図書館本54冊目『コンビニ人間』村田 沙耶香 文庫版168P 第155回芥川賞受賞作

タイトルは知っていましたが、芥川賞受賞とは記憶にありませんでした。
新聞で受賞の記事は読んだかと思いますが…

『バリ山行』や『サンショウウオの四十九日』を読んで、今更ながら「芥川賞って面白いなー」と思っていたところだったので、友人から「面白かったよー」聞いていたのもあり、借りて来ました。
(『むらさきのスカートの女』を借りたときにも、受賞作だったとは記憶になくて、読んでから、「芥川賞って、こういうもんやったん?おもろ…」と思いました。)

『コンビニ人間』も面白かったです。

主人公の「私」古倉恵子は36歳。
大学一年生の時に、オープニングスタッフとしてコンビニバイトを始めました。
そのコンビニで18年間バイトを続けています。
独身、恋愛経験なし、就職経験なし。

私は、その経歴に違和感を感じていなかったのですが、恵子を通じて見ていくと「あぁ、これは普通じゃないんだなぁ…」と理解しました。


幼稚園の頃、恵子は公園で死んでいる小鳥に遭遇します。

かわいそうがって泣きじゃくる他の子どもたちや、「お墓を作ってあげようね」などと言う大人たちの前で、恵子の「これ、食べよう」発言。

大人たちがその発言にドン引きしているところに、更なる恵子の「もっととってきたほうがいい?」発言。
彼女は、(一羽じゃ足りないのかな)と考えてそう言ったのです。

私も、(食べちゃだめだよ)と思ったのですが、理由は
「こんな街中の公園で死んでる鳥なんて、何食べてるかわからないし、何か病気で死んだのかも知れないし…」と言うものです。

その場で私がそんな発言をしていたら、私も一緒にドン引きされたのでしょう…

私は恵子の「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」という言葉にも「かわいいこと言うやん。ええ子やなぁ」と感心してました。

けれど、この場では「恵子側」じゃない「あちら側」の人たちが「普通」なんですね。
(「あちら側」の人たちに言わせれば、恵子の方が「あちら側」の扱いなんですけど。)

恵子もその辺を理解して、必要な事以外は喋らず、「普通の人」の真似をしたり、指示通りに動くことで、周りが求める「普通」をまとって生活をこなしてきました。そういうことは出来るのです。
家族が「治って」ほしいと望んでいることも、自分はどこか「修正」しないといけないのかな、と考えることは出来るのです。
悲しませたくないから。
喜んでもらえると嬉しいし。


私からすると、「コンビニ店員なんて大変過ぎてムリ」と思ってしまうんですが、臨機応変に作業の予想も立てながら、テキパキとあらゆることに対応している恵子の様子は、生き生きと働く有能なアルバイトに見えて「恵子、すごいやん」と思います。

これは、コンビニのマニュアルが優秀すぎるんでしょうか。
そうだとしても、常に頭を働かせてスピーディーに業務をこなすコンビニ店員、恵子、とてもまともです。
ピッタリとはまれる居場所を自力で見つけられて、すごいじゃありませんか。
(企業にとっても都合が良いではありませんか。)

けれど、体調も身だしなみも整えて、勤勉に働いて生活を維持できていても、「普通」の人たちからすると、就職せずに36歳でもバイト生活で、独身、恋愛経験なし、というのは放っておけない異常事態のようで、家族や友人が勝手に心配してあれこれアドバイスしてくれます。

恵子は不都合に感じていないのに。
コンビニと調和していることに満足して、心穏やかに過ごしているのに、です。

私は初っぱなから恵子側として読んでいるので、この親切な「普通」の人たちの「普通」の押しつけがかなりウザいです。
気持ち悪いくらいです。
けれどこれは、「あるある」なんでしょうね。
「普通」の方が滑稽に見えてきます。

「私」である恵子の目線で物語りが進むので、たまには「わたしゃ、そこはないなぁ」と思いながらも、恵子に肩入れして読んでいけて面白かったです。
ちょっとサイコ?と思うところもあるけれど…

私は以前、小学生時分の娘に「サイコパス診断テストしてあげるー」と、言われるままに話を聞いて質問に答えたところ、「お母さん、サイコパスーっ!」って言われたことがあります。
なんかちょっと、褒められたような気がしたもんです。

「よそのお母さんはもっと普通やのにー」って言われたこともあります。
テへっ、ペロっですね。
「普通って何?何が普通なん?」って言い返してやりましたよ。
ウザい親ですね。

こんなんでも生きてますぜ。

恵子、応援してるよ!
(彼女の方が、私よりよっぽどよく考えて観察して、周りに合わせて的確に行動しています。見習わんと!)


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