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毎日テキパキ、どこまでも自然体「たぶん私は一生ウダウダ、いつまでも世間体」

  「むみもの毎日がゆるい吉日」304日目

 我が家の、何でもこなす「テキ パキ男」さん。

てき ぱきお、と読みます。

あまりに無駄なくテキパキしてるので、
ダメ主婦の私は、ときどきモヤッとします。

そんなときに使うあだ名が
「テキ パキ男」です。

マイペースに何でもテキパキ。
会話は、枝葉末節まったくなし。
超シンプル。

どうして、もうひと言、
つけ足してくれなかったの?

そういうエピソードが、いくつもあります。

・・・

私が仕事を詰め込むようになってから、
主人が夕食を作ってれる日が増えました。

ある時、義母からの電話に出た子供が、
「ご飯、お父さんが作ってる」
と言っていたので、慌てました。

「私が仕事で手一杯の日は、代わりに」
という前置きがすっかり抜けています。

子供の言葉は本当だし、
大らかな義母も「そうかい、そうかい」
「それはいいこと」と笑ってくれます。

でも、いろいろ取り繕いたくなります。

まるで私が、
食事の支度を怠けているみたい。

主人から義母に、
事情を伝えておいてくれたらな、
そう思わずにはいられません。

テキパキと物事を進めたい人には、
立場を取り繕うような
細かい事情説明こそ枝葉末節。

もちろんバッサリ。
そして私はモヤモヤ。

・・・

あるとき、主人が五十肩になりました。

主人の同僚は、
ペットボトルを左右に1本ずつ持って
毎日歩いていたら治ったそうなのです。

話の真偽を確かめることなく
毎日仕事終わりにスーパーに寄り、
2Lの水を2本と、
ついでに諸々の食材を買って
帰宅するようになりました。

「ちゃんと、医者で診てもらったほうがいいよ」
「重い買い物袋は、持たないほうがいいよ」
何度言っても主人は聞きません。

察するに、
同僚の方は「毎日ペットボトルを買う」
と言ったわけではなく、
「ダンベル代わりにペットボトルを使う」
と話したのだと思います。

詳細を気にしない主人は、
自己流の治し方を頑として変えません。

水のペットボトルが毎日補充されるので、
私は箱買いの手間から解放されました。

ありがたい一方で、
はた目には、肩を痛めている人に
買い物を任せているような構図が完成。

・・・

両手に大きなスーパーの袋を下げて
てくてくと歩いて帰ることが
日々の習慣として定着したころ、
主人の肩はすっかり治っていました。

久しぶりに会う近所の方に、
私がずっと家にいないと思っていた
と言われて驚きました。

明らかに買い物帰りの主人を何度も見かけ、
「奥様、お元気?」
と声をかけてくれたこともあったようです。

笑顔で会釈を返してくるだけなので、
何か事情があるのかもしれないと、
深読みしてしまったようです。

「家出か病気かと心配しちゃったわ」

事情を話すと、
なぁんだそうだったのと、
お互い笑ってその場は終わりました。
でも、私は終われません。

帰るなり主人に、
買い物している理由を伝えてくれれば、
と注文をつけてしまいました。

「どっちでもいいことじゃん」
「話も長引いちゃうし」
とても簡単な返事です。

確かに、確かにそうなんだけど。
私にとっては、どっちでもよくないこと。

というか、私の存在自体、
どっちでもいいと思ってやしませんか。

決まった時間に起きて、
サクサクと仕事を進めて、
テキパキと片付けをして、
決まった時間に就寝。

そこに、
私がいるのと、いないのと、
別段違いがない気がしてきます。

それでも、私の行動に対して
あれこれ文句を言うことはないので、
気楽な部分も大きく、
まあいいか、と過ごしてきました。

「私だって頑張ってるんだよ」
もし、そんな話を切り出そうものなら、
「なるほど。じゃ、頑張ってね」
そう笑って、バッサリ。

・・・

自然体で、無理をしない生き方。
羨ましく思うこともありますが、
私には、真似できそうもありません。

1日くらい入れ替わって、
テキパキ目線で生活してみたい気がします。

その目に私の姿はどう映るのでしょうか。

「ダラ ダラ子」とか「ウダ ウダ美」とか
そんな名前で呼びたくなるかもしれません。
「なんか、やだなぁ」

それでもやっぱり私は、私のまま、
あれやこれやを気にしながら、
枝葉末節、大歓迎で
生きていくつもりです。

テキ パキ男とウダ ウダ美の話は、
このへんで、そろそろ。

令和8年8月8日

【ご注意】ペットボトルの使い方については、あくまでも個人の経験にとどまるものです。医学的な根拠は全くありません。五十肩の方は真似せずに、まず病院に行ってくださいね。

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