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優秀になりたかった。

優秀になりたかった。優秀になりたいとあの頃ずっと思っていた
優秀じゃない自分に自信を持てなかった
でも今ふと自分の欲求と向き合った時、優秀になりたい気持ちはなかった

優秀を目指さなくなった今日この頃


もちろん優秀であることで、自分のチャンスが増えたり、やりたいことに近づけたり、より素敵な人と関われたりできるなら、手段として優秀な自分は必要かもしれない。ただ自分の目指すゴールの中に「優秀な自分」はもう存在しない。必死になって、歯を食いしばって、休学してまで求めた「優秀な自分」はもういない。別にそこに到達したからいらなくなったわけでもない。自分が優秀かと言うと、どう考えてもそんなことはない。自分は優秀じゃないことには自負がある。だとしたら本当にもういらなくなったんだろう、他の人より仕事ができる自分。要領が良い自分。優秀な自分。

優秀を追い求めていた自分


今振り返ってみると、自分がずっと優秀を追い続けてきたのは自信がなかった自分へのコンプレックスの裏返しなんだろう。他人への劣等感が人一倍強かった。人よりも誇れることも、力もなかったから。周りがみんなすごく見えて、自分がとても矮小な存在に思えて、でもそんな自分のままではいたくなくて。何かをひっくり返したかった。明確に自分が人よりも下にいる自覚があって、その分人より上に行くことをぼんやりとではあるけどずっと強く欲していた。自分の手の中にないからこそ、「勝ち組」とか「人より優秀」とかに異常に憧れていた。自己承認の一つの形としての「優秀」。

戦う中での二つの気づき


ここ約2年間、「優秀な自分」を求めて自分なりに戦ってきた中で大きな気づきが二つあった。
一つは優秀な自分に固執していても幸せな人生は送れないこと。当たり前だし、散々言われてきたことではあるけど、人と比べて優秀かどうかなんてことに拘っても意味がないし、しんどい。絶対的な幸せは得られない。優秀だから幸せではない。人より優秀になりたいんじゃなくて、自分は幸せになりたいんだと、充実した人生を送りたいんだと気づけた。今までは狭い世界で、与えられた価値観の中でしか生きられてなったから本当に気が付かなかった。人生はみんながある程度同じゴールに向かっていく競走なんだと思ってた。そんなのは人生の一面でしかなかった。
二つ目の気づきは優秀さにもいろんな種類があるということ。自分より明らかに凄くて、届かないような人が実は自分からしたら当たり前なことが欠けていたり、その人が気づかない部分に他の人から羨ましがられるものがあったりした。人間って凸凹だってことに最近まで気づかなかった。大好きなRADWIMPSの『夢番地』という曲の中で、自分が今立ってる場所は誰かが夢見た場所で、自分が夢見て、目標にしている地点には多分誰かが既に立っているみたいなことを言っていて、それが今しっくりきている。すごい人のすごい部分にしか目がいってなかったし、できない自分のできない部分ばかり見てしまっていた。また環境によっても優秀の尺度は変わっていく。そこから自分の弱みや苦手な部分を必死こいてなくすのではなく、強みを伸ばしていく生き方に変わった。自分が目指してた「優秀」なんてものは幻のようなものであり、既に自分が持っているものでもあったのだ。

今の自分

優秀じゃないことを受け入れ、優秀さを目指さなくなった自分は極めて自然な状態だ。他人のすごいところを真っ直ぐ見ることができるし、自分のダメなところもありのまま受け入れることができる。優秀にはなれなかったけど、大きな成長だ。ただ楽がしたいわけでも、今の自分のままでいたいわけでもない。今は自分の強みを活かして、自分が活躍できる場所を探している。自分が一番輝ける選択肢を探してる。まぁすぐに見つかるものではないから、また戦いながら探していく。自分が求めてるものについては、またじっくり書きたい。

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