「普通に生きてるだけなのに、なんでこんなに苦しいんだろう」📔第6話
― ワーママの愚痴から始める生活構造の話 ―
「ちゃんとした親」という幻想が、私たちを追い詰める
私たちは、誰に監視されているんだろう
怒られているわけじゃない。
命令されているわけでもない。
なのに、ずっと苦しい。
理由はたぶん、これ。
「ちゃんとしなきゃ」という声が、頭の中に住み着いている。
「ちゃんとした親」って、具体的に何?

ちゃんと働いて
ちゃんと育てて
ちゃんと家事をして
ちゃんと笑って
ちゃんと我慢して
……多すぎない?
しかも、この「ちゃんと」は
誰かが明確に決めたものじゃない。
SNS
周囲の家庭
学校
職場
世間の空気
全部を混ぜた、
正体不明の基準。
一番厄介なのは「誰にも強制されていない」こと
これが本当に厄介。
やれと言われていない
断っても罰はない
でも、やらないと罪悪感
完全に、内面化された圧力。
だから壊れても、
「私が弱いだけ」
「私の覚悟が足りない」
って、自分を責める。
ワーママは「ちゃんと」を減らせない
減らせない理由は、はっきりしてる。
子どもに影響が出そう
周囲に迷惑がかかりそう
ダメな親だと思われそう
全部、怖い。
でも冷静に考えると、
その多くは想像上の罰。
実際に罰しているのは、
他人じゃない。
自分自身。
ちゃんとしてる家庭ほど、余裕がない

これ、皮肉だけど本当。
食事も栄養バランス
行事もきちんと参加
仕事も手を抜かない
子どものケアも丁寧
全部やろうとすると、
余白は消える。
そして余白が消えた家庭から、
順番に壊れていく。
「いい親」は、だいたい無理をしている
表からは見えない。
夜中まで準備している
体調不良を無視している
感情を押し殺している
それでも評価されるのは、
「ちゃんとしてるね」
その一言。
でもその評価、
回復までは保証してくれない。

ここで、ちゃんと回収する
「ちゃんとした親」という幻想は、
努力目標みたいな顔をしている。
でも実態は、
休ませないための装置。
これを信じ続ける限り、
立ち止まれない
手を抜けない
助けを呼べない
そして壊れたときだけ、
自己責任にされる。
幻想から降りる、という選択
ちゃんとしない=ダメ、じゃない。
回せない日があっていい
手を抜く日があっていい
笑えない日があっていい
これは甘えじゃない。
生き延びるための調整。
次回の話
次は、
ここまで一人で背負わされてきた私たちが、
なぜ孤立しやすいのか。
個人の性格じゃなく、
「そうなる仕組み」を書く。
