見出し画像

51歳のおっさん、noteやsns上から目線コメントに気持ちが萎える。

noteを書いていると、ときどきコメントをもらう。
「分かります」
「自分も同じです」
「読んで元気が出ました」
そんな言葉は、素直にうれしい。
自分が経験したことや、そのとき感じたことを文章にしただけなのに、誰かの心に少し届いた。

それだけで、書いてよかったと思える。
でも、たまにいる。

noteに限らず、ほかのSNSでもそうだが、なぜかどこにでも必ずわいてくる。
上から目線で、ひと言言わずにはいられない人が。

こちらは、自分の経験や考えを自分の言葉で書いているだけなのに、
「普通はこうです」
「その考え方は違います」
「もっと勉強したほうがいいですね」
と、頼んでもいないのに先生のように教えてくる。

たぶん本人に悪気はない。
親切のつもりかもしれない。
でも正直、
「それ、言わなくてもよくない?」
と思う。

noteは、試験の答案用紙ではない。
誰かに採点してもらうために書いているわけでもない。
自分が見たこと。
感じたこと。
失敗したこと。
面白かったこと。
それを、そのまま残しておきたいだけだ。

ところが、上から目線のコメントをもらうと、次の記事を書くときに、その人の顔が浮かんでくる。

「また何か言われるかな」
「この表現は突っ込まれるかな」
「間違っていると思われないかな」
そんなことを考え始める。
すると、自由に書けなくなる。
本当は笑い話として書きたかったことも、説明を足し、言い訳を入れ、角が立たないように整えていく。

気がつけば、自分の文章なのに、自分の言葉ではなくなっていた。
51歳にもなって、知らない誰かのひと言に気持ちを乱される。

少し情けない気もする。
でも、それだけ真剣に書いているということなのかもしれない。

もちろん、間違いを丁寧に教えてくれるコメントや、違う考え方を穏やかに伝えてくれる意見はありがたい。
ただ、意見を伝えることと、相手より上に立とうとすることは違う。
コメント欄は、勝ち負けを決める場所ではない。

最近、そう思う。
全員に好かれる記事なんて書けない。
全員に納得してもらう必要もない。
だからこれからは、少しくらい不器用でも、自分が感じたことを自分の言葉で書こうと思う。
嫌なコメントに、無理して返事をしなくてもいい。

距離を置いてもいい。

書き続けるために、自分の気持ちを守ることも大切だ。

noteは、誰かに正解を認めてもらう場所ではない。
自分の人生を、自分の言葉で残す場所だ。
たった一人の上から目線の人に、自分の言葉まで奪われたくない。
51歳のおっさん、今日はそんなことを思った。

いいなと思ったら応援しよう!