「マンガワン」事件“原告からのメッセージ”に思うこと

読後に感じた危惧

2026年3月8日、東京共同法律事務所公式サイト「ニュース」欄に、「マンガワン」事件において、漫画家山本章一から性加害を受けた被害者(民事裁判における原告)女性のメッセージが掲載された。

このメッセージを読み終わって、思ったこと、考えたことをここに残します。

まず、まっさきに思ったのは、

 原告は、いまだ山本によるマインドコントロールから解放されていないし、想像以上に深刻。そんな状態で裁判を戦って、これ以上心を壊して取り返しのつかないことにならないか、かなり心配。

という危惧です。逆に加害者側に対しては、

 原告の配慮に乗じて反省せず再犯するリスクは高くないのか? 

という危惧を感じました。


危惧している具体的な理由


私が上記の危惧を感じた理由を、原告に対して3つ、加害者である山本被告に対して1つ挙げます。

1.メッセージ全体を通して、加害者側への配慮と“条件付き許容”が含まれるため。

「前科があっても創作はしてよい」「発表の場を与えることも一概に悪くない」という一般論を入れて、加害者の“職業的な継続”の余地を大きく認めている点が該当します。


2.“怒りの対象”を薄め、火消しをしているように見えるため


「文春にも小学館にも炎上してほしくない」「無関係の作家を巻き込んだことが申し訳ない」という主旨が書かれている点。


3.求めているのが「説明の誠実さ」中心で、「加害者の隔離・制限」中心ではないため


メッセージの中心となる要求は「真の休載理由を読者に説明せよ」「犯罪を認めて対処し、二度としないと約束してから次へ」という“道徳・筋”の話です。

もちろんそれは重要ですが、性加害の再発防止としては、通常もっと「接触機会を減らす」「監督・制約・通報・第三者介入」など具体的な安全設計に焦点が寄りやすいもの。
そこが薄いので、「まだ加害者を“話が通じる相手”として扱っている」感があります。(そんなことは一切期待できそうにないですが)

4.加害者にとって、都合のいい状況が維持される点


性加害、とくにグルーミングは「相手の共感性・良心・優しさ」を利用して境界線を溶かすので、被害者側が“公平であろう”“怒りすぎないようにしよう”と頑張るほど、加害者にとって都合のいい状況が維持されることがあります。

加害者側が民事訴訟の判決を不服として控訴したのも、その表れかもしれませんし、その状況を、「加害者側に有利な状況だ」とねじまがった解釈をする輩も出るかもしれない、という危うさを感じます。


以上が、私が危惧する具体的な理由です。

極限のストレス下において、自身の恐怖や葛藤を感じないように「自分を自分から切り離す」防御反応(解離)があった旨を被害者は訴えて、裁判の中でも認められていました。

それと類似した状況が、メッセージの背後にあるような気がしますし、気のせいであってくれ、自分の考え違いであってくれとも思います。
その可能性についても触れておきます。

加害者への配慮(に見える表現)に対する、別の可能性とは?


  • 法的・社会的に不利にならないよう慎重に記述している可能性。名誉毀損・二次加害・関係者への配慮ともとれる。

  • 「加害者の更生可能性」を信じているというよりは、「自分の主張の軸を“再発防止”に置くために、周辺(出版社・媒体)と敵対しない」戦略の可能性。

そうであってほしいと心底思いますし、ブレーンとして弁護士がついているのでしょうから、こういう解釈も成立するかと思います。

最後に、原告の論点のぶれなさと漫画愛に敬意を。


今回の原告からのメッセージは、苛烈な被害を被った方が書いた文章としては、違和感を覚える程度には全体が穏やかで冷静なトーンになっています。
しかし、責任主体の切り分けと焦点の当て方はかなり硬く、一貫しています。

  • 原告の女性は、自分の関心(再発防止・被害の実相の共有・いち漫画ファンとしての感情)を軸につつも、責任の所在を「加害教員」と「学校法人」に置き、出版社側も“個人や部署”ではなく「小学館という企業」レベルの責任として扱っている。

  • それによって、「担当編集が悪い/マンガワン編集部が悪い」というような “現場スケープゴート化” に話が流れにくい論点の組み方をしている。

過酷な法廷闘争を続けながらも、論点をぶらさない原告の冷静さと、漫画愛に敬意を表します。
原告が望む着地となるよう、いち漫画好きとして祈っています。

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