見出し画像

草野さんの足跡を追いかけて2025【完結】

仕事において一つのプロジェクトが完結することはあっても、仕事の終わりはなく、次の新たな仕事が始まるに過ぎない。

そのプロジェクトで学んだことをいかして、次のプロジェクトを実施する。しかもこういったプロジェクトが同時にいくつも進んでいる。
何かの終わりは次の新しいものの始まりにすぎないのだ。


草野さんの足跡を追いかけ、はや4年。彼にとっては1回の山行でしかなかった道のりを、僕はなぞるだけで4年もかかってしまった。

いや、裏を返せば4年も楽しむことができたとも言えるだろう。ついに最後に残されたエリアとなる双六岳~三俣蓮華岳周辺をめざす時が来た。

双六小屋までは一度通ったことがある道で、懐かしさを覚えながら登り続ける。北アルプスの中でも人気のエリアなこともあって、すれ違う人も多い。特に背中のマットは、否応なしに人々の好奇の目を集める。

「何を背負ってるんですか?」
「こんなところでボルダリングできるんですか?」
「寝る用のマットですか?」
もはや聞き飽きた三大質問だ。

鏡平の少し手前でマダムがすれ違い様に「あら、寝るためのマット背負ってるの?」と聞かれたが、
聞かれ過ぎて飽きてきたから「そうですー」と適当に答えると、「それがないと寝れないの?貧弱ねえ。」と返ってきた。

思わず「ですね!」と返したが、後から笑いが止まらない。貧弱ってなんなんや?まさか初対面の人間に浴びせられる言葉か?しかし、その屈託のない言葉が、どこか清々しく感じられた。

そんなことを考えながら歩いているとあっけないほど早く、双六小屋にたどり着いた。思いの外早く着いたため、ヘリコプターの荷揚げを見ながらカレーを食べる。まだまだ時間があるなと思い、マットだけを担いで双六カールの偵察に行くことにした。


草野さんの話に出てきた大きな岩は、三俣蓮華岳側のカールだが、それより手前の双六岳のカールにも岩が転がっていそうだ。

今日はこの辺りを散策しよう。実際に双六岳の巻道を進むと、遠目に岩が転がっているのが見える。

双六カールの中


登山道からそこまで離れていない岩を最初のターゲットとした。近づいてみると、高さはあまりないが1本目としてはちょうどよい。気になることがあるとすれば、岩のすぐそばにホカホカの熊の糞があることぐらいだ。

熊の糞

少し手こずりながらも登ると、次の岩を探す。

遠くから見たときに岩がありそうだったエリアは近づいてみると、小さな丘の向こう側に隠れているのか、直接は視界に入らない。ハイマツや草木をかき分けていく必要がありそうだ。

狙った方向に向かうと、その方向に向かって踏み跡の「ような」ものがある。
こんなところに人が入っているのか?ひょっとして熊なのか?変な緊張感を感じながら、大きめの声で歌を歌いながら草木をかき分けて斜面を登る。

見通しの悪さが、ドキドキを高める。

熊だけはやめてくれ!そう願いながら、ハイマツをかき分けて登った先に現れたのは、完全に僕の好みの綺麗なフェースの岩だった。

駆け寄りたい気持ちをぐっと堪えて、周囲を警戒しながら、足元の花を踏まないように近づく。ど真ん中直上はホールドが見出せなくて登れなかったが、右下からクラックを繋ぐ綺麗なラインからマントルを返すことができた。



2日目、双六岳の滑走路から日の出を拝んで一日が始まる。双六岳山頂付近で少し岩を登り、三俣蓮華岳へ向かうことに。

双六の朝


三俣蓮華岳への稜線上からカールを見ると、草野さんが語っていた大きな岩が見える。

さすがに少し大きすぎやしないか?

山頂から下り、近づくにつれて、そのスケールは想像を超えてきた。まるで4階建てのアパート1棟が山の中に建っているようだ。さすがに手に負えないかと思いつつも、下降路を探しがてら登れそうなラインを探してみる。


大き過ぎる岩


この面も無理、あの面も無理。ここが下降路になるだろうか?いや、これも厳しそうだ。気づけば、巨大な岩の周囲を一周してしまっていた。


こうなったら下降路と目されるラインを登るしかない。それでもこの大きさの岩のど真ん中を登るラインだ。気持ちいいだろう。

ランディングに大きな石があって、マットを引いても気休めにしかならない。手を使わないととどまっていられないというような傾斜でもないため、スルスルっと高度があがる。


岩の半分ちょっとまであがっただろうか。
少しホールドが減ってきた。

下を見るともう意味のないマットが小さく見える。しかし、このラインを辿れば岩の上に立てるだろうというラインが見えている。

一歩踏み出すか…。

いや、待てよ。

僕は今「下降路」を登っているのだ。このラインは登れるだろう。しかし、この岩から降りられるのか??


「確実に降りれるか?絶対じゃないならやめておこう!」右から悪魔の囁きが聞こえてくる。
「ここで落ちたら家に帰れないよ!」左からは、愛しい息子の声が響く。

僕には降りるという選択肢しか残されていなかった。慎重に慎重にクライムダウンをする。マットの上に降りると、大きな安堵の息が漏れた。


マットは意味がない


降りることの難しさを考えると、これが正解だ。

その後、三俣蓮華カールの自分がそそられる岩に登ると、なんだかやることがなくなってしまった。

時間はまだ朝8時。
遠くから悠然と構えている鷲羽岳がこちらを見ている。

かっこいい鷲羽


僕は今ヤマダリングをしている。ボルダリングも登山も楽しむのがヤマダリング。

急遽、鷲羽岳を登ることにした。マットも残置してほぼ空身で山頂へ向かう。何と身体の軽いことか。この勢いなら水晶岳まで行けるのではないか、という欲も頭をよぎったが、さすがに鏡平まで降りるのが難しくなる。鷲羽岳の山頂で絶景を満喫し、僕は再び鏡平へと下山を開始した。


3日目、午前4時。
鳥の囀りも虫の羽音も凍り付いたような静寂の中、山を歩く。僕はこの時間が好きだ。無音の稜線で星に囲まれながら岩場を歩いている時間は至福の時である。

今日は山を下るだけの道程。しかし、新穂高から登ってくるときに対岸に大きな岩がいくつか見えていて、その岩を登る時間を捻出するために早朝から歩き始めた。

ほとんど新穂高まで下山しきったぐらいで対岸を見ると、やはり立派な岩が見える。ディープウォーターソロできそうなポッケの綺麗な岩もあったが、僕は泳げないのでターゲットにはならない。


もうしばらく歩くと、また対岸に好みの岩が現れた。迷わず早朝の冷たい川を渡渉すると一気に目が冴えてきた。


川沿いなだけあって、きれいに磨かれたホールドの乏しい綺麗なスラブ。ヤマダリングの終章を飾るにふさわしい岩だ。

ど真ん中を直上したかったが、ホールドが無さ過ぎて左寄りのラインに狙いを定める。何度かトライを繰り返して下部のムーブを固める。

いざ、と覚悟を決めたそのトライ。中間部を突破したが、上部にホールドが見当たらない。
大した高さもない岩だというのに、またしても弱気な心が顔を出し、僕は無意識のうちにクライムダウンを始めていた。

少し降りて着地しようと思った瞬間、急にスイッチが入った。息子に「しっかり登り切ったよ」と胸をはって伝えたい。一度は諦めかけたにも関わらず、僕はその岩を、再び登り返し始めた。


登ると決めたら悩みはない。
ホールドが無いならハイステップで立ち上がればいい。思い切って立ち上がるとリップは近く、落ち着いてマントルを返す。


気持ちよく締めくくることができたと同時に寂しさが湧いてくる。四年もの歳月をかけて追い求めてきた、草野さんの足跡を辿る旅。

それが、今、完全に終わりを告げたのだ。


もう、僕の行く手を導く足跡は、どこにもない。
自分で山を登って岩を探して登るしかない。
でも、それが本来のヤマダリングだ。

いいなと思ったら応援しよう!