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経理の人に営業をやれと平気で言うAIエリートの残酷さ。「最適化」の罠とは

AIエリートの信念

AIに関するニュースを見ていると、ある種の共通した思想が見えてくる。

それは、

「社会のあらゆる分野をAIによって最適化すれば、社会問題は解決する」

という信念である。

人手不足ならAIで効率化する。

余剰人員が出たら配置転換する。

無駄を削減する。

生産性を向上させる。

資源配分を最適化する。

彼らはそれを善意で語る。

そして多くの場合、その主張には数字が並ぶ。

何%効率化できた。

何人分の業務を削減できた。

何億円のコストを削減できた。

確かに数字だけ見れば正しい。

しかし私は、その議論を聞くたびに違和感を覚える。

なぜなら、そこには人間がいないからだ。


AIニュースで繰り返される「配置転換」という言葉

最近のAI関連ニュースを読むと、よく出てくる言葉がある。

「間接部門の人員を削減し、営業部門へ配置転換した」

経理。

法務。

人事。

総務。

バックオフィス業務AIで効率化した結果、人員が余る。

だから営業へ回す。

数字だけ見れば合理的だ。

だが私は、その文章を読むたびに思う。

その経理担当者は、本当に営業をやりたかったのだろうか。

その法務担当者は、毎日新規開拓をしたいと思っているのだろうか。

その人事担当者は、飛び込み営業が向いているのだろうか。

AIエリートたちは簡単に言う。

「人員を最適配置しました」

しかし、その一言の裏側には人間の人生がある。


私が営業マンになった日のこと

私は昔、ベンチャー企業へ転職し、営業の仕事をしたことがある。

法人営業だった。

テレアポをして、面会の約束を取り付け、訪問営業を行う。

営業初日。

私はひたすら電話をかけ続けた。

断られる。

断られる。

また断られる。

その日、私は99回電話をかけた。

そして上司が言った。

「今日はこのくらいにしておいてやる」

営業とはそういうものだ。

営業マンとしての洗礼だった。


99回連続でノーを食らう恐怖

営業経験のない人には伝わりにくいかもしれない。

しかし、99回連続で拒絶されるというのは想像以上につらい。

電話をかける。

断られる。

電話をかける。

断られる。

電話をかける。

断られる。

それが延々と続く。

もちろん相手は悪意があるわけではない。

単に忙しいだけかもしれない。

必要ないだけかもしれない。

しかし営業する側の心は確実に削られる。

毎日毎日、自分が否定されているような感覚になる。

私のライフは確実に減っていった。


訪問営業まではできるようになった

それでも私は続けた。

少しずつ面会のアポイントが取れるようになった。

訪問営業もできるようになった。

しかし問題はそこからだった。

契約が取れない。

一か月。

契約ゼロ。

営業の世界では数字が全てだ。

契約を取れない営業マンに居場所はない。

誰も直接責めなくても、自分自身が一番苦しい。

長い長い暗闇のトンネルだった。

毎朝会社へ行くのが苦痛だった。

私のライフは残りわずかだった。


エビチリの味

私は辞めようと思った。

正直、限界だった。

しかし一つだけ心残りがあった。

契約を一件も取らずに辞めるのは悔しかった。

だから決めた。

一件取ってから辞めよう

そう思った。

そしてある日。

ついに最初の契約を取ることができた。

その夜。

上司が中華料理屋へ連れて行ってくれた。

そしてエビチリをおごってくれた。

あのエビチリの味は今でも覚えている。

二十年以上経った今でも覚えている。

それほど苦しかった。

それほど嬉しかった。

最終的に私は契約を五件取って会社を辞めた。


営業課長ならこう言うだろう

ここまで読んで営業経験者はこう思うかもしれない。

「何を甘えたことを言っている」

「営業なんてそんなものだ」

「玄関で塩をまかれて一人前だ」

実際、私は以前参加した「つらくない営業セミナー」講師からそう言われた。

「営業は玄関で塩をまかれて一人前です」

すると会場の営業マンたちが拍手喝采した。

私はその光景を見て思った。

やっぱり私に営業は無理だ。


経理や法務の人はどう思うだろう

では逆に考えてみてほしい。

今、経理や法務や人事の仕事をしている人はどう思うだろうか。

おそらくこう思うはずだ。

「いや、毎日ノーのボディブローを100発食らう仕事なんて無理です」

「だから事務職を選んだんです」

「だから経理になったんです」

「だから法務になったんです」

その感覚は極めて自然だと思う。

私自身もそちら側の人間である。


AIエリートは人間を工場の部品として見ている

なぜAIエリートは平気で配置転換を語れるのか。

理由は単純だ。

彼らの頭の中では人間が資源だからである。

人材。

人的資本。

労働力。

そういう言葉で表現される。

工場の機械なら理解できる。

部品Aを外して部品Bへ付け替える。

ラインを組み替える。

最適化する。

しかし人間は違う。

人間には感情がある。

適性がある。

向き不向きがある。

得意不得意がある。

好き嫌いがある。

ストレス耐性がある。

営業で輝く人もいる。

経理で輝く人もいる。

法務で輝く人もいる。

人事で輝く人もいる。

それを一律に最適化しようとする発想自体が、人間を部品として扱う発想なのである。


最適化思想が見落としているもの

AIは効率を計算できる。

コストを計算できる。

利益を計算できる。

しかし人間の心は計算できない。

営業向きではない人間を営業へ配置した結果、

離職率が上がる。

うつになる人が増える。

自己肯定感が下がる。

人生そのものが壊れる。

こうしたコストは経営指標に現れにくい。

だから見落とされる。

しかし実際には存在している。

そしてその負担を背負うのは現場の人間である。


本当に必要なのは最適化ではなく適材適所である

私はAIそのものを否定したいわけではない。

AIによって業務が効率化されること自体は悪いことではない。

問題は思想である。

「人間を自由に配置できる部品として扱う思想」

である。

人間は工場の部品ではない。

人間はそれぞれ違う。

社会に必要なのは、機械的な最適化ではない。

適材適所である。

人間の特性を理解した上での配置である。

それを無視した最適化は、数字を改善するかもしれない。

しかしその裏で、人間を静かに壊していく。


結論

AIエリート善意で言う。

「最適化しましょう」

「配置転換しましょう」

「余剰人員を有効活用しましょう」

しかし、その言葉の向こう側にいる人間の人生は見えているだろうか。

経理の人経理だから頑張れたのかもしれない。

法務の人法務だから力を発揮できたのかもしれない。

人事の人人事だから生き生きと働けたのかもしれない。

人間は部品ではない。

だからこそ、人間社会は単純な最適化では動かない。

AIエリートが経営者に最適化を提案し、その提案が採用されるたびに、数字の裏側で何が起きているのか。

私はそこに目を向けるべきだと思う。

最適化された組織の陰で、今日もまた誰かの心が静かに削られているかもしれないのだから。

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