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実績解除の楽しさと虚しさ

少し前まで、ゲームを遊ぶときに“実績”なんてまったく意識していなかった。
むしろ、たまにX(旧Twitter)で「実績コンプしました!」と誇らしげにポストしている人を見かけると、どこか冷めた目で「いや、それって誇ることか?」と思っていた。

そんな自分が、最近では実績を意識してゲームを遊ぶようになっている。
きっかけは、たぶんこの一年ほどの間に、メンタルの調子を崩して、現実はもちろんインターネットでさえ人との交流を避けるようになってからだ。人と関わらない代わりに、黙々とゲームの中で「何かを完了させる」ことに、安心感のようなものを覚えるようになった。
クリア済みのタイトルをわざわざ最初からやり直して、未達成の実績を回収する。
「実績」という名前の通り、それはたしかに“達成”であり、そして“記録”でもある。誰かに見せるわけでもないけれど、そこには何かしらの「意味」を感じていた。

それは果たして健全な楽しみ方なのか、それとも、ただの埋め合わせなのか。
この文章では、自分が『BIOSHOCK』三部作をやり直す(infiniteだけ完全初見だった)ついでに実績を意識して感じた、「実績を意識してプレイすること」の楽しさと虚しさについて書いてみたいと思う。

そもそも実績文化はどこからきたのか

冒頭でも触れた通り、私はもともと“実績”という文化にまったく馴染みがなかった。
だが、これについて少し調べてみると、それも無理のない話だったとわかる。

画像元:https://www.reddit.com/r/xboxachievements/comments/19cqjod/all_xbox_360_achievements_are_gone/(Redditより引用)

実績やトロフィーといった概念が広く流通するようになったのは、2005年に登場したXbox 360からだ。ここで「Achievements」というシステムが導入され、それを追うようにPlayStation 3の「Trophies」や、Steamの「Achievements」なども登場し、次第に業界全体に定着していった。

しかし私が子どものころに持っていたのはニンテンドーDSだけで、中高とPCで遊んでいたのもAVAMinecraftのPVPのような“競技系”のゲームばかりだった。
Steamのゲームには縁がなかったし、そもそも“実績”という概念自体が自分の遊んでいるゲーム文化の外にあったのだ。

だからこそ、18歳を過ぎてある程度自由にゲームを買えるようになり、Steamのゲームをよく遊ぶようになっても、「実績」は特に意識する対象にはならなかったのだと思う。

実績がもたらす変化

プレイガイドとしての実績

私のゲームのプレイスタイルは、基本的に「やりやすい方法でゴリ押す」に尽きる。
たとえば『ポケモン』なら最初の1匹だけで最後まで押し切るし、初めて『BIOSHOCK』を遊んだときも、ピストルと電撃ばかりを多用していた。
もちろん、こうした戦法が成立するのは、ゲームシステムがある程度“大味”だからでもある。

ところが、実績を意識してプレイすると、普段なら選ばない武器や戦術を自然と試すことになる。
見落としがちな隠し要素にも目を向けるようになり、「このゲームにはこんな仕掛けもあったのか」と、作品全体の構造や意図がよりくっきりと見えてくる。
(もっとも、その過程でネタバレへの耐性が強制的に育つ、という副作用はあるのだけれど。)

実績は「〇〇の武器で敵を〇〇体倒せ」といった単純なものだけではない。
「最高難易度でクリアする」といった挑戦的な条件も含まれている。
こうした実績に挑むことで、“いつものやり方”では太刀打ちできなくなり、プレイヤーはそのゲームが持つ本来の難易度設計や攻略の幅と向き合うことになる。
どうすればこの条件を突破できるのか――そう考えて、工夫と試行錯誤を繰り返すことになるのだ。

実際、今回『BIOSHOCK』を遊んだときには、一周目ではほとんど使わなかった「カメラによる研究」を全種しっかりこなした(最高難易度ではこれをやらないと敵が硬すぎて太刀打ちできない)。
また、一周目では正面から倒していたビッグダディ戦も、二周目以降では戦法を大きく変えた。
「ビッグ・ダディ催眠」を使って敵同士を戦わせ、相打ちさせて体力を削らせる、というやり方がメインになったのだ。

だが、こうしてプレイの幅が広がる一方で、「このゲームの限界」のようなものも同時に浮かび上がってくる。
少なくともバイオショックにおいては最高難易度で通用する手段とは、裏を返せば「多くの状況で通用する最適解」でもある。
つまり、「このゲームって、結局これだけやってればいいんだな」と気づいてしまうことになるのだ。
用意された数多くの武器やスキルも、結局は“選ばれなかった選択肢”として空虚に感じられてしまう。

とくに『BIOSHOCK』のような、広い層に向けて丁寧に作られた作品ではなおさらだ。
低難易度ではどんな戦法でも通用してしまうため、プレイヤーは実績などの外的動機がなければ試行錯誤をしなくなる。
一方で高難易度では、実績を達成した後は見つけた最適解を繰り返すだけになる。

もちろん、だからといって『BIOSHOCK』を批判したいわけではない。
そもそもこの作品は、「戦闘メカニクスの妙」で評価されているゲームではないのだから。
ここで言いたいのは、実績という仕組みが「プレイスタイルの多様化」と「ゲームの限界の露呈」という、相反する作用を同時に引き起こすということだ。

外的達成感としての実績

最近では、Epic Games StoreやGOGなどで頻繁にゲームの無料配布が行われている。中にはAAAクラスの大型タイトルも含まれていて、SNS上でもたびたび話題になる。また、xbox gamepassで一日目から大型タイトルが遊べることも増えた。

しかし、私の場合、たとえ他のプラットフォームで無料配布されていたとしても、あえてSteamで買い直すことがある
それは「制作者にきちんとお金を払いたい」といった殊勝な気持ちからではない。
むしろ動機はもっとささやかで、ちょっと歪んでいる。

「Steamで実績が残らないから」――ただ、それだけだ。

ライブラリに並ぶタイトル名、プレイ時間、そして解除した実績たち。
それらは、誰かに見せるためのものではないはずなのに、それでも“Steamにある”というだけで、不思議な充足感がある。

さらに、Steamの実績には「その実績を達成したプレイヤーの割合」が表示される。
この数値によって、どれほど“レアな”実績を解除したのかが可視化されるのだ。
ときには、1%台の実績を解除しただけで、思わず口元が緩むことさえある。
「これは自分にしかできなかった」と、ほんの一瞬、自己肯定感のようなものがよぎる。

だが、その満足感はやがて数字に囚われる感覚へとつながっていく。

気づけば、“実績を解除すること”そのものが目的となり、ゲームを遊ぶという行為が、ただ数字を埋めるための作業へとすり替わってしまっている。

とくに残りの実績が「特定のアイテムを見逃さずにすべて集める」や「○○を一度も使わずにクリアする」といった、繰り返し作業や縛りプレイを要求する内容になると、それはもう「遊び」ではなく、「義務」に近い。
いわば、自由な旅だったはずのゲーム体験が、チェックリストに縛られた作業工程表になってしまうのだ。

実際、私が『BIOSHOCK』三部作をプレイしたとき、唯一完全な初見だった『Infinite』では、そんな「実績優先」の発想が最悪の形で出てしまった。
本来は2周目以降に解禁される高難易度モード「1999モード」を、コマンド入力で強引に解放し、しかも「Scavenger Hunt」(1999モードで自販機を一度も使わずにクリアする)という縛り実績も同時に狙ってしまった。
なぜそんなプレイをしたのかといえば、ただ一周でできるだけ多くの実績を取っておきたいという、もったいない精神が働いたからだ。

結果として、ゲーム全体の難易度は激増し、開発者が意図したであろう戦闘メカニクスをちゃんと味わえた、という感覚が無い。
その瞬間の私は、「Infiniteというゲームを楽しむ」というよりも、「Infiniteというゲームで成果を残す」ことのほうに強く傾いていたのだ。

実績との適切な距離感

ここまで実績の“悪い面”ばかりを書いてきた気がするが、それらは必ずしも、実績そのものやゲームの設計に問題があるわけではない。
むしろ多くは、プレイヤーである自分自身の受け取り方や向き合い方の問題だったのかもしれない。

実績は、うまく使えば「いつものプレイスタイル」に変化を与えてくれるきっかけになる。
普段なら選ばない武器やスキルを試す機会を与えてくれたり、見落としがちな隠し要素に目を向けさせてくれたりする。
ゲームの世界をより深く知りたいと思ったとき、それを導いてくれる“もう一つのガイド”として機能することもある。

そして何より、実績を一つずつ積み重ねていく過程で生まれる達成感には、ゲームそのものと通じるものがある。
課題を提示され、それを自分の工夫で乗り越える――それはまさに、ゲームが提供してきた遊びの本質そのものだ。
実績を追う行為は、ゲームの外側で行われるもう一つの“ゲーム”なのかもしれない。

そう考えると、「実績を意識しがいのあるゲーム」と「実績を意識してもあまり意味がないゲーム」がある、と言うこともできるだろう。

前者は、実績の条件そのものがプレイの幅を広げ、遊びの楽しさを深めてくれるようなタイトル。
後者は、どんな条件を課されても結局同じ体験に収束してしまったり、作業感ばかりが先行してしまうようなもの。(もちろんだからといって面白くないとは限らないが)

結局のところ、実績にどれだけ価値を見出すかは、プレイヤー自身がどう遊びたいかという姿勢に左右される。
だからこそ、どんなタイトルであれ「自分にとっての実績との適切な距離感」を見極めることが、今後ゲームを楽しむうえでの一つの鍵になるのかもしれない。


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