小説『幽TUBE始めました』
あらすじ
ある事件により生きる意味と気力、そして仕事を失った男は死を決意したその夜、彼は落ち目の怪異に出会う。かつては伝説的な存在として恐れられた彼女たちも、今やオカルト界の骨とう品。彼女たちは「再ブレイク」を目指し、男にプロデュースを依頼する。戸惑いながらも関わるうち、男は”ある事件”の真相に近づくことになる。迫り来るタイムリミットを前にある計画を立ち上げる。
#創作大賞2025 #オールカテゴリ部門 #コメディ #感動
湿った気だるい風が首筋を撫でる。フェンス越しに見る夜の景色は、どこかいつもより遠く揺れていた。人々を見下ろすビルの上層に作られた不必要に大きな液晶からはどこかの政治家を宣伝する映像がギラギラと輝き、下に視線を移すとネクタイを付けた働き蟻達が勤勉に道を行き交っている。
『小さな町から世界のリーダーへ! 神宮寺。神宮寺を宜しくお願い致します!』
モニターに映るのは快活に笑う人当たりのよさそうな男。確か今話題の政治家だったか。なんにせよ縁遠い話だろう。視線を足元へと戻す。
案外、呆気ないもんだ。
辞表を提出した際の簡素なやり取りを思い出しつつ残った缶コーヒーを啜った。偽の砂糖で作られた紛い物の液体。口の中から不快な甘さが消えると、自然と言葉が口をついた。
「この辺でいいか」
腰の高さのフェンスを両腕で掴み、体重を預ける。グイと乗り出した首筋を再び生暖かい風が吐息となって急かすように撫でた。ほんの半歩踏み出せば、今自分に絡みついている鎖から解放されるだろうか。
それとも、鎖もろとも地獄まで引き寄せられるだろうか。
目を瞑る。緊張か、高揚か。心臓が、ここから出せと強く拳を打ちつける。
行こう。
身体をネオン側へ傾けたその時。
「──ちょっと。聞こえます? まだ逝くのは早いんじゃないの?」
心臓が凍えたように止まる。
凛とした声。
後ろからだ。
ぐるりと首を回す。
先にいたのは2人。
白の和服を着た長い黒髪の女と赤いハット帽の女。赤帽子の方は帽子を深くかぶっている上にマスクもしているようで表情が伺えない。
異様だ。どっと全身から嫌な汗が吹き出した。服装が明らかに浮いている。それに屋上の扉が開いた音はしなかったはず。
どこから、来たんだ。
「ああ、聞こえたの。ええと、そこの、人間。とりあえずこちらに。あなた方はそこから落ちると死んでしまうでしょ?」
話しかけてきているのは和服の女だった。
ゆっくりと体をフェンスから離し身構える。さっきまで心穏やかに死のうとしてたのに今はこのおかしな二人に対する恐怖心が心の底で芽生え始めている。なんて皮肉だ。自分自身で毒づく。本当に死のうとしてたんなら何を怖がる?
「ああ、怖がんなくていいぞ」
赤い服の女が黒い手袋をはめた手をヒラヒラと振った。深い帽子のつばから形のいいアーモンド型の目が妖しく揺れる。
「まあ、まだ若いんだろ? え? だから……あれ、なんかまた薄くなってない?」
赤帽子は肩をビクつかせる。薄く? 不思議に思い女の視線を追い、隣の白い和服の女の足元へ目を移した。
無い。脚が、無い。
無意識に後ろへ飛びのく。背中に当たるフェンスがガシャリ、と錠を閉じるような音を立てた。
「ゆ、幽霊……?」
息が喉から漏れるような掠れ声。これは現実? 頭のおかしな女の悪ふざけか?
半分パニックとなった僕の反応を見た二人は呆れたようにため息をつく。そして、同時に口を開いた。
「今更?」
これが、僕とこの不可思議な”怪異”二人との出会いだった。
重い瞼を開けると、見知った天井だった。
怠い体を起こす。型落ちの電子レンジの上には薄汚れた見知らぬ皿が重ねられている。
「夢じゃない……」
そうつぶやくとガラリとふすまが開いた。顔を出したのは白装束と深い隈を刻まれた大きな眼。
「お、起きましたね。さ、こちらへ早く」
二度咳きこんでから体をふらつかせ立ち上がる。顔を半分だけ出して手招きする彼女に誘われるようにふすまをくぐった。
まず見えたのは作業用のPCとテレビ。そしてそれの隣でタバコをふかしながら缶チューハイを煽る赤いハットの女だった。
片膝を立てて紫煙をくゆらす彼女の姿は実に”お上品”だ。中年男性の余暇の過ごし方の模範例といえる。
垂れ流されているテレビからは神宮寺とかいう政治家がサミットで存在感を示した、だのとアナウンサーが訳知り顔で話していた。
「うわぁ……」
「お、来たか」
僕の姿を見た彼女は灰皿(家の小皿だ)で強引に火を消すとこちらへ鋭い視線を向けてきた。もう片手で器用にテレビを消している。
「で、だ。私たちは……」
「あ、あの……!」
話を続けようとした彼女に声を被せる。どうしても1つ確認しておかなければいけないことがある。
「2人は……幽霊? なんですよね? ええと。多分、なんですが”お菊さん”と”口裂け女さん”」
言い終わるや否や二人(この数え方でいいのだろうか)は顔を見合わせた後、得意げな顔でこっちに身を乗り出してきた。
「おお! なんだなんだ知ってんじゃないか! これでも1時期はほんと有名だったんだぜ? ほら、こんな風に……私、キレイ? ってな」
口元を隠した際のミステリアスな美しさと、耳まで裂けた口をひん剥いて笑った時のギャップには確かに目を見張るものがあった。もしかすると夜道で見たら腰を抜かしたかもしれない。
しかし、陽光が差し込む狭い部屋で缶チューハイをすすりながらやられても、いいところ酔っ払いの宴会芸にしか見えない。
「うふ。うふふ……私のことネタ扱いとかじゃなくちゃんと覚えてくれてる人久しぶりに見ました」
じっとりと顔を近づけながらそう語ってくるお菊さん。心霊とは明らかに異なるタイプの気味悪さを感じる。その横へ並ぶように大きな口がぐいと近づいてきた。
「ってことでだ、人間。私らを、なんだあの~あれだ。プロデュースしろ」
「え?」
聞き間違えか? 落ち目の幽霊を売り込め? 全国のハローワークを回ってもこの内容は見つけられないだろう。恐る恐る目を向けるが、残念なことに二人の顔は真剣そのものだった。
「……認めたくはないけれどもう私たちって、その、あんまり怖がられないのよね」
静かに告げるその横で半透明の袖が儚く揺れる。口裂け女はゆっくりと煙草咥え火をともした。
「菊ちゃん、少し透明になってんだろ? 怖がられなくなって存在を忘れた私らみたいな存在がどうなるか知ってっか?」
彼女は煙草を咥えたまま大きく息を吸った。先端にあった火は線香花火のように少しだけ赤く瞬いた後、灰となってくすんでいく。
「消えるんだ。まるで最初から何もなかったみたいにな……あーあ、あのデカブツみたいにネタにでもされて、有名になりゃまだマシだったのによ」
「私たちが貴方に声をかけたのはこれが理由よ。あなた、あそこで働いてたんでしょ? 私たちを……ぷろでゅーす? もできるんじゃない?」
空になったチューハイの缶をテーブルへ置き、こちらを睨むようにこちらを見つめる眼と視線がかち合う。
その瞳に宿るまっすぐな光。
これにはきちんと向き合わねばならないだろう。
居住まいを正して僕は二人へ告げた。
「あの、そんなことより出て行ってほしいんですが」
その言葉を聞いた途端二人は不満の色をあらわにした。
「おいおい! そりゃないだろ! お前! 私の話を聞いてたのか!?」
口裂け女のほうは呆れたように鼻を鳴らす。むしろ呆れたいのはこっちなのだが……。
「貴方には人の心がないの?」
お菊さんのほうは半身になって地面に倒れこみながら袖で目元を拭っている。ちょうど時代劇で、彼女のように泣き伏す俳優を見たことがある。ただ、カラカラに乾いた袖を見るに演技指導をされたことはなさそうだ。
「人の家を不当占拠する人たちに言われたくないのですが……」
「私らは人じゃないからいいんだよ」
とんでもない暴論を吐きつつ、口裂け女は目にもとまらぬ速さで後ろへ回ると僕の肩を揉みしだき始めた。やけに力が強く少し痛い。
「なあ、頼むぜ人間。お前にだって悪い話じゃない。えー、あっ! そう! 稼いだ金は全部お前にやるよ。どうだ? お前ら金には目がないだろ?」
確かに、彼女らが怪異なら金は要らない。
収入のなくなった今、普通ならこの言葉に心が動かされただろう。
だが、今は……何か気持ちが乗らなかった。
「ねえ、貴方。やることもないのでしょう?」
深い隈で縁取られた目が湿った視線を投げかけてくる。こちらの腹の底を見透かすような彼女の言葉が鋭く体に突き刺さった。
「だったらまずやってみたら良いのではないかしら。試しよ。試し。私たちの力。そして貴方の勇気とやる気、あとは狂気さえあればうまくいくわ」
狂気が必要な時点ですでに失敗しているような気もするが……と思ったところで苦笑する。
今の僕にピッタリじゃないか。
狂気。おかしな幽霊に居つかれた自殺未遂者にはぴったりだ。
やることもない、か。実際そうだ。あの日から、僕は目標のようなものを見失っていたのは確かだ。
それなら、この詐欺師めいた2人の怪異に付き合ってやるのもいいだろう。
どちらにせよ……。いや。
大きくため息をついてからPCの電源を入れた。
「やってみますか」
「そう来なくっちゃな」
声を弾ませる二人を横に、彼女らを売り出すアイデアをまとめようとエクセルを立ち上げた……が、すぐに手が止まる。
「プロデュースといっても何かやりたいことが? 特技とかは?」
「えっ」
再生停止を押した動画みたいにお菊さんの動きが止まる。
「え、あー。特技。特技ね。まあ、あれよ。家事なんかはちょちょいのちょいよ! それから……」
皿を数えるだの、文字が読めるだのと、動画映えからは遠過ぎる特技を話すお菊さん。ふと、肩を叩かれ目をやると口裂け女が小声で耳打ちしてきた。
「お前……本気にするなよ。菊ちゃん普通の家事とかは一切できないからな」
「え!? でも生前は侍女だったんじゃ……」
「まあ、怪談ではな? 人間だって空を飛ぶような役をやってる俳優が実際に空飛ぶわけじゃないだろ?」
心ならずも手品師を後ろから見てしまったような気分だ。
とりあえず特技は無しか……家事が特技に入るのかは置いておいて。
望み薄だが、もう1人も確認しておこう。
「あー、それで」
「おいおい、私は菊ちゃんとは違うぞ」
そう言うと口裂け女は自慢げに鼻を鳴らした。お菊さんも何かを思い出したように小さく頷いている。
「そういえば、お口。貴方何かをやってたわよね。えーと、いんすとがらむ? だっけ」
「え、口裂け女さんインスタやってるんですか!?」
僕がそう口にすると、彼女はこそばゆそうに頭をかいた。今は怪異もSNSをやる時代なのだろうか。
「ま、まあな~」
「へえ。ちなみにフォロワーってどのくらいいるんですか?」
「あー、それはな。まあ……んだよ」
最後だけやたらと小声でよく聞こえない。お菊さんと顔を見合わせ同時に首を傾ける。お菊さんが「よく聞こえなかった」というと、口裂け女は長い指を三本立ててこっちに突き出してきた。
「まあ! 300人? 凄いじゃない。小さい町くらいの人がいるのね」
「いや……」
弱弱しく黒髪が揺れる。お菊さんは気まずそうな顔で言葉を選びながら肩を落とす怪異へ語り掛ける。
「30人? いいじゃない! 私なんてまだそういうのに疎くってやってすらいないんだから」
「違う。3人」
「え?」お菊さんが目を見開いた。
「さ、3人!? すくなっ……」
想像していなかった数値に慌てて口を押える。口裂け女はというと体を小さくしていた。
わき腹を小突かれる。
顔を向けるとお菊さんがヒソヒソ声で耳打ちしてきた。
「ちょっと、お口はああ見えて傷つきやすいんだから。ほら、こうなると長いんだから励ましてあげて」
僕が近づくと、彼女は生気のない、どんよりくすんだ目をこちらへ向けてきた。
「そうだよな。私なんてネタにもされない怪異だし。インスタやっても人間のフォロワーもいないし」
「そんなこ……誰がフォロワーなんですか?」
「え? メリーと人面犬とデカ女」
「凄いじゃないですか! みんな有名人ですね」
ピクリと彼女の肩が揺れる。
「そ、そうか?」
「そりゃそうですよ! 普通の人が何百いるよりずっと珍しいですって」
僕の言葉を聞いて大きな口も血色がよくなったようだった。実際どんな会話をしているのかはかなり気になる。相方の表情が明るくなったのを見てか、お菊さんが小さく咳払いした。
「ちょっといい? 実はね、有名になるのに少し私に考えがあるの」
彼女は痩せ気味の体をそらせて私たちを見渡した。腕組みし、自信ありげにうっすらと笑みも浮かべている。
「考えってどんなのだい? 菊ちゃん」
「そりゃもちろん……怪談よ!」
怪談。どうだろうか。今の世の中、幽霊よりもブラック企業やSNS炎上のほうがよっぽど怖い気もするが。
それに、二人の特徴をあまり活かせていないような気もするし、どうにもうまくいく気がしない。
「あの、もう少し考……」
「それだよ! 菊ちゃん!」
色めき立つ怪異がその大きな口をさらに広げた。お菊さんの手を取り熱く握りしめている。
「私たちが本当の怪談ってモンを人間どもに教えてやるとするか!」
「ふふふ。私たちを忘れてきた人間に本当の”怖さ”ってものを思い出させてやりましょう」
二人の空気はどんどん熱さを増していく。
止めようにもこれでは無理だろう。
これはもう出たとこ勝負でやるしかないだろう。
「わかりました。では、まずお菊さんのチャンネルを作りますのでそこでやってみましょうか」
「ようし! 早速だな」
「腕が鳴るわね」
PCの作業を進める僕の両隣に2人が肩を寄せてくる。
真剣な表情。電子機器の光をまっすぐに反射する輝いた瞳。
狭い、という言葉を飲み込んで僕は作業に没頭した。
軽く怪談の撮影を終えたあと、僕たちは家の近くにある公園へ足を向けていた。
この鉄のジャングルのような都会の中では珍しく、ここにはわずかながら緑が残っている。
「なあ、お前どうして仕事辞めたんだ? 私も人間のことは詳しくないが、有名な会社で、なかなかの勤め口だったんだろ? あそこ」
西の空が夕焼けに染められる中、使用者のいなくなったブランコに腰かけた口裂け女がこちらに顔を向けた。
仕事を辞めた理由、か。茜空の遠くで泳ぐ入道雲を眺めつつ入社してからの日々を思い出す。
「元々、僕、やりたいことも特になかったんですよ」
遊具の影が西日の傾きに誘われて足元まで伸びてきた。そんな影に浸かるように足を置く。懐かしさと寂しさを帯びたヒグラシの声がそっと辺りにおりてきた。
「あの会社、ホープフューチャーには偶然入れました。運が良かったんでしょうね。入社時はそこまで有名でもなかったんですが、新しくなった社長が敏腕とかで数年もたつと随分有名になってました。元々コンサルだとかいろいろ手広くやってたのを突然プロデュース業に変えたみたいで。それもアイドルだとか芸能人だけじゃなく政治家までやるっていうんですから。でも、これが大当たりだったみたいです」
隣に座ったお菊さんが小さくブランコを漕いだ。ぼんやりと下を見ると、自分1人の影だけが地面へだらりと背を伸ばしている。
二人に影はないらしい。
「僕の同期で随分仲の良くなったやつがいました。熱血漢というか、この仕事で世の中をよくするんだっていつも言ってたな。特に目標もなくやってる僕とは合わなさそうなのに何故だかずっと二人でつるんで。僕がこれまで生きてきて、初めて親友って呼べる奴だったと思います」
ふと、あいつの顔が脳裏に浮かぶ。プロデュースのアイデアや映像を作っては見せてきて。僕の驚く顔を見て、子供みたいに笑う顔が頭から消えてくれない。
少し、時間がたってしまったのだろうか。気づくと、お菊さんがこちらをのぞき込んでいた。迷子の子を見つけたような表情。
「いい人だったのね。でも、それならなんで辞めたりなんか……」
「死んだんです。そいつ。ビルから落ちて。ちょうど僕たちが最初にあった場所で」
辺りの音が止んだ。時間が止まったかのような空間でも影法師だけがその面積を広げ僕らを包みこもうと広がってくる。
「”自殺”だそうです。そんな訳、ないのに。あいつ、すごく大きな仕事を任せてもらったみたいでやる気に満ちてたんですよ。とんでもない情報だって手に入れたって。でも、僕がいくら自殺じゃないって言っても警察も、会社も聞いてくれなくって。あいつが必死にまとめていた資料も、どこかへ消えたまま。誰が持ち去ったのか、どうしてなのかも分からないままです」
言葉を続けようとした瞬間、喉の奥から咳がこみ上げてきて、思わず話が途切れた。
背中にひんやりとした感触。お菊さんが背を撫でてくれているようだ。
「あんまりにもしつこく聞いたからでしょうか。会社から露骨に仕事を回されなくなったんです。僕としても、あいつがいなくなってからやる気もなくなって……まあ、それからちょっとあって仕事辞めたんです。二人に会ったのはその後すぐ、ですかね」
それから少しの間、誰も口を開かなかった。思い出したように鳴きだしたヒグラシの声だけが僕たちの間に降り積もっていく。
黄昏に染まる中、口裂け女がブランコから立ち上がった。
「人間、お前は知りたいか? 友達が死んだ理由を」
唐突な問い。重い声。沈黙の中で僕は口を開きかけ。
動きを止めた。
知りたいのか……本当に?
知ってどうする。知って何が変わる。
そして真実を知った後。
僕の人生は、元に戻れなくなるかもしれない。
それに、耐えられるのか?
──それでも。
「知りたいです……でも、そんなこと……」
声は自然とこぼれていた。言い切る前に、彼女が一歩、僕の前に立った。
「できるわよ。私たち怪異なら、ね」
「人間は後ろ暗いことを物陰に隠そうとはするが、そこは私らの住処だってことを忘れちまうみたいでな。なに、お前も私たちのためにやってくれることへの礼だよ。期待しないで待ってな」
表情のわからないほど暗くなった中で、口裂け女が笑みを浮かべたのが分かった。ヒグラシの声はもう遠く、夜の匂いを乗せた木々のざわめきが静かに広がっている。
僕は再び足元を見下ろした。自分の足元にあったはず影法師は、夜の色に滲んですっかりと消えてしまっていた。
「な、なんで誰も見てないの!? あっでも少し透けなくなってきたわね」
PCの前で初めての動画を上げてから数週間、案の定というべきか再生数は伸びずコメントもまばらだった。怪談の質は高いし、お菊さんの顔もいい。
だが、それだけで有名になれるほど甘くもない。
「おっメリー達からコメントきてるな」
「友達とのチャットみたいになってますね」
咳がこみあげてくるのを無理やり抑える。
少しショックを受けているようだが、彼女らもこれで少しネットの難しさがわかったろう。
慎重に言葉を選び二人へ語り掛ける。
「これでも結構見られているほうですよ。いいですか、ここは……」
「はあ、ま、いいか。ちょっと気晴らしに魚獲ってくるわね」
「はい?」
これからプロデュースの計画を語ろうとした矢先、お菊さんはぱたぱたと部屋を出て行った。口裂け女のほうは何を言うでもなく平常運転で煙草をふかしている。
「あ、あの。あれは」
「ん? ああ、菊ちゃん定期的に行くんだよ。あのナイフ捌きはスゲエぞ」
彼女の姿が頭に浮かぶ。川に飛び込む白装束の女。その手にはナイフが握られて……。
怪異が警察沙汰なんて洒落にもならない。
「口裂けさん! お菊さんを連れ戻しに行きますよ!」
「え? なんで? っておい引っ張るなって! わかった行くよ」
部屋を飛び出し路地を走る。
ここから一番近い川といえばあそこしかない。
十字路を曲がって小高い丘の先。小さな橋の下に彼女はいた。橋の下まで駆けつけるが、こちらに気づいた様子はない。濡れた白装束をものともせず隈の深い大きな眼で微動だにせず水面を睨みつけている。
微動だにしないその姿は仁王像を思わせるすごみがある。
「いた……ってえ? まさか手掴み?」
「しっ──」
瞬間、水面がきらりと光った。
何かが飛んで反射的に目を瞑る。
冷たい、水飛沫だ。
顔を拭った後お菊さんを見ると、その手には元気に跳ねる平べったい魚があった。
「凄い……」
「へへっ中々のもんだろ」
隣では口裂け女が腕組みをして何度も頷いている。強豪校のコーチのような雰囲気まで出ているが、彼女が特に何かをしたわけではない。
「あら、貴方たちもきたの? 丁度3本獲ることもできたし、食べてみる?」
「えっいいんですか? あと口裂けさん、お菊さんは家事が出来ないんじゃ?」
「ん? ああ、電化製品はさっぱり使えないぞ。けど、こういうサバイバルの腕はスゲエんだよ」
慣れた手付きでスイスイと魚を捌いていくお菊さん。
陽光がさわやかに照らす川と木々に覆われた自然の中で、白装束の怪異が生き生きと過ごす姿。
これだ。
「お菊さん! これですよ! これを動画にしましょう」
「え? こんなのでいいの?」
これはいける。自分の中の直感が強くそう告げていた。
絵も映えるし面白い。これは一気に人気になるはずだ。
「なぁなぁ、それじゃあ私も一緒にやろうか? そうだな、魚を開いて綿もキレイ……とかはどうだ?」
昭和の時代でもギリギリアウトな親父ギャグを聞き流しつつ口裂け女へと向き直る。
「口裂けさんは別方向から攻めようかなと。さっき部屋で説明しようとしてたんですが、美容とかやってみませんか?」
「は?」
彼女は間の抜けた声と共に、大きく口を開けた。小さなメロンくらいなら入りそうだ。しばらく放心しそうな口裂けさんは置いておいて、まずはお菊さんのほうから始めよう。僕は急ぎ足でカメラの置いてある部屋へと向かった。
『ワタシ、キレイ?』
「おお~! 良いじゃないお口。なかなか様になってるわよ」
PVの画面に映ったのは流行りの洋服に身を包んだ口裂けさんだった。カメラが寄ると、流し目で決めセリフを放つ。動画の広告だ。
彼女の美容路線は大当たりだった。ミステリアスな雰囲気とフランクな話し方のギャップがウケたのかインスタで若者を中心に相当数のファンを獲得している。
「分かってはいたんだが、コイツらにとって私は口が裂けてねえんだろうなぁ……怪異としては複雑な気分だよ」
「え? いや? ちゃんと裂けてますよ?」
どういう意味だろうか。彼女の口は確かにはっきりと裂けている。僕が首を傾げるのを見て彼女は小さく苦笑した。
「そりゃ、お前は私達のことを怪異としてみてるからな。ちゃんと怪異の姿として見えるのさ。私達は鏡みたいなもんだ。そいつが後ろめたかったら、恐ろしいモンだと思えば恐ろしいモンになる」
「まあいいじゃない。ほら、見て。こんなにはっきりしてるわ!」
お菊さんの姿が透けるようなことはもうなくなった。一時は薄切りの霧のようにぼやけていた彼女の足元だったが、今や普通の人と変わらないような”濃さ”になっている。怪異としてそれでいいのかは謎だが。
動画は好調だ。白装束を着た不健康そうで小柄な女性が逞しくサバイバル生活を送る姿はインパクトが強かったらしく、SNSで話題となると人気に火が付いた。
今では指折りの人気Youtuberだ。なぜか子供たちからの人気が特に高い。彼らはなぜか、彼女のことを“お姉ちゃん”と呼ぶらしい。幽霊に親しみがわくのだろうか。
これもたった3か月の出来事だ。これで二人も大丈夫だろう。
最後に良いことができただろうか。
「えっこれ……?」
お菊さんの画面を指さした。表示されているのはダイレクトメール。
「ホープフューチャー……」
「おいおい、マジかよ」
表示されたのは見知った名前。かつての雇い主からの案件メールだった。
「創立30周年のパーティーに呼ばれるなんてなぁ。ずいぶんと出世したじゃないか私らも。しかも、あの大人気の政治家センセイまで来るみたいだ」
後ろから、口裂けさんがレンガみたいに固い声を投げつけてきた。僕は答えず窓を開ける。星1つない真っ暗な空が街の上に重くのしかかっていた。
「友達のことが気になるの?」
窓辺に腕を乗せたお菊さんがこちらを見上げてくる。
「多分あいつは何者かになれる奴だったと思うんです」
遠くでゴロゴロと巨人の腹鳴りのような音が聞こえてきた。一雨来るだろうか。
「僕と違ってあいつは凄く色々できる奴でした。何より一生懸命で、世の中を良くしようって。多分憧れみたいな気持ちを持ってたんですかね。お二人はもう既になってると思いますが」
「なってる?」
お菊さんが小さく首を傾げた。夜空に裂いて稲光がぱっと瞬いた。
「お二人はもう随分と有名になりましたよ。だから、もう既に“何者か”になってるのかなって」
それから少ししてばらばらと水滴が雨除けを叩き始める。じっと目をつぶっていたお菊さんは静かに口を開いた。
「見えているようで見えていない」
「えっ」
「私たち、怪異のことよ。ずっと、考えてたのよね」
夜空より黒い髪をくるくると弄びながら彼女は言葉を繋げた。
「怪異は見る人によって姿が変わる。私たちってすぐ身近いるのよ。でもほとんどの人はそれに気づかない……いや、見ていないし気づいていない。いま私とお口は人から認識されるわ。それは有名になったから。でもね、あなた以外は私たちの本当の姿を認識していない。自分たちが望む姿を見てしまうのね。だから、見えているようで見えていない」
雨除けを叩く水滴の音は、その存在を誇示するかのように激しさを増していった。お菊さんが手を窓の外に出すと雨粒が白い掌の上であっという間に一杯となり、あふれたものから零れ落ちていく。
「私とお口はね、きっと何者でもないのよ。何者にもなれないと思うの」
そう言って彼女はコロコロと笑った。これから楽しい内緒話を始める子供のような笑い方だ。
「でも、それでいいじゃない」
優しい声。その言葉は砂が水に溶けるように心の奥底まで染み入ってくる。
「何かにならなきゃいけないなんて、なりたいものがなきゃいけないなんて、そんなこと誰にも決められないでしょう? あなたは自分を何者でもないというけれど、私たちはあなたが確かにここにいることを知ってるわ。落ち目の幽霊に付きまとわれる可哀そうな人間がね」
気づけば雨は随分と小降りになっているようだった。かすかに流れる虫の音がじんわりと広がっていく。
「ま、私らとお前は似てるってことだよ」
隣へやってきた口裂けさんが窓から覗き込むように空を見上げる。僕も気持ちを伝えようと口を開く。
出てきたのは声ではなく咳だった。
「まあ、普通の人間なら似てるなんて御免被るがお前なら……おい、大丈夫か?」
収まらない。
視界が揺れ、傾く。
グルグルと視界が回転。体が浮くような感覚。
「ちょっと! とりあえず寝かせ……」
ブツリ、と何かが引き抜かれるように僕の視界は真っ暗になった。
「おう、起きたか」
目を開けた先にあったのは心配そうな二人の顔だった。布団にまで運んでくれたらしい。体を起こそうとするが、お菊さんからやんわりと止められる。
「あなた、何か患っているの? 大丈夫よ。お金だった十分あるからお医者……」
「実は、もう長くないんです」
切れかけの蛍光灯かカチカチと明滅する。
「いつ言おうかなと、迷ってたら、言い出せなくって。楽しかったんですよね。お二人といるの。ああ、僕、会社辞めた時の理由で色々あってって言いましたよね? それが、これなんです。会社で倒れて検査したら、もう、全身に転移しちゃってて手の施しようがないって」
2人は、どんな反応を示すだろうか。
起こるのか、それとも悲しんでくれるのか。
だが、その答えは想像とは異なるものだった。
「実はな、私たちもお前に黙っていたことがある」
「お口」
「菊ちゃん。これは伝えなきゃいけない。こいつは、知るべきだ」
緊張した面持ちのまま、お菊さんはゆっくりと頷いた。
「お前の友達についての情報だが、すでに集まっていたんだ。だが、な」
「言い出しにくくてね。知らないほうがいいこともあるって思っていたから」
「あの、あいつは、本当はどうだったんですか」
「自殺じゃない。事故でもな。殺されたんだよ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
フッと意識が遠くなる。
「殺されたってなんで……それに、誰に」
「理由について確かなことはわからないが、下手人を知れば大方の予想は付く」
しばしの沈黙の後、二人は顔を見合わせ静かに頷いた。
その後に聞いた言葉の衝撃はこれまでで一番のものだった。
「神宮寺。下手人は大臣の神宮寺だ」
それから少しの間、僕は気を失っていたらしい。ゆっくりと体を起こす。まだ少しだけ頭がグラつくが、どうにか立てそうだ。窓辺にたたずむ二人へとふらつきながら歩み寄る。
なんて声をかけるべきか。
吐き出すべき言葉が見つからず、出てくるのは当り障りのない台詞。
「あー、その。あれなんですね。怪異の方も政治家の名前とかって知ってたりするんですね」
「まあねぇ。そのあたりは人間と変わらないわよ。興味はないのだけれどあれだけ画面で目にすれば嫌でも名前は覚えるわ」
「その、大臣が犯人っていうのは……」
「間違いない」
ポケットから煙草を取り出した口裂けさんだが、僕の顔を見てすぐにそれを引っ込める。
「あの辺でたむろしてる浮遊霊が現場をばっちり見てた。少なくとも奴らにうそをつく理由なんてないからな」
そうして彼女は真正面からこちらを見据えてきた。ピンと糸が張った様に空気が張り詰める。
「それで、どうする」
瞼を閉じた。頭の中に流れ込んでくるここ数か月の出来事。
自殺を考えた場所で出会った変わった幽霊の二人組。
今まで生きてきた中で最も忙しなく、騒がしく、そして楽しかった時間。
死んでしまった友人の子供のような笑顔。
「僕は、知りたい。あいつが死ぬ前に伝えたかっとことを。そして、それをみんなに伝えたい」
「じゃあ、やることは決まりね」
腕組みをしたお菊さんがゆっくりと僕の背後に立った。その顔がほころぶのと同時に張り詰めていた糸がするりと緩む。
「お上の暗部を明かしてやろうじゃない。ちょうどおあつらえ向きの舞台もそろってるしね」
そう言って彼女はニヤリと笑った。悪戯を思いついた子供のような笑みだ。
「しかし、これは二人も危険に……」
僕の言葉を聞いた二人はカラカラと笑いだした。雨上がりの涼風が重かった空気を塗り替えていく。
「ふふっ。心配ないわ。死ぬもんでもないし、まあもう死んでるからね」
「ま、人間のフリすんのも飽きたしな。だが、やるにしても案はあるのか? 私たちが騒いだところで見向きもされねえだろ?」
「それは、まあ……」
3人の間に静かさが立ち込める。何か、ないのか?
記憶を遡る。あいつは死ぬ前に、何か言ってなかったか?
残したものは?
──瞬間、脳裏に、ある記憶がきらめいた。
「資料だ」
「え?」
「資料ですよ。そうだ、あいつは凄い情報が集まったって言ってました……きっと、その資料がどこかに」
鼻息の荒くなる僕とは対照的に口裂けさんの表情は厳しかった。
「まてまて。資料ったってそりゃどこにあるんだ? 会社にあるならもう消されてんじゃないか」
胸の内で盛り上がりつつあった気持ちは水をかけられた蝋燭のように消えていく。助けを求めるような気持ちでお菊さんをみるが、彼女はじっと目を瞑ったままだった。
「それならあいつの家を、いや、もうとっくに荷物なんてないか」
「あークソ。何かないか? こうなりゃ、直接会社に押し入って……」
「見つけた」
凛とした声が議論を終わらせた。お菊さんは耳に手を当て小さく何かにうなづいているようだった。
「菊ちゃん、いったい……」
「浮遊霊達に聞いていたのよ。資料じゃなくて証拠をね。えーと、場所は、最上階?」
浮遊霊達の話によると、本社ビルの最上階(恐らく社長室だろう)に隠し扉がある。その中には頑丈な金庫が鎮座しているとのことだった。
「金庫の中身についてまでは分からずか……だが、やってみる価値はあるな」口裂けさんがゆっくりと顎をさする。
「た、確かにそれは調べてみたいですが、セキュリティもありますよ? それを突破するのはいくら何でも」
袖を引かれる。顔を向けると得意げな顔をしたお菊さんが彼女自身を指さしている。
「考えがあるわ。私が”何者”なのか忘れたわけじゃないでしょ?」
それから、お菊さんは彼女の考えについて僕らに説明を始める。僕は手を伸ばし窓を閉めた。ガラスの向こう、薄雲の張り詰める夜空を一瞥し僕はカーテンに手をかけた。
死にかけの人間1人と怪異2人の作戦会議が終わった後、僕たち3人はテーブルを囲んでいた。口裂けさんは手持ち無沙汰にライターをいじっている。
「口裂けさん、吸ってもらっても大丈夫ですよ。そういえば、向こう、あの世? にも煙草とかあるんですか?」
「気分じゃねえだけだよ……あと、あの世? 色々あるぞー」
「あの世ねぇ、そういえば」
お菊さんは顔を横にしてべったりとテーブルに頬をつけている。毛量の多い髪の毛がかぶさり、どっち向きに顔があるのか分かりにくい。
「獄卒はまだ記録に竹使ってるのかしらね。あそこも古いのよねぇ」
「ご、獄卒? 地獄にいる鬼みたいな存在ですよね?」
手持ち無沙汰にしていた口裂けさんが何かを思い起こしたように声を出した。
「ああ、そういや私が行った時は前例が無いとかで門前払いだったな。ただ、質問しに行っただけなのにな」
何とも興味をそそられる話だ。僕は2人の話にどんどん引き込まれていく。横目に見た夜空には雲の切れ目から小さな星が瞬いていた。
「皆様、本日は御足労頂き誠に恐れ入ります」
秘書らしき女性が丁寧に頭を下げた。豪華な装飾が施された本社の一室、僕ら3人の向かいには神経質そうな若い男と中年の男いた。中年のほうは柔和な笑みを浮かべている。
「こちらこそ、記念すべき祝賀にお呼び頂いたことは望外の喜びです」
自分も代表して礼を返す。促されて座ると、ドキリとするくらい深くクッションが沈んだ。
「では、今回のお話について私のほうからお話しさせて頂きます。こちらが会場の概略図です。この位置に当社のプレゼンターがおりますので……」
中年の男が話し始めた。低い声でゆったりとした話し方だ。
呼ばれた理由を一言で言うなら、ようは”にぎやかし”だ。パーティーに添える華として今流行りのタレントを呼んだといったところだろうか。
話もある程度進んだところでお菊さんに目配せ。
そして、彼女が控えめに手を挙げた。
「あの、すいませんちょっとよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。何かご質問ですか?」中年の男が答える。
「ええと、すいません、ちょっと月の物が……」
その言葉を聞いた瞬間、対面にいる2人の表情が強張る。空気の変化を感じ取ったのか女性の秘書が小走りでやってくる。
「私がご案内いたします。こちらへ」
お菊さんが連れられて行くとき、男性社員の二人が安心したように表情を和らげた。
だが、女性社員がドアを開けた瞬間、二人の社員は椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がる。つられて首を回すと深々と頭を下げる秘書の姿。
「これは先生。わざわざご足労頂かなくても……」
「いやいや、一目見てみたくてね」
颯爽と入室してきたのは1人の痩せた男2人の屈強な男とだった。痩せた男はニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべて早足に僕たちの対面までやってきた。
顔を見た瞬間、心臓が刺されたような衝撃が全身を走った。
「神宮寺です。君たちが話題の皆さんだね」
神宮寺は見たこともないような輝きを放つ腕時計をつけた手を差し出してきた。
冷静に。「うげっ」と不用意な声を出した口裂けさんを小突きつつ僕も立ち上がった。
「お会いできて光栄です」
「ど、どうも」
両の手で僕と口裂けさんの手をがっちりと神宮寺は握った。
表情はにこやかだが、眼だけがまるで別の生き物のようだった。その仮面の奥で、何を計算しているのか。
全身が凍り付くように強張るのを感じた。
「ははは! そんなに緊張しないで。さあさあ座りましょう」
落ち着こう。こちらの企みを知られるわけにはいかない。
出されていた茶で乾いた口内を湿らせる。
「確か、そう、君だ!」
神宮寺の視線がこちらに向いた。胸を締め付けるように緊張感が走る。
「確か、以前はここの会社にいたという話だったね。それが独立して今や世間に名の売れたタレントのプロデューサーか! 良いじゃないか! まだ若いのに立派なことだ。なぁ」
どっと体温が下がる。相手はこちらの素性も調べているらしい。
ジロリと神宮寺はこちらの全身を見渡してきた。
心の底、隠していることまで見透かされているような気持ちになる。
しかし、それから何かを追及されるようなこともなく打ち合わせはつつがなく進んでいった。無事お菊さんも戻ったところで、代表らしき中年の社員が再び口を開いた。
「繰り返しにはなりますが、くれぐれも炎上するような行動はお控えいただきますよう。ではこれで……」
「少し、いいかね」
暫し黙っていた神宮寺が手を上げ、こちらに顔を向けてくる。
攻撃的な笑顔。
「もし、違ったら申し訳ないんだが、君。何か言いたいことがあるんじゃないかな?」
声が漏れそうになるのを必死にこらえる。
まさか、バレたか。
スマホを握り”例のもの”を出す。
危険だが、やるしかない。
「あの、実は……」
「お、おい!」
スマホをテーブルに置いた瞬間、素っ頓狂な声で口裂けさんが僕の肩をつかむ。
その相手方も画面に目を移すが神宮寺と中年の社員は首をひねるばかりだった。
「あっこれ! 困りますよ~」
若い男が甲高い抗議の声を上げた。その声を聴いて口裂けさんも驚いたようにスマホの画面に目を移す。
そこにあるのは『ホープフューチャー30周年記念に行ってみた』というタイトル文字。
「いや~実はですね。うちの登録者、神宮寺大臣のファンが結構いましてね。大臣もあいさつされるということで僕らのほうでも別角度から撮るのもありなのかなぁと」
「少しよろしいですか」
それまで後ろで控えていた屈強な男が地図を確認し始めた。ボディーガードとして安全面の確認だろうか。
「先ほどの打ち合わせでもありましたが、大臣挨拶の際、撮影はご遠慮……」
「いいじゃないか!」
神宮寺の弾んだ声が甲高い声をかき消した。先ほど地図を見ていた男が何かを大臣へ耳打ちする。彼は何度も頷いた後満足げな顔で立ち上がった。
「声を通じて考えを国民に知ってもらうのも政治家の立派な仕事だ。まあ、もし、不利益が出るなら埋め合わせは私のほうで、ね」
その声には有無を言わせない響きがあった。何かを言いたげな社員もその口を閉じる。
これで、話は決まった。
そそくさと部屋を出ようとした時、背後から声を掛けられる。
「いやあ、しかし、実際に会えてよかったよ。自分の目で見ないとわからないからね」
「パーティーに来る方をご自身で確認されるんですね」
もう、早くここから出たい。
再び会釈して重たい足を無理やり動かす。
「そりゃそうだよ君」
「大切なことは自分の手でやりたいのさ。CMでも言ってるだろ?」
声には答えず、礼をしてそのまま会社を後にする。
外へ出たとたん、肩の力が抜けた。
張りつめていた空気が、一気に崩れ落ちるようだった。
掌に痛みが走る。
気づかぬうちに、手のひらに爪を立てていたらしい。少しでも会社から離れようと歩き出してふらついたところをお菊さんと口裂けさんに支えられた。
気づかないうちに随分と体力を消耗していたらしい。
「おいおい、大丈夫か……しっかしお前上手い事だましたな。私も勘違いしちまったよ」
「ありがとうございます。あれで勘違いしてくれればいいんですが。お菊さん、証拠はありましたか」
彼女は得意げな顔で小型カメラを見せてきた。つながった接続コードが揺れている。
「ばっちりよ。全部撮ってきたわ。まあ、いろいろ絡繰りはあったけど、透明になれる私からしたら造作もないわね。金庫にお皿でも置いておけばよかったかしら」
そういうと彼女は自慢げに鼻を鳴らした。幽霊の能力を活かせたことが随分とうれしいのだろうか。
「菊ちゃん、金庫には何があったんだ?」
「変な紙切れが沢山あったわね。ああ、あと横文字のよく分からない単語が……まあ、全部撮ってきたからね。大丈夫よ。ほら、まずは戻りましょ。大一番前に逝っちゃったら大変でしょ」
それから2日。
パーティーの日が訪れた。
煌びやかな空間。真っ白なテーブルには色とりどりの食物と様々な酒類が並んでいる。だが、手を付ける気にはならなかった。ふらつくのは体調の悪さからだけではない。
あいつの意志を残せるかが今日この瞬間決まる。
嫌な緊張。
胸を掴まれたような重苦しさが、内側からじわじわと広がっていく。
頭が霞む。手足は熱を帯び、心臓の鼓動だけが異様に大きく響いていた。
「おい、大丈夫か」
口裂けさんが近づき、会場の隅まで腕を引いてくれた。
立つのが、つらい。用意されている椅子へと腰掛ける。
「あれ、お菊さんは」
「ああ、あそこだよ。ああ見えて言葉使いは丁寧だからな。人間どもの応対をしてもらってる」
口裂けさんが顎で指した方向を見ると、来場者数人と談笑するお菊さんの姿があった。
普段の言動を考えると不安しかないが、大丈夫だろうか。
「ん? だいじょうぶかって? お前は自分のことを心配してろ。それに、そろそろ」
それからすぐ、壇上へ彼女らを含む著名人を呼ぶアナウンスがあった。
とうとう、時が来た。
「うっし。じゃあ私らは行ってくる」
彼女は数歩歩んだ後、立ち止まる。
「頼んだぞ」
こちらを見ることなく告げると彼女は壇上へ。そして周りには群衆が集まりつつあった。
僕も、準備せねば。
壇上には巨大なスクリーン。そしてその近くにはノートPC。
そっとスマホを起動し遠隔操作アプリを立ち上げる。
大丈夫、大丈夫だ。
家に帰って、何度も確認した。きっと動く。
「皆様。本日はお集まりいただき……」
社長と思わしき初老の男が話し始める。
まだ、大丈夫だ。
接続ボタンを押す。くるくると回る接続確認のマーク。
10秒、20秒。
繋がった。
急ぎお菊さんの映像データアップロードを開始する。
ここまでは、計画通りだ。
あとは神宮寺が登壇したときに不正の証拠を流してやればいい。
この全世界へのネット放送なら証拠を消すことはできない。
40%、50%
登壇している2人がこちらを一瞥。
見えるかわからないが、スマホの画面を向こうへ向けた。
大きな口がニヤリとまがった。見えたらしい。お菊さんにも耳打ちすると彼女も顔をほころばせている。
70%、80%
ひときわ大きな拍手。いつの間にか初老の男は去り、神宮寺が登壇していた。
「えー、皆さん。ああ、ありがとう、ありがとう。まず、ここでお話をする前にひとつ、お伝えしたいことがあります」
85%、90%
もう少し。
「先日、社内を調査したところ、PCにウイルスのようなものが仕掛けられていることがわかりました」
小さなざわめき。
ずん、と腹の底が抜ける。
絶望。いや、まだ。
早くアップロード。
90%から動かない。
「私は国を変えるという信念のもと、議員としてのすべてを捧げてきました。この人生、そのためだけにあったといってもいい。当然、党内にもそれ以外にも私への反対勢力は存在しています」
だめだ、うごかない。
何か手を。
そんな時、スマホの画面が真っ暗になった。
「ですが私は、改革は、負けません! ウイルスについても対策済です。遠隔操作を行えば相手のデータを破壊するよう防衛策をとっています」
大きな拍手。
暗い画面に悲壮な顔が映る。
絶望。自分の顔が画面へ溶けていく。
全部、終わったんだ。
「本社、ホープフューチャーには私のCMなど多くのことを依頼しています。それはその名があらわす通り希望ある未来を共に、作り出すためです!」
神宮寺の演説は止まらない。
手の感覚が薄くなっていくのを感じる。
再びスマホへ視線を戻すと、そこに。
死んだ友人の顔があった。
「本社が30年という素晴らしい……ふし……め」
神宮寺の声が止まった。
ざわめきが広がる。
僕の目の前には、幽霊がいた。
柔らかな前髪と人懐っこい顔。
僕の、友人が。
あいつは僕に向かって笑いかけた。
あの、子供みたいな、笑顔で。
ふわりと浮かぶと、彼はスクリーンへと音もなく吸い込まれていく。
この霊はきっと、神宮寺にも見えているのだろう。
顔はここからでもわかるほど真っ青になり、唇をわなわなと震わせている。
『先生、説明してください。これは何ですか』
突如、スクリーンに映像が映された。豪華な机の上に並べられた数々の書類。
不正の証拠だ。
『麻薬素材の密輸、ホープフューチャーはじめ多数の企業からの金銭授受。どうして、こんなことを』
これは、あいつの目線だ。
目の前にいるのは神宮寺。能面を張り付けたような無表情でこちらを睨みつけている。
『君はまだ若いねぇ。少し、話をしようか』
纏わりつく蛇のような眼光。画面にノイズが走り、別の場面へと移る。
冷たい月の光に照らされるフェンス。
これは屋上だ。
『人と国を動かすというのはどうしても金がかかるんだ。わかるかい?』
フェンスへ両腕をかけた神宮寺がうそぶく。薄暗く明かりの中で、その表情は影に隠れている。
『その情報を渡してくれるなら、君にも便宜を図ろうじゃないか。私は友人も多いんだ』
『この情報はすべてリークします』
その言葉を聞いても神宮寺はやはり顔色一つ変えなかった。胸ポケットから取り出した煙草をカメラのほうへ差し出す。
『わかった。もう降参だ。一服どうだい……これから刑務所に入る男の最後の願いを叶えてくれ』
正面に神宮寺が回り込んだ。金装飾が施されたライターをこちらへ差し出している。
『しかし……残念だよ。君はとても勇敢だ。それでいて正義感も強い』
『だから、そんな人を失うのはね』
カメラが上を向くと神宮寺は何かを構えていた。
これは、銃だ。
一発。閃光。
会場から悲鳴が上がる。
カメラは崩れ落ち、薄明りでもわかる赤い液体が屋上に広がっていく。
二つの人影が近づいてくる。
これは、パーティーに出ていた初老の男とボディーガードの男。
『先生、おっしゃってくだされば我々が処理しますよ』
『いやなに、君たちも知っているだろう』
用を果たした銃をボディーガードに渡しつつ、神宮寺はこちらを見下ろす。
『手を汚すのも信念のうち。大切なことは自分の手でやりたいのさ』
最後の声は底冷えするような響きだった。
それを最後にスクリーンで流れた恐怖映像は終わりを告げる。
そして。
一瞬の間をおいて群衆が爆発した。
泣き叫ぶもの、人殺しと糾弾するもの、今の状態をスマホに収めようとカメラを回すもの。
時間が来たのは、僕も同じようだった。
目を開けていられない。
ゆっくりと、瞼が。
「今のうちにお暇しましょ」
「やったなおい! とっととずらかるぞ」
二人に肩を抱えられる感覚。
山となった群衆の中に神宮寺が消えていく。
安堵か、疲労か。僕の意識は、音もなく沈んでいった。
現役の大臣が不正隠ぺいのため一般国民を銃殺する。このショッキングな映像は瞬く間にネットで拡散され、世界中のメディアが大々的に報じ始めた。
AIを使用したフェイク動画ではないかとの議論も解析により一蹴されると、国内の大手マスコミも腰を上げ本格的な報道を始めた。
だが、この事件を決定的に特異なものにしたのは、間違いなく“幽霊の存在”だった。
人気絶頂の大臣の裏の顔を幽霊が暴く。あり得ない話――にも関わらず、その異様さこそが人々の好奇心をかき立てた。怪しい月刊誌ですら採用を躊躇するレベルの話題に、世界中が飛びついたのだ。
一度火がつけば止まらない。数字が取れると確信したマスコミは、連日連夜この事件を取り上げ、誰もがこの話題を口にするようになっていった。
さらなる衝撃は続く。押収された不正の証拠品の中には、薬物の密輸ルートに関する記録まで含まれており、ついには国連までもがこの問題に介入。幽霊の存在が映像で証明されたことにより、オカルト愛好家や陰謀論者、果てはUFO研究家までがこの騒動へ参戦し、事態は混沌の極みに達していった。
そして、ついに現役大臣・神宮寺の逮捕というフィナーレに日本、いや世界中が騒然となった。
最後まで神宮寺を庇っていた総理大臣も、支持率2%という致命的な数字の前に屈し、辞任を余儀なくされた。
やがて世間の関心は“幽霊を生んだスマホの持ち主”と“彼を連れ去った二人の女”へと向かっていく。これには様々な憶測が飛び交った。
党内反対派・野党の工作員説、CIAなど海外の特殊エージェント説、はては宇宙人の使者説にまで及んだが、いずれも証拠に欠けるものばかりだった。
学校、会社、SNS……様々な時間・場所で全員がこの話題に魅了され、空前の社会現象となった。
世間をこの狂乱へ巻き込んだ元凶である3人組はその姿を忽然と消し、今はただその伝説だけが残っている。
「あら、あの子が居なくなったから吸うことにしたの? 一本もらっていいかしら」
「……吸いたい気分なだけだよ」
ビルの谷間、背の高い赤いハット帽と小柄な白装束が街灯もない暗がりでたたずんでいる。
口裂けさんは使い古したジッポライターを取り出した。
やがて二人から紫煙が立ち上る。
「全然うまくねえな」
「ほんと、おいしくないわね」
街路を行く人々はいつも通り随分と早足で、誰ひとりこの暗がりに目を向けようとはしなかった。
「結局、何か変わったのかねぇ。何もなきゃ、あいつが浮かばれねぇ」
「何もないってことはないと思うわよ。少なくともあの子の願いは叶ったでしょ……それに、物事はそんなにすぐ変わらないものよ」
先の社会現象の余波も収まった今、人々はいつも通りの暮らしを取り戻し始めているようだった。
お菊さんはふっと煙を上へと吐き出す。煙は暗闇にすぐ溶けて見えなくなった。
「あいつは何物にもなれないって言ってたが、とんでもねぇ。スゲエ伝説残したじゃないか。だが、その名前を知ってるやつが、どれだけいるのか」
「いるでしょ。少なくともここに2人」
その声は、少しだけ寂しさを含んでいた。
……そろそろ、声をかけてもいいだろうか。
「さて、これからどうするかね。まあ、私は……」
「あの~」
「ひっ」
「うおっ」
僕が声をかけると二人は腰を抜かしたように倒れこんだ。
……まるで幽霊でも見たかのような反応だ。まあ、正しいんだけど。
「お、おまえ! ば、化けて出やがったのか」
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時──照見五蘊皆空度──一切苦厄──」
「き、菊ちゃん。とりあえず今の霊にお経は効かないんじゃないかな」
「ま、まあ聞いてください。実は……」
それから僕は二人に死んでからのことをかいつまんで説明した。死者を選別する”門”までは行ったこと。
そして。
”悪霊を助けて善行をなした魂”という前例がないということで門前払いにあった話を。
聞いていたお菊さんは得心したように何度も頷いた。
「ああ、まあ。あそこは前例をやたら重視するからねぇ……って今から前例探してたら数百年じゃすまないんじゃないかしら」
「それよりお二人とも聞いてくださいよ! 僕新しくこれを始めてみたんです」
「ん? うおっ! 何か、思念が流れてきて……幽TUBE!?」
今2人の頭の中には僕の作った幽TUBEのトップが映っているはずだ。
幽だけは暗青色。他の字は血のような赤で、亡者ウケを狙ってTの文字は蝋燭で作っている。
結構自慢のデザインだ。
選別の門、地平線まで続く死者の行列で待たされているときのこと、獄卒達の「業務がパンク状態だ」という愚痴を聞いていた。
そして、その時体に電流が走った。
思い出したんだ。
生前、お菊さんが浮遊霊と交信していたことを。
「そしてこのように幽霊なら誰とでも交信できるように調整してみたんです」
「は、はあ……それで?」
口裂けさんは困惑した様子で腕組みをしている。とても画期的だと思ったんだがまだ伝わっていないのだろうか。
「どうって! 口裂けさん。人間の数なんかより亡者の数のほうがずっと多いんですよ! だからこれからは人間じゃなく亡者に向けてコンテンツを出すんです! 生者はもう古い。これからは亡者の時代です!」
「生者は古いとか言いながらお前のこれ人間のモロパクリじゃねえか」
ついつい熱くなってしまった。2人の反応を見てみるが、口裂けさんは呆れたような顔をしてお菊さんはくすくすと笑っている。
そろそろ言わないとな。居住まいを正し、2人をまっすぐ見据える。
「あの、それで……また、一緒にどうですか?」
──人生で特に充実していた時間はこの二人といた時だった。
だから。
死んだとしても、また一緒にいたい。
言葉をつなげようと口を開く前にお菊さんが僕の手を取ってきた。
「もちろん、また、よろしくね」
「ま、暇つぶしにゃ丁度いいな」
口裂けさんが、三日月みたいに口をゆがめて笑った。タバコの先で、小さな炎が揺れる。
やっぱり、彼女はこうでないと。
「さて、行く宛てもないだろ? 来な。まずはいろいろ案内してやるよ」
「また楽しくなるわね。ねぇお口?」
三人そろって歩き出す。ビル影から覗く夜空はどこか青みがかっていてスキップしたくなるような色をしている。
「そういやほれ、お前も吸ってみろ。心配すんなって、もう死ぬことはねえからな」
僕が煙草を咥えると、2人も顔を突き出してきた。煙草の先端が触れ、小さく灯る暖かな光が自分のものにも移される。
これが……人生で初めての煙草。いや、幽生か?
軽く吸ってみるとあまりの苦しさに思わず咳きこむ。
そんな様子を見て二人は楽しげに笑っていた。
「そんなに一気に吸うもんじゃねぇ。ゆっくり楽しめ。特にこの煙草は……今まで吸った中でも一番うめえからな」
「ほんと、とってもおいしいわ」
暗い、誰も目を向けない細道を僕らは歩いていく。今日はあいにくの曇りか星は出ていない。
僕は煙草を手に取り目の上へ掲げてみる。なるほど、これはちょうどいい。
夜空に浮かべた暖かな明星を目印にして僕らはどこまでも進んでいった。
