見出し画像

月を感じる音楽①

こんにちは。

今日は音楽のお話です。

音楽は演奏したり、静かに聴いたり、踊り出したり、聞き流したり、どの様にして楽しむのかは、人それぞれ。自由ですね。

私は、演奏する側、聴く側の両方体験していたりしますが、自由に音をキャッチボールしている瞬間を体感したりするのは、とても好きなことです。

発信する側も、受け取る側もその音楽が放っている色や景色を楽しむことはワクワクすることだと感じています。

月を感じる音楽、月がテーマになっている音楽って世の中にはたくさんあるとは思うのですが、今回は、占星術的な側面と、音楽理論的視点も含めて、自分が「あー。月やなぁ」と感じる曲のご紹介をしたいと思います。

海外でも人気が出てリバイバルヒットしているこの曲はタイトルが「死ぬのがいいわ」ですが、私は少し月を感じたりします。

月とは、占星術ではノスタルジー、懐かしさ、帰りたい場所、自分の居場所、護られている場所、コンフォート・ゾーンを指したりしますが、この曲の歌詞の中に出てくる「あなた」と「わたし」の捉え方次第で、曲の意味が人それぞれ大きく違ってくると思います。

まーどう捉えても聴く人の勝手だとは思いますが。

一見するとこの歌詞の中の「あなた」と「わたし」はそれぞれ別の人という印象ですが、曲を作った藤井風氏ご本人によるとこの曲の「あなた」は、私の中の「愛しい人」だそうで、上京したての頃、メロディと歌詞が降りてきたそうです。

つまり「あなた」と「わたし」は、同一人物で、私という同じ肉体に宿るものってことですね。

「あなた」と「わたし」は両者とも自分の中の自我とも呼べるかもしれません。

風氏の曲には、自らの「ハイヤーセルフ」や「高次元の自分」「自分の中の神」を歌った曲が多いと思いますが、「あなた」が私の中の「輝く太陽」だとしたら、(占星術的にみたら)「わたし」はそれに必死にしがみついているもう一つの自我、「月」とも言えるかなと思ったりします。

過去にも記事を書いたことがありますが、月は自己の自我を形成する要素の一つでもあり、断ち切ろうとかしても、切り離せないものだと思います。

月は最初は誰の中にもあり、切り離して考えることは出来ませんが、そこから離れて進んでいかなければ、決して自己実現は出来ないものだと思います。

人は生きていれば、様々な障害や葛藤に出会ったりします。

親しみやすい過去の記憶の中の景色、自分を守るコンフォート・ゾーンから出ていかなければ、夢も叶わない、本来の自分を打ち出していくことは難しいと感じてはいるけれども今一歩、ゾーンをぶち破る勇気が持てない、外の世界が不安だと感じる様な迷いや葛藤は誰にでもあると思います。

「死ぬのがいいわ」は、そんな自分の中の様々な攻めぎ合いの中で「愛しい人、高次元の自分(太陽)」を逃してしまうよりは死んだ方がましだ」と、歌っている様にも私には聞こえてきたりしますし、曲の主人公はゾーンから出られないもう一方の自分(月)という気もします。

「あなた」と「わたし」が別人物、男と女でしたら、昭和歌謡、演歌路線まっしぐらですね(笑)。

それも、悪くないですが。

ただ、誰もが太陽で人生を終えられるわけではない様な気もしますし、本来の自分、太陽を生かしきれなくて死んでしまうこともあると思います。

人は月で人生を終えることもあると思いますし、過去の人たち、私たちの親や先祖の時代は、自分自身を生ききれる人の方が少なかったのかもなぁなどと考えることもあります。

月で終わった人はどうなるのだろう?

「カルマ」(輪廻転生)として、また生まれ変わり、魂が前世からの学びや課題を持ち越して、また人生のやり直しをしたりするのでしょうかね。

どうも私にはそんな気がするのですが。

実際に死んだことがないので、わかりませんが。

それから「死ぬのがいいわ」という曲は、「ペンタトニック」という音階が使われています。

「ペンタトニック」は、多くの音楽に使われ親しまれている音階ですが、簡単にいうと例えば「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」の音域があれば、その中で、使われる音は「ド・レ・ミ・ソ・ラ」だけになり、「ファ・シ」がありません。

「ファ・シ」のこの2音は次の音まで1音ではなく半音なので不安定感を生みやすい響きになる傾向ですが、この2音がないことで、緊張感なく音階は落ち着く、安定する響きになったりします。

例えば、スコットランド民謡(蛍の光)だったり、日本民謡、演歌、わらべ歌にも使われていたりしますが音の着地に無理がない、というか「帰る場所」や「落ち着く場所」に戻るという響きがあると思います。

「死ぬのがいいわ」では、イントロから出だしの「指切りげんまん〜」の部分は、日本的なわらべ歌言葉と「ヨナ抜き音階」が使われています。

ヨナ抜き音階とは。。こちらに丁寧な説明がありました。

曲は日本の古き良き時代や、わらべ歌を歌っていた幼少期の懐かしさを感じさせる要素になっているということと、そのフレーズが曲のサビの部分や要所、要所に部分的に象徴的に展開されて出てくるということで聴く人には、どこか「古くからの懐かしい記憶」を思い起こさせるというところがあると思います。

歌っている言葉の意味はわからないけれども、何故かいいと感じている外国の人たちにとっても、この「懐かしさ」や「自分の居所」を思い起こさせる「ペンタトニック」の響きと、それ以外のテンションコード(ジャズなどでよく使われる)等の響きの絶妙な、たたみかける様な曲展開が、言葉がわかっている私たち同様に刺さっていたり、独特の個性や世界観を感じていたりしているのではないかなと思います。

私が、「死ぬのがいいわ」を初めて聞いたのは、2020年の彼のデビューアルバム「HELP EVER HURT NEVER」でだったけど、その時にふと、1960年代から70年代にかけて活躍したR&Bの「アラン・トゥーサン」という人の「サザン・ナイツ」という曲を思い出しました。

ずいぶんと時代を遡りますが、アラン・トゥーサンとはニューオーリンズのR&Bシーンを影から支えてきたピアニスト、歌手、ソングライター、プロデューサーであり編曲者です。

この曲は純粋なペンタトニックというわけではないと思いますがメロディがペンタトニックの五音を中心に動いている感じがするということと、また、曲はトゥーサンの故郷のニョーオーリンズの景色を歌った曲ではありますが、私にとっては、どちらかというと、アジア、中国あたりの桃源郷の景色を見ている様な、不思議な「懐かしい心地よさ」を感じました。

「サザン・ナイツ」は、1977年、「グレン・キャンベル」という人のカバーがアメリカビルボードのホット100でチャート1位にランキングして当時有名になった様ですが、もとはアラン・トゥーサンの曲です。

「サザン・ナイツ」のアルバム製作中はトゥーサンはスランプの只中だったそうですが、ある日、友人アーティストの「ヴァン・ダイク・パークス」がスタジオに遊びにきたそうです。

そしてパークスから「2週間後に自分が死ぬと知っていたら君は何をする?」と問いかけられ、それから2時間後に書きあがった曲が「サザン・ナイツ」だったというエピソードがあります。

「サザン・ナイツ」はトゥーサンのルイジアナで過ごした幼少時の思い出がそのまま歌詞になっている曲ですが、自分の死を考えた時に、懐かしい故郷のアメリカ南部の夜の風景が浮かんで来たということでしょうか?

まぁ真意はわかりませんが、聴く人に様々な景色や色を感じさせたり、また妄想させたりする曲は魅力的な曲ということなんだと思います。

ペンタトニックを故郷の言葉のように使いながら、R&Bやジャズの色彩を絶妙に散りばめて、独特の世界観を放っている感じがして、時代は違いますが、どちらの曲にも同じインパクトを感じます。

太陽に向かうということは、勇気が要ることもあるし、捨てなければいけないものもあったり、なかなかに厳しい現実に向き合うことになるのだとしたら、人は、せめて音楽には、月的な懐かしさ、または護られていた頃の安らぎを求めてしまうものなのかな?

みんながみんなそうではないとは思いますが、月を感じさせる音楽は、いつの時代も大衆には、愛されるのだと思います。

月は、人が死を前にした時に、ふと目の前に表れたりするのかな?

太陽で生き切った人にはどうなんだろう?とたまに考えたりすることはありますが、やっぱり死んだことないのでわからないですね(笑)

わからないけど風氏の最後は「あなた(太陽)」できっと「おさらば」なんじゃね?

めちゃ個人的コメント書きまくりの長い記事にここまで、お付き合い下さった方、ありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!