ちゃん
「うん😂
でもだからこそ意味があるんだと思う」
けんちゃん
「じゃあ祈りって、その中でどういう役割なんやろ?」
彦ちゃん
「たぶんね😶
“自分の周波数を整える行為”なんだと思う」
けんちゃん
「なるほど…」
彦ちゃん
「外の世界を変えようとするんじゃなくて、
自分の在り方を整えることで、受信する現実が変わる😶」
けんちゃん
「祈り=内側の調整か」
彦ちゃん
「そう😶
そしてその状態で現実に向き合うことができた時、少しずつ次のステージに進むんだと思う」
けんちゃん
「いいね…全部つながった感じするね😶」
彦ちゃん
「だから今日のまとめはこれかな😶
“現実は修行であり、祈りはその中で自分を整える力”」
けんちゃん
「ええ言葉やなぁ😌」
⸻
浄玄先生
「祈りとは、願いを届けるものではない。
自らの在り方を整える行である。
そして現実とは、
その在り方が試される場である。
目を閉じて静まることよりも、
目を開けたまま穏やかであること。
そこにこそ、真の修行がある。」
⸻
今日も、世界は優しかった。
