Yuの向こう側 ① 娘
新宿三丁目駅の改札へ、
Yuの後ろ姿が吸い込まれていく。
人混みの中でも、
なぜかすぐ見つけられる。
少しだけ早足。
肩へ掛けたバッグ。
改札を抜ける直前、
こちらを振り返ることもない。
いつもの別れ方だった。
俺も手を振らない。
Yuも振り返らない。
それが当たり前になっていた。
改札の向こうへ消えた姿を見届けて、
俺は小さく息を吐く。
昼過ぎの新宿。
平日だからか、
週末ほどの人混みではない。
会社員。
買い物客。
観光客。
誰も他人になど興味を持っていない。
俺もその一人に戻る。
そう思って歩き出した時だった。
「すみません」
若い女性の声。
反射的に視線だけ向ける。
大学生くらい。
黒に近いネイビーのカーディガン。
白いTシャツ。
ベージュのワイドパンツ。
肩には大きめのトートバッグ。
化粧は薄い。
顔立ちは悪くないけど、どちらかというと地味な印象だった。
俺は軽く会釈だけして通り過ぎる。
新宿では珍しくない。
アンケート。
勧誘。
宗教。
何かだろう。
そう思った。
「すみません」
今度は少し強い声だった。
足が止まり、振り返る。
女性はまっすぐこちらを見ていた。
逃がさないと言うほどではない。
だが、
何かを決めて来た顔だった。
「あなたですよね」
意味がわからない。
「何がですか」
思わず警戒した声になる。
女性は一度だけ息を吸った。
そして。
「さっきまで一緒にいた女性」
そこで言葉を切る。
「その人の娘です」
頭が真っ白になる。
周囲の音が遠くなった気がした。
「……は?」
間抜けな声が出る。
女性は視線を逸らさない。
「あの女性が母で、私はその娘です」
母。
娘。
言葉の意味はわかる。
だが繋がらない。
俺の頭の中で。
Yuと。
娘という存在が。
まったく結び付かない。
「ちょっと話せませんか」
女性が言う。
「近くで」
俺は返事ができなかった。
何を言われたのか。
どこまで知られているのか。
何もわからない。
ただ。
嫌な予感だけがした。
「大丈夫です」
女性が続ける。
「責めたいわけじゃないので」
その言葉が、
逆に不安を大きくした。
責めたいわけじゃない。
では何なのか。
俺は改札の方を見る。
もちろん、
もうYuの姿はない。
数分前まで確かにそこにいたのに。
今は人の流れしか残っていない。
女性が小さく頭を下げる。
「お願いです」
その声は思ったより真面目だった。
俺はしばらく考える。
逃げることもできる。
無視することもできる。
だが。
それを選んだ後のことを想像してしまう。
結局。
「どこですか」
そう聞いていた。
女性が少しだけ安心した顔をする。
「すぐ近くです」
歩き出す。
俺も後ろを付いていく。
人混みの中。
一定の距離を保ったまま。
女性は振り返らない。
俺も声を掛けない。
数メートル先を歩く背中を見ながら、
考える。
娘。
本当に?
何歳だ。
大学生くらいか。
いや。
そんなことじゃない。
なぜ俺を知っている。
なぜ今日ここにいる。
なぜ声を掛けた。
考え始めると止まらない。
女性は慣れた足取りで角を曲がる。
その途中。
見覚えのある店が視界へ入った。
駅近くのスターバックス。
俺とYuが待ち合わせる店だった。
どちらが先に着いても困らないように。
自然と座る席まで決まっている。
女性はそこへ入らない。
そのまま通り過ぎる。
俺は理由もなく少しだけ安堵した。
だが同時に思う。
知らないのか。
それとも。
知っていて避けたのか。
わからない。
わからないことばかりだった。
やがて女性が立ち止まる。
駅から少し離れた場所にあるファミレスだった。
ガラス越しに見える店内は空いている。
女性がこちらを振り返る。
初めて正面から目が合った。
その瞬間。
どこかで見たことがある気がした。
気のせいかもしれない。
だが。
何かが引っ掛かる。
目元だろうか。
それとも笑っていない口元だろうか。
わからない。
女性は自動ドアの前で立ち止まったまま、
俺を見ている。
「入ってもらえますか」
断る理由は、
もう見つからなかった。
俺は無言で頷く。
自動ドアが開く。
冷たい空気が流れ出てくる。
俺はその後を追った。
この時はまだ。
何を知られているのかばかり考えていた。
まさか。
知ることになるのが自分の方だとは、
思ってもいなかった。
(続く)
