ふたたび、手を眺める
母がグループホームに入っているときに始めたアロマセラピー、先月家に帰りたいと言っていた人は、今月子どもが面会に来ると追い返し、次の月に亡くなってしまう。
男性入居者から戦争の話を聞きたくて始めたものの、職員のことを「貴様」といって、ズボンのベルトを振り回しているのを見ると、身体化されてしまった戦争の傷跡を、ことばでは語り尽くせないのだろうと思う。
だからといって、家族と介護職員だけが、暴力を受けとめるという、ゆえんはない。
その暴力を振るう高齢男性の握りこぶしや、職員を「掴む」手は、ふだんぼんやりしていても、心の中に憤慨のパワーが温存されている。
それを受けとめる職員の「美しい手」は、「手の甲」のほうで、自身の顔を覆って、歯向かったりできない。
手は、人間が生きている限り働くものなので、汚れていき、そんな手は生活や労働のなかで傷つき、病むことが多い。
入居者にとって、自分のお気に入りの職員の手は柔らかくて、温かい。
嫌いだとはねのける。
会社の上役が「女に手を出す」のは、意識のあとに行動があるけど、高齢者は意識するより、そうしてしまう(立川昭二1996)。
やはり、赤ん坊と高齢者は役割がうすいから、無意識な行動をしてしまうのだが、計算高くすることは、もはや出来ない、のだと思う。

電車に乗る、誰かに触ってもらわなくても、自分の左手は右手の親指の付け根を揉みほぐし、丹田に力を入れて、左右の指を重ね合わせて、気分を落ちつかせる。
施設で誰かが亡くなった日は、いつの間にか、そうしている。…明日へのしあわせ
