【自己紹介】イラストレーターAiLeeNについて
これまでちゃんと自己紹介を書いてきませんでした。人柄や経歴ではなく絵を見てもらえばいいかなと思っていました。ですがもはや大AI時代で、作品だけではなく「だれが書いたのか?」ももっと発信していった方がいいなと思うようになりました。ですので今回、改めて自己紹介を書いてみます。
こういうのって本来はnoteの一投稿目で書きますよね。
自己紹介
AiLeeN(アイリン)と申します。東京都在住の1992年生まれで、フリーランスのイラストレーターとして活動しています。
以前は会社員としてIT関係の仕事をしていましたが、2020年からSNSにイラストをアップし始め、副業で仕事もやるようになり、2023年にはイラスト一本に絞るために会社を退職してフリーランスとして働き始めました。いまは3年目になります。

イラストの題材としては人物と背景のある絵、都市・生活・ファッション・多国籍な要素・新旧入り混じったものをよく描いていて、散歩や旅行が好きなのもあり外で見た光景からアイディアを拾うことが多いです。
クライアントワークでは広告・挿画のお仕事の依頼をいただくことが多く、色調や人物の描き方、生活描写みたいなものを気に入ってくださっているのかなと思います。
今後は自主制作として一枚絵はもちろん、ZINEやマンガ作品ももっと描いて発信していけたらと思っています。
ちなみに両親がそれぞれ中国と台湾の出身で、私自身も外国籍です。生まれも育ちも日本ですが、親戚が外国にいたり中国語を話します。よく台湾や中華圏に行っているのもそういった背景があったりします。
これまでの遍歴
絵描きとしてどういう遍歴なのかについて、以前にセミナーをやる機会がありそこで話をしたことがあるのですが、資料用に作った図があるので載せます。

曲線は私の絵に対するモチベーションを表しています。大学と社会人にかけてブランクがあってめちゃくちゃ低くなっています。それがどうして今のようになったのか詳細を述べると、結局幼少期までさかのぼることになってすごく長大な文章になってしまったので、興味のある方だけ以降をお読みください。
⚠️長いです!
幼少期・小学生
物心ついたころから絵を描くのは好きだった。小学校に上がったころに家にPCがやってきて、比較的早くインターネットの海に飛び込む。小学3年生のころにお絵描き掲示板で人と交流することを覚えた。その頃はどうぶつの森が好きでファンアートを描いていた。当時自分のホームページを持っていると格好いいという風潮があり、小4のころ見よう見まねでHTMLを書いて拙いサイトを作って運営していた。サイトといっても絵を載せるページとほかの人のサイトに飛ぶリンクページくらいのものだけど。ペンタブなんてなく、絵はマウスで頑張って描いていた。むしろマウスなのに上手い!みたいなのがステータスですらあったような記憶。
一方そのころ中学受験ブームで、すでに受験をしようとしている友達と行った私立中学の文化祭で、パンフレットの表紙の絵がめちゃくちゃ格好よくて感動しその学校に行きたいと思うようになった。これがなかったら普通に地元中学に行っていたかもしれない。親が小5から塾に通わせてくれて受験勉強が始まった。さぼって絵を描いたりHPを更新してたら塾の先生から電話がかかってきて今は我慢しようと説得された。
中学生
行きたかった中学校に合格することができた。いざ通い始め、特に入りたい部活がなかったのでとりあえず美術部に入ってみたものの、あまり雰囲気になじめずにすぐ行かなくなった。
自分のホームページ運営は続けていて、ブログを始めたり、その頃はジブリ作品とかジャンプ作品に興味が移り変わっていってそういったもののファンアートを描いていた。徐々にオリジナルも描くようになり、親に頼み込んでペンタブとソフトを買ってもらった。当時は学校や家でもすこし居心地が悪く、部活も勉強もせず、ひたすら家で絵を描いていた。親にも先生にもこの子は大丈夫かと思われていたと思う。このころはインターネットでよく人と交流していて第三の居場所があったのが良かった。
高校生
中高一貫校だったのでなんとかそのまま高校に進学できた。先ほど中華圏にルーツがあると書いたが、このころまで中国語は多少聞き取れても話すことができなかったのが思春期になって大きなコンプレックスになっていた。家の習慣や年中行事など文化的な部分で完全な日本人にはなり切れないし(おせち、お雑煮食べたことない)、帰省しても親戚と会話できず、家では親と日本語で会話してしまうし(似た状況の人はわかると思うが家族と言語を固定してしまうと変えるのは気恥ずかしい)、自分がどういうアイデンティティでいればいいのかわからなかった。話せないことには自信を持てないし、話せるようになるには実際に現地で生活して学ぶしかないと思った。
そのころいろいろ重なって、中国への交換留学制度が整っている大学が視野に入り、そこを目指し勉強しようと思った。勉強しているとなんだか周りに認められたり、自分でもちゃんとやるべきことをやれているみたいな自己肯定感がついてきて、さらにそっちを頑張ろうと思った。
このころも絵は引き続き描いていて、ネット上だけでなく学内でもやりたかった文化祭のパンフレットの絵にも選ばれたりして美術の先生には絵の道に進むと思われていたようである。しかし美大に進むよりも今はまず留学するために一般の大学の受験をして、そのあとなんとか両立して描いたらいいじゃないかとふんわり思い優先度が低くなっていた。その先生には社会に出てしばらくしたら改めて美大に行ってもいいのではと言われたことを覚えている。
大学・留学
大学に入り、さっそく長期の留学に向けて動き始めた。人文学系の学部で語学の授業が充実していたので、大学1年は週6で中国語の授業をとり、夏は北京に、春は台湾にそれぞれ3週間の短期留学にも行った。このころ同じように中国語を勉強する同級生が学部をまたいでたくさんいてやる気は刺激されるしコミュニティが広がったはいいものの、すっかり絵を描かなくなっていた。
大学2年の秋に1年間の中国・北京での留学が始まった。寮生活で、留学生向けの語学の授業を受けつつ、現地の学生と一緒の授業も受けたり、サークル活動にも頑張って参加した。
中国ではなにか理にかなわないことがあってもめげずに主張しごり押す姿勢が必要で、生活しているうちにそういう処世術を少しばかり獲得することができた。隙あらばいろんな場所に旅行に行ったりトラブルも大小あったり己の未熟さに嘆いたりもしたが、それなりの中国語力と生活の経験値を携えて無事帰国することができた。

万里の長城の端っこに行った
就活・社会人
帰国するとすぐ就活が始まった。ここまで就活について考えることから逃げていたので、いざ直面すると困った。大学に入ってほぼまったく絵を描いておらず、絵やグラフィックと関わりそうな業種に近づくこともなんとなく怖い感覚があった。アルバイトでWebデザインをやっていたこともあり、デザイナー職を検討したりもしたが、今の中途半端なスタンスとやる気でできるのか?と思い就活ではほぼ受けず、受けても通らなかった記憶がある。実際にデザイナーに向いているわけでもないと思う。軸が定まらないまま、まずは社会人をやってみよう、どこかには引っ掛かりたいという気持ちで幅広く業界・職種を受けた結果、運よくIT系のSIer(システム開発の会社)に採用され、入社を決めた。
こんな感じのスタンスだったので入社後、同期達のやる気との温度差に面食らった。理系出身の人も多く、配属されていきなり体育会系の職場で、単に社会に出たというのもあると思うがこれまで属していたどのコミュニティとも違う空気感だった。いわゆる開発職で顧客企業のシステムを開発・運用する部署にいた。顧客とのやりとりや要件定義や設計書を書いたりレビューしたり、担当しているシステムが止まったりすると緊急で対応したり作業のミスが許されなかったりと、とにかく自分の得意なことは何もせず、苦手だった人との調整や作業や脳の領域をフル稼働させて働いていた。残業も多く終電が続く日もザラで、ずっとこれでいいのかなと思っていたが働き方ややりたいことについて深く考える間もなくがむしゃらに働き、気づいたら4年経っていた。
副業
2019年の社会人4年目、仕事にもある程度慣れたが慢性的に忙しい状況を改善したいと思い、部署移動の希望を上司に何度も伝えた。違う部署の業務を経験してみたかったのもあるし、空いた時間で今後のキャリアに向けて何か始めるための準備時間が欲しいと思った。少数精鋭で属人的な仕事のスタイルだったので、希望を出してから次の担当者を入れてもらい引継ぎをしきって部署移動するまでに約1年かかった。
2020年春に新型コロナウイルスの流行にともない完全在宅勤務が始まった。毎日出社していた時間が空き、その時間を使ってずっと描いていなかった絵を再開した。そもそも絵をまた描いたりすることが自分に合っているのかはわからなかったが、描いていないことへのうしろめたさにはもううんざりだったのでとりあえず毎日なんでもいいからノートに描こうと思って、模写とか絵日記を描くところから再開した。
Twitter、Instagramのアカウントを作り、しばらくはアナログで描いて、iPadを少し前に買っていたのでデジタルでも絵日記や人物の絵を描いて投稿し始めた。

2020年7月にようやく部署移動が実現した。移動した先の部署は業務内容もガラッと変わったのだが、これまでと違い自由な雰囲気で、また以前より時間の融通が利きやすかった。これによりさらに絵を描く時間が取れるようになりSNSの反響も出てきて、同時に初めての仕事をとることができたので本格的に副業としてイラストを始めることになった。幸い会社は制度的に副業がOKだったので、それもやりやすい環境だった。
新しい部署での仕事も徐々に慣れ、年次が6年目と中堅になってきたのもありチームリーダーになったり、なんだかんだ大変で結構忙しくなったりしていたが一度絵を軌道に乗せるとなんとか両立出来た。寝食を犠牲にすることも多々あったがグループ展、個展、クライアントワークと徐々に機会をいただくことが増えた。
この辺の絵を再開したり仕事を獲得したりみたいなところの詳細はそのうち別で書くかもしれない。
フリーランス
2022年社会人8年目のころに、ILLUSTRATION2023に掲載されるという、絵を再開したての頃からのひそかな夢が叶った。クライアントワークの実績も徐々に増え、そのころ会社のプロジェクトも佳境でどっちも忙しくお互いを侵食していたので、いよいよ退職を視野に入れ始めた。会社に居続ける安定よりもさらにいろんな絵を描いて自分の名前で仕事していきたいという気持ちが勝った。
会社を辞めたらどうなるんだろうという不安は当然あり、収入が減った時のプランや対策をなんとなく考えてみたりはしたが、とりあえずイラストで食える状況を作るにもまずは時間が必要と思い、決断したように思う。

最初に上司に退職の話を切り出すときはとても緊張した。上司は面食らった顔をしていたが、最終的には理解してくれた。すでに副業のことは会社にも周知していたし普段も活動の宣伝をしていたので多分なんとなくこの人はやめるんだろうなという空気を周りも察していたように思う。フリーランスのイラストレーターになるということで、転職するにしても同業他社に行く人が多い中まるで異業種すぎて周りの方たちからシンプルに応援してもらえた。意向を伝えてから約半年後、2023年4月末に退職した。
独立後、ギャラリーでのバイトを始めたりと変化はありつつも引き続きお仕事をいただいて今に至る。

現在
最近、大きなクライアントワークが一区切りついて自分の創作スタイルについて考える時間ができている。一方生成AIの発展もあり、経験を積むにつれていろんな作家さんのすごさも目の当たりにし、自分の今後のスタイルについての悩みは尽きない。自分が絵描きとして何を強みとしていくか、どういう絵を描いていったら楽しいか、他に何を作っていきたいかまだまだふわふわしているし、アイデアが実現するか未知なところが多い。生活との両立とかいろんな考えごとはありつつも、ちょっとずつ実験しながら今後もずっと絵を描いて暮らしていけたらと思っている。
以上です。ここまでお読みいただきありがとうございました!
