俺のファンが世界的スターになっていた(1)
第1章 熱狂俺オタク
あらすじ:
—「私、ライブに来るの、これで最後にしようと思ってるんです」
駆け出しアイドルの俺―空木理人は熱狂俺オタクの花ちゃんに突如別れを告げられる。
ファンをやめるのかと思いきや、イギリスに留学に行くらしい。3年後、人気になって待ってると約束した俺だったが……
帰国した花ちゃんは、俺より人気の世界的スターになっていた!?
どれだけ大手になってもまっすぐにラブな花ちゃんに振り回されっぱなしだけど、これは絶対にぜーったいに、恋じゃない!
#0.5 はじまりのはじまり
花がパーティションから飛んできた。
といっても植物ではなく、大切な俺のファンの一人。
「花ちゃん」
狭いライブハウスの特典会場に花ちゃんの歓声がこだまする。
ライトグリーンとスカイブルーの混じったような「スカイ」色のペンライトを2本片手に、彼女は駆け足で寄ってくる。
「やばい、リヒトくんだ……」
俺の差し出す両手にも気づかずに花ちゃんはうわの空で両手を組み、天に祈りを掲げている。
普通、推しの握手の合図の方が目に入るだろ、とは思うが、さすが熱狂俺オタク—字面にすると少々恥ずかしい。
「今日も、めちゃくちゃかっこよかったです。特に今日はソロパートが最高に響いてて……」
現実世界にかえってきた花ちゃんからの熱量という名の特大感情と握手をうんうんと受け止める。
「花ちゃんは本当に俺のことよく見てる」
「生涯の推しですから」
それ地球と太陽どっちが動いてるか聞いてるようなものですよ、と花ちゃんが付け足す。
言っていることの8割意味が分からないが花ちゃんは昔から—「花語」で会話してくるので、こういうことにももう慣れた。
と同時に、花ちゃんとの過ごした時間の長さを思い知る。
「……ね、リヒトくん」
今度は俺がうわの空に見えてしまっただろうか。
そんなことを心配したのは、鈴のように軽やかな花ちゃんの声に重みがあったからかもしれない。
俯いた花ちゃんの双眸がゆっくりと開き、頭ひとつ分高い俺の瞳を捕らえる。
「……私、ライブに来るの、これで最後にしようと思ってるんです」
ひゅっと浅く呼吸する。じわじわと押し寄せる理解と感情に、後ろ首に汗が滲む。
花ちゃんが。
「―俺のファンを、やめる……?」
花ちゃんの茶色い目が大きく見開いて、天井のライトを映し出す。
花ちゃんの反応で、俺は自分が心にしまっていたと思っていた言葉を声にしていたことに気づく。
「いや、でも、いいんだ。やめることは悪いことじゃない」
「違う、違うんです理人くん、理人くんのことは大好きで」
花ちゃんが段々と身を乗り出してくる。
「じゃぁどうして—」
「イギリスに、行くんです」
「……え?」
「だから、イギリスに行くんです。留学です、三年間の」
はぁぁ、と溜まっていた緊張感を吐き出す。
「焦った、俺、本当に何かしたかと……」
「さっき言ったばっかですよね、リヒトくんが生涯の推しだって」
だから焦ったんだよ—と言おうとして、ピピピと終了を知らせる機械音に止まる。
「じゃぁ……これで。イギリスから、応援してますね」
「き、帰国したときには、また会いにこいよっ。俺、有名になって待ってっから」
#1
■
宣言通り—というか自分が予想していた以上に、俺は—俺たちは、有名になっていた。
鏡を囲むライト。鏡の上の丸時計。会議用の白机とキャスターのついた黒イス。
ライブハウス時代には有り得なかった控室にも、有難いことに見慣れ始めていた。
朝からのリハーサルにかいた汗を油とりシートで押さえながら、黒イスにどかっと座る。俺の勢いに任せてイスが少しばかり後ろに滑る。
「お疲れ様」
俺の汗と荒い息を見て、メンバーの陽が麦茶を横に置いてくれる。
そのまま陽も、俺の真似をしたのか隣の椅子に勢いをつけて座った。
「りっくん、ライブ始まる前から頑張りすぎでは?」
陽は手でふわふわの茶髪を調整しながら、茶化すように言う。
陽の気遣いを一気飲みし、空のコップを置いて隣を向く。
俺たちは、アイドル業をベースに、テレビ番組やラジオ番組などにも出始めている駆け出しグループ「Neo+」である。
パステルピンク「マカロン」が担当カラーの最年少・ハル(陽)
純白ホワイト「クリスタル」が担当カラーで最年長リーダー・ジュン(准)
そして淡い青緑「スカイ」が担当カラーの俺・リヒト(理人)の3人組だ。
もともとは小さなライブハウスを借りてたまにライブをしていた程度だったが、路上ライブや動画サイトでの投稿などを地道に進めていたのが功を奏し、
少しずつ—だが着実に人気を得ていった。
持っているテレビ番組やラジオ番組はまだまだローカルなものや深夜放送が基本だが、事務所に所属し安定的に収入を得られている。
ライブハウス時代と変わって専業でできているのは、この仕事に専念できるのでとてもありがたい。
今も昔も変わらずの3人で、このうちの誰かが抜けるくらいなら解散―というレベルに俺たちは一心同体だ。
「何回やっても、大きい会場は緊張しない?」
「……あのライブハウスがすき?」
質問を質問で返す5個下に、どっちもすきだよ、と答えてテレビをつける。
控室にテレビがあるなんて、都会はさすがだ。どれだけ大きくなっても、どれだけ人気になっても、テレビ局やライブ会場には胸が躍ってしまう。
「そっか今日、世界映画祭か」
隣で陽が呟く。その声につられて、俺もテレビを見る。
世界映画祭。
選ばれた世界の都市で1年に1度行われ、新人女優賞、主演女優賞、主演男優賞―等々、いくつかの部門に分かれて選ばれた女優や俳優が表彰される授賞式だ。
今年の開催地は日本・東京だ。
画面いっぱいにレッドカーペットが映る。
授賞式の時刻とライブ終わりの時刻を見合わせ、「お、見れるじゃん」と俺が口に出すのと同時に扉がカチャと開いて、リーダーの准が顔を覗かせた。
「理人、陽、そろそろ行くぞー」
何度味わっても慣れない高揚を抑えるように強くリモコンのボタンを押す。暗くなった画面に俺と陽が映っている。
「はぁーいっ」
最年少ながら肝っ玉の一番座っている陽は、俺を置いて准を追いかけていく。
俺も最終確認、と鏡をチラ見してから2人の後を追いかけた。
■
「もう無理、動けねぇ……」
噴き出す汗もそのままに、控室のソファに倒れこむ。
「俺より年下なのに俺よりへばってどうするんだよ」
「3つは誤差だろ……」
俺を見下す最年長に息も絶え絶えに返す。
俺の死に様を見た陽が部屋の角の扇風機のスイッチを押してくれる。ひやりとした風が俺の首筋の汗に触れる。
「い、生き返る~……」
文明の機器、最高。扇風機を考えてくれた先祖の誰か、ありがとう。
そして陽、お前はなんて年上を敬えるやつなんだ。
「あっそだ、映画祭映画祭~」
まだスキップをする気力のある20に若さの恐ろしさを感じる。
陽はそんな俺のことを気にする様子もなく、暢気にテレビの電源をつけた。
授賞式はもう始まっていた。画面越しでさえ、荘厳な雰囲気が伝わる。
「続いて、新人女優賞の発表です」
3秒、沈黙が走る。陽や准も、俺と同じように画面を見入る。
「第38回世界映画祭、新人女優賞―」
すぅっと司会の女性が深く息を吸う。
「花衣慧さん」
一瞬の静寂の後、会場が湧き上がる。
「そんな女優いたっけ」
「新人だから知らないんじゃね?」
「たしかに」
陽と准の会話が聞こえる。
耳鳴りがする。頭が重い。
「……理人?」
「お、……俺」
声を絞りだそうとして、自分の息が荒くなっていることに気づく。
「俺……」
女性がレッドカーペットを歩く。コーラルオレンジの髪の毛が肩で揺れている。
画面に釘付けになっている俺の横で、俺を心配して寄ってきてくれた陽も硬直している。
「花ちゃん、じゃん……」
俺が言葉にできない事実を言葉にしてしまえる20に若さの恐ろしさを感じる。
「え、花ちゃんって、」
「いやだから、理人のオタク!オタクっていうか、降りちゃったのかな、急に来なくなったけど、デビュー当時からずっといてくれた人で」
「陽」
頭が追い付かず、俺より先行している年下に縋るように止める。
俺のファンが、世界的スターになっている。
言葉にしても余計意味が分からなかった。
数年前まで、埃臭いライブハウスでペンライト片手に推し活動をしていた彼女が。俺が見ない3年間で、世界的スターになるなんて。
息を吸うには息を吐くことから、という誰かから聞いた言葉を思い出して息を吐く。ライブ前と同様に陽が差し出してくれた麦茶を手に、ぐいっと一気飲みをした。
■
俺のファンが、世界的スターになっている。
そんな非現実的な現実を受け止める暇さえ俺にはなかった。
ライブが終わり、衝撃的な事実を知り、家に帰って体力的にも精神的にも疲れて爆睡し、翌日の今日はファンミーティング。
息詰まるようなスケジュールに有難さと同時に、開放感を求めてしまう。
「おっ、今日も来てくれたんだ、いつもありがとね」
次々と流れてくるファンたちに、握手をして少しの会話を交わす。
どれだけ大手になっても、ファン一人ひとりを大切にできるアイドルでありたい。昔よりずっと多くなったファンだが、俺から見て大勢でも、ファンからしたら推しは俺一人だ。
そして俺から見ても大勢ではなく、ファンとつくれる思い出は一人ひとり個で違っている。その人と俺でしかつくれない思い出。感情。
そこに比較も何もなかった。
「うん、また待ってるね、ばいばい」
飛び上がって跳ねるファンたちに思わず口元が綻ぶ。練習も本番も、楽しいという感情だけで乗り越えられるものでもないが、こうしてファンと触れ合うたび、ここが正解なんだ、と俺の居場所を再確認する。
「どうぞー」
スタッフに呼ばれ、パーティションから駆け寄るコーラルオレンジの髪が目に入る。
「―ただいま。リヒトくん」
プラスチックの当たる音を立てながら、彼女は徐にメガネを外す。
「はな—」
「しーっ!」
花ちゃんが急いで唇に人差し指を当てる仕草をする。俺ははっとして口を手でふさぐ。
「……やば、かっこいい」
「……ん?」
「今日のビジュアル、最高に素敵です。ってか髪の毛染めましたよね?明るめも最高に似合ってます。はぁ、昨日のライブ、本当に行きたかったです」
怒涛の誉め言葉に殴られ、俺は阿呆みたいに口を開けて固まる。
「―人気になるって約束、果たしてくれて嬉しいです」
花ちゃんが両手を差し出してくる。昔から変わらない白くて細い指。
「いや、花ちゃんが言えたことじゃないと思うけど……」
花ちゃんの両手を優しく両手で包む。
そもそも、人気になるっていうのは俺がって意味で約束したわけで。花ちゃんが人気になるなんて、約束すらしていなかった。
「びっくりしました?」
無敵に笑う彼女に、俺は深くうなずく。「だいぶね」
「あっちで、スカウトされたんです。女優やらないかって—それで、あっちのドラマとかに出ていて」
あっちって、イギリスのことか。イギリスでスカウトって、どういう状況―でも、そのスカウトしたマネージャーは最高に見る目があったということだ。
「でも、本当に、今回の賞は偶然というか、なんというか。監督の指示とかが的確で、私は従っただけっていうか」
「花ちゃんはすごいよ」
握る手にもう一度力を込める。俺の熱が伝わったのか、花ちゃんは耳まで赤くして俯く。
……世界的スターでも、俺のファンなんだ。
花ちゃんの腕にスタッフの手が伸びる。俺の手からするりと花ちゃんの指が抜けた。
「……会えてよかったです」
花ちゃんが微笑みかけて背を向ける。
「―花ちゃんっ」
くるりと花ちゃんが振り向く。俺の瞳の中で、昔の彼女と今の彼女が重なる。
「……絶対、また、会いに来いよっ」
