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AIエリートにシンギュラリティを起こさせるな

ネットを見ていると、

シンギュラリティまであと何年。

いや、定義によってはもう来ている。

いや、2030年代には確実だ。

そんな話があふれている。

不思議なのは、その前提を疑う人がほとんどいないことである。

まるで、

シンギュラリティは地震や台風のような自然現象であり、

人類にはどうすることもできない運命であるかのように語られている。

私は言いたい。

ちょっと待てよ。

それ、本当に自然現象なのか。

シンギュラリティは勝手にやって来るわけではない

シンギュラリティというのは、

AIが人間の知能を超え、

さらに自らを改良し続けることで、

人類が予測できない変化が起きるという考え方である。

しかしよく考えてほしい。

シンギュラリティは台風ではない。

地震でもない。

火山噴火でもない。

人間が開発を続けるから起きるのである。

巨大データセンターを建設する。

巨額の投資を行う。

より高性能なAIを作る。

さらに巨大なAIを作る。

さらに巨大な計算資源を投入する。

そうした人間の意思決定の積み重ねの結果として、

シンギュラリティが語られているのである。

つまり、

シンギュラリティは運命ではない。

政策である。

投資判断である。

経営判断である。

誰がシンギュラリティを望んでいるのか

私は正直に言う。

シンギュラリティなんて望んでいない。

私だけではないと思う。

多くの人もそうではないだろうか。

一般の人が望んでいるのは、

給料が上がること。

安心して働けること。

家族が健康でいること。

老後が不安でないこと。

地域社会が維持されること。

そんなことである。

シンギュラリティではない。

では誰がシンギュラリティを望んでいるのか。

おそらく、

AIエリートである。

そしてごく一部の投資家である。

シンギュラリティにロマンを感じる人たち

AI業界には、

技術進歩そのものに強いロマンを感じる人がいる。

人類を超える知能。

不老不死。

脳とコンピュータの融合。

超知能。

デジタル神。

そうした話を聞くと興奮する人がいる。

しかし私は違う。

正直に言えば不安である。

得体の知れないものに対する恐怖を感じる。

そしておそらく、

私の方が多数派ではないかと思う。

AI業界の中では少数派かもしれない。

しかし世の中全体で見れば、

シンギュラリティに期待している人より、

不安を感じている人の方が圧倒的に多いのではないか。

誰も同意していない計画

私が違和感を覚えるのはここである。

シンギュラリティは、

まるで人類全体の共通目標であるかのように語られる。

しかし、

そんなことを誰が決めたのだろうか。

国民投票があったわけでもない。

住民説明会があったわけでもない。

選挙で争点になったわけでもない。

気がついたら、

一部の企業と投資家と技術者が進めている。

そして、

「もう止められない」

と言っている。

私はそれを民主主義的だとは思わない。

原発と同じ構図ではないか

私はこの構図に既視感を覚える。

専門家が言う。

安全です。

必要です。

未来のためです。

国際競争のためです。

反対する人は無知です。

技術を理解していません。

そして後になって、

想定外でしたと言う。

私は3.11を経験した日本人として、

その言葉を簡単には信用できない。

技術には必ずリスクがある。

だからこそ、

社会全体で議論しなければならない。

シンギュラリティは国民的議論が必要だ

私はAI研究を全面禁止しろとは言わない。

AIを使うなとも言わない。

しかし、

シンギュラリティを目指すのであれば話は別である。

それは単なる新製品の開発ではない。

人類社会のあり方そのものを変える話である。

それほど大きな話なら、

一部のAIエリートだけで決めるべきではない。

社会全体で議論するべきだ。

国民が望むのか。

望まないのか。

その議論が先である。

足るを知るという選択肢

私は毎日のようにAIを使っている。

便利だと思う。

役にも立っている。

しかし同時に思う。

もう十分ではないか。

これ以上、

人を切り捨ててまで。

環境負荷を増やしてまで。

巨大データセンターを建設してまで。

莫大な電力を消費してまで。

本当に必要なのか。

仏教には知足という言葉がある。

足るを知る。

今のAI業界に最も欠けている言葉ではないだろうか。

AIエリートにシンギュラリティを起こさせるな

私はAIの暴走よりも、

AIエリートの暴走の方が怖い。

AIの暴走はまだ起きていない。

しかし、

終わりなき性能競争はもう始まっている。

終わりなき投資競争も始まっている。

終わりなきデータセンター建設も始まっている。

そしてその先にあるのが、

シンギュラリティである。

もしシンギュラリティが本当に人類の未来を左右する出来事なら、

それは一部の技術者や投資家が勝手に決めてよい話ではない。

私はシンギュラリティを既定路線だとは認めない。

それは運命ではない。

人間が選択している道である。

だからこそ言いたい。

AIエリートにシンギュラリティを起こさせるな。

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