CMOとは何か——日本に欠けている経営機能
CMO(Chief Medical Officer)。海外の大企業の役員リストでこの肩書きを見かけることが、ここ数年ずいぶん増えた¹。
CMOを一言で言うと、「健康」を経営アジェンダに組み込む役職のこと。CFOが財務を担い、CTOが技術を担うのと同じレイヤーで、健康・医学を経営に持ち込む役割だ。
この役割を担う以上、医師資格を持つ人が経営陣に席を置く、という形になる。実際には医師資格を持たないままCMO相当のポジションで活躍するケースもあるが、大部分は医師資格を前提とした役職なので、本記事もその前提で進める。
呼び方は会社によってバラつきがある。Chief Medical Officer(CMO)、Chief Medical Director(CMD)、Chief Health Officer(CHO)、Chief Health & Wellness Officer。米国産業医学会ACOEMの2023年公式ガイダンスは、これらを「同じ機能の呼び方違い」とあっさりまとめている(Stave 2023)。肩書きの差は本質ではない。本記事では、日本のC-suite(CEO・CFO・CTO 等)に並べたときに最もなじむ「CMO」で統一する。
CMOには2つのタイプがある
大企業の役員リストを眺めていくと、CMOには大きく2つのタイプがあることに気づく。
ひとつは Apple や Google のように、自社のヘルスケア事業を率いる医師。製品開発や医療研究の責任者として置かれるポジションで、ここでは事業CMOと呼ぶ。
もうひとつが、Delta Air Lines や Goldman Sachs のように、自社組織の健康戦略を経営に統合する医師。こちらが組織CMO。本記事が扱うのはこちら。以後単に「CMO」と書くときも組織CMOを指す。事業CMOはテック・製薬の事業戦略の話なので、ここでは脇に置く。
なぜ今この概念か
組織CMOがここ数年で目に見えて増えている背景には、ESGがある。
米国産業医学会ACOEMの2023年公式ガイダンス(Stave 2023)は、これを「ESGの"H"(the "H" for health in ESG)」という言い回しで整理している。ESG(環境・社会・ガバナンス)の議論の中で、健康(Health)が投資家や取締役会の関心領域として扱われるようになり、それを医学的に組み立てる役割としてCMOがいる、という整理だ。実態としては、HealthはまだESGのうち"S"(社会)の中に置かれて議論されることが多い。とはいえ、コロナ禍で従業員の健康が事業継続性に直結すると可視化されて以降、経営の議題として "H" が独立に名指しされる場面は確実に増えてきている。
同じ時期、投資家の見方も並行して動いている。人材エグゼクティブサーチ Heidrick & Struggles の パートナー Phyllis Schneble が、2023年9月のポッドキャストでこう言っている²。
「投資家はかつてCMOを "luxury investment(贅沢な投資)" と見なしていた。最近では、経営層に医療専門知を追加することが、組織のリスク低減と企業価値創造に必須と見なされるようになっている」
「贅沢」から「必須」へ。投資家の目線が変われば企業はそれに応える。
CMOは統括産業医と何が違うのか — Delta Air Lines の例
米国の実例をひとつ挙げる。
Delta Air Lines が2021年に設置した Chief Health & Wellness Officer のポジションに、Henry Ting氏が就いている。Mayo Clinic で初代 enterprise Chief Value Officer を務めた人物で、循環器のインターベンション専門医からMBAを取得し、ヘルスサービス研究者を経てDeltaに移った経歴を持つ。
日本国内に目を向けたとき、対比として置いてみたいのが統括産業医だ。日本の大企業で統括産業医を任されている医師は、健康診断・休職復職判定・職場巡視・メンタル不調対応・ストレスチェックといった産業保健分野の責任を担う。射程はおおむねこの分野に閉じている。
Tingの射程は、ここを大きく超える。本人発言が明確だ。
「私の貢献は事業全体のビジョンと戦略に及び、健康やヘルスケアに限定されない」(McKinsey 2022)
たとえばTingは、COVID-19パンデミック期にCEO Ed Bastianと連名でCDCに公開書簡を出し、ブレイクスルー感染者の隔離期間短縮を要請するなど、対外的な保健政策のレイヤーにまで踏み込む。社内では、給与制度に組み込まれた財務ウェルネス、ESG開示、採用、福利厚生設計、データ分析基盤の構築にまで関与する。健康診断の事後措置や復職判定の話とは、扱っているレイヤーが一段違う。
統括産業医の責務が「産業保健分野をどう運営するか」だとすれば、CMOの責務は「事業経営に健康をどう組み込むか」だ。同じ医師でも、扱っている問いが一段違う。
では、日本ではどうか
日本では労働安全衛生法により、従業員50人以上の事業場には産業医の選任が義務付けられている。1,000人以上では専属が必要だ。つまり、ある程度の規模の会社には医師資格を持った人物が、法令の要請として必ずいる。これは米国にはない日本の強み。
ただ、その医師たちのほとんどは経営会議に席が用意されていない。主軸は産業保健分野で、報酬制度設計や採用方針、ESG開示の議論に医師が関与する場面はまずない。「経営会議で健康を経営の言葉で語る人」という意味でのCMO的人材は、日本にはほぼいない。
健康経営銘柄に選ばれているような企業ですら、公開情報で確認できる範囲だと、医師資格を持つ専任の常勤型・組織CMOを置いているのは丸井グループ1社だけだ(小島玲子氏・取締役上席執行役員CWO、2021年就任)。
産業医という枠組みで医師は会社の中にいるのに、その医師たちを経営に接続する仕組みがない。これが日本の構造的な特徴だと思っている。
このラボで追っていきたいこと
CMOというテーマは、産業保健の延長線にある話というより、経営構造そのものの話だ。本ラボでは「日本でCMOを増やしていくにあたって、何が重要になるのか」を中心に据えて、記事を積み重ねていきたい。
CMOとは何か、関連概念をひとつずつ整理する
国内外の先行事例から学ぶ
日本の産業保健の現場から、CMOを巡る論点を書き留める
「あなたの会社の経営会議に、医師資格を持つ経営層がいたら、何が変わるだろうか」。この問いから始めて、ひとつずつ書いていく。
📓 「CMOラボ」について
Chief Medical Officer(CMO)を日本に浸透させるためのラボ。
書き手は、日本の産業保健現場で働く産業医です。国内外の先行事例、現場で見えていることを書き溜めていきます。
当面は週3本(月・木・土)で投稿予定。
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¹ 米国でCMO設置が増えている傾向は、求人データにも表れている。Burning Glassの集計によると、米国企業のCMO求人は2019年1,776件から2020年2,109件へと、1年で+18.75%増加した(事業CMO・組織CMOを合算した数字なので参考値)。
² Heidrick & Struggles Leadership Podcast Episode 139「The Evolution of the Chief Medical Officer: A Conversation with Dr. Vidya Raman-Tangella, Chief Medical Officer at Teladoc Health」(2023年9月25日配信、ホスト Phyllis Schneble の冒頭発言)。 https://www.heidrick.com/en/insights/podcasts/e139_-the-evolution-of-the-chief-medical-officer
