1. 政府が描いた「目詰まり」の構図「目詰まり」と政府は言うけれど ─ 不足が予想される時に在庫を積むのは、企業として当たり前ではないか
はじめに
前回の投稿で4/30と5/12の経産省の資料に基づいて論評してきたが,今回は5月21日に掲載された資料をもとに論評する。
令和8年5月21日、経済産業省が「中東情勢に伴う重要物資の安定的な供給確保のためのタスクフォース」第8回会合の資料を公表した。中東情勢を背景としたガソリン補助金の実績、ナフサや石油製品の供給状況、日韓エネルギー協力、そして全国で発生している個別の供給逼迫事例への対応がまとめられている。
346件の個別案件を解消し、ガソリン価格を1リットル170円程度に抑え込み、川上から川下までの事業者間の連絡を行政が取り持っている ─ 一読すると、行政が精力的に動いている印象を受ける。
しかし、この資料には注意深く読むべき構造がある。経産省は、現在起きている供給混乱を「目詰まり」という言葉で整理している。 そしてその原因を、商社が出荷を絞ったこと、塗装事業者がまとめ買いをしたこと、つまり**民間企業の「過剰反応」**に求めている。
本稿ではこう問いたい。それは本当に「過剰反応」なのか? 不足が予想される時に在庫を厚くするのは、企業として当たり前のことではないのか?
1. 政府が描いた「目詰まり」の構図

まず、経産省が問題視している事例を見てみたい。資料6ページに「塗料・シンナーの目詰まりの主な類型」という整理がある。3つの「目詰まり」事例が示されている。
【1】 石油化学メーカーが「5月以降の供給量は未定」と伝えたところ、商社やシンナーメーカーが「万が一に備えて」供給量を半減させた。
【2】 シンナーメーカーが卸小売に供給制限を通知し、その後供給が回復したが連絡せず、卸小売も確認せず、結果として供給状況が改善しなかった。
【3】 塗装事業者が、不足を心配して通常2週間分の発注を1.5ヶ月分の一括発注に切り替え、出荷遅延を引き起こした。
そしていずれも「経産省から伝えて目詰まり解消」と結ばれている。
つまり経産省の整理によれば、供給そのものは足りている。問題は事業者の情報不足と過剰な警戒心理にある ─ そういう構図になっている。
ここで一度立ち止まりたい。事例【3】の塗装事業者の行動は、本当に是正されるべき「過剰反応」だろうか?
2. もし自分が塗装事業者だったら
考えてみてほしい。あなたは塗装事業者の社長で、建設会社から大規模なマンション修繕工事を受注したばかりだ。完工期限は1.5ヶ月後。元請には納期を約束している。
そんなとき、テレビをつけるとホルムズ海峡情勢のニュースが流れ、新聞を開けばナフサ供給が前年比マイナス25%という記事が出ている。取引のある卸小売に電話すれば「次の入荷がいつになるか読めない」と言う。
ここであなたは、どう判断するだろうか。
選択肢A: いつも通り、2週間ごとに必要な分だけ発注する。途中で在庫が切れたら工事を止めるしかないが、経産省は「目詰まり解消」と言っているし、たぶん大丈夫だろう。
選択肢B: この際、工期全体に必要な1.5ヶ月分のシンナーをまとめて確保しておく。倉庫は窮屈になるが、工事を止めるリスクは消える。
おそらく、ほとんどの経営者がBを選ぶだろう。なぜなら、選択肢Aで工事が止まったときの損害が、Bの保管コストとは比べものにならないほど大きいからだ。
工事が止まれば遅延損害金が発生する。元請からの信用も失う。次の仕事も来なくなるかもしれない。一方、シンナーを1.5ヶ月分倉庫に置くことの追加コストは、たかが知れている。
この判断は、リスク管理の教科書に書かれた標準的な対応である。 経営学では「安全在庫を厚くする」と呼ばれ、不確実性が高まったときの基本動作とされている。是正されるべき逸脱どころか、経営者が当然やるべきことなのだ。
3. 商社・メーカーが出荷を絞るのも、同じ論理
事例【1】の商社・シンナーメーカーが供給量を半減させた件についても、まったく同じことが言える。
上流の石油化学メーカーから「5月以降の供給量は未定」と告げられたとき、商社が下流の取引先に対して「いつも通り出荷しますよ」と確約することは、経営判断としてやってはいけないことだ。約束した量を出せなければ契約不履行となり、損害賠償や信用失墜を招く。
「念のため半分に絞っておく」というのは、保守的すぎるのではなく、ごく標準的なリスク管理である。
つまり、川上の商社・メーカーも、川下の塗装事業者も、それぞれの立場で極めて合理的に行動しているだけである。情報が足りないのでも、過剰に警戒しているのでもない。情報が不確実だからこそ、各自が損失を回避するために動いているのだ。
4. 「合成の誤謬」 ─ 個別の正しさが、全体の混乱を生む
ここで重要な経済学の概念を一つ紹介したい。「合成の誤謬」と呼ばれるものだ。
意味はシンプルだ。一人ひとりが正しいことをしているのに、全体として見ると望ましくない結果になる現象を指す。
たとえば、不景気で将来が不安なとき、各家計が貯蓄を増やすのは家庭の判断としては正しい。しかし全員が同時に貯蓄を増やせば、消費が減って景気がさらに悪化する。これがケインズが指摘した有名な例だ。
今回の供給混乱も、まったく同じ構造を持っている。
川下の塗装事業者が在庫を厚くする → 正しい判断
川中の卸小売も多めに仕入れる → 正しい判断
川上の商社・メーカーは無理な約束を避ける → 正しい判断
結果、見かけ上の需要が膨張し、本当に必要な人に物が届かない → 全体としての混乱
これは経営学では「ブルウィップ効果」(鞭をしならせると先端が大きく振れる現象になぞらえた呼び名)と呼ばれている。サプライチェーンの末端ほど発注量の振れが大きくなる、よく知られた現象だ。
つまり今起きていることは、誰かが間違ったことをした結果ではない。全員が正しく動いた結果なのである。
この見方に立てば、「目詰まり」という言葉そのものが疑わしくなる。目詰まりとは、本来流れるべきものが何らかの異物で滞っている状態を指す。しかし、ここで起きているのは異物の問題ではなく、不確実性そのものが生み出す現象だ。
5. 「経産省が伝えて解消」の不思議
ここで政府の対応をもう一度見てみよう。資料6ページの右側、「解消策」の欄にはいずれも「経産省から伝えて目詰まり解消」と書かれている。
しかし、これは少し不思議な話ではないか。
経産省は、中東情勢を支配しているわけではない。製油所の稼働を保証しているわけでもない。 経産省が「川上企業は供給を継続する見通しです」と伝えるとき、それは石油元売各社からのヒアリング情報を再放送しているにすぎない。
それを聞いて商社が出荷量を回復させたとして、もし見通しが外れて実際に供給が逼迫したら、その損害は誰が負うのか。当然、商社が負う。経産省が補償してくれるわけではない。
塗装事業者への要請はさらに明白だ。「通常通りの頻度・量で発注してください」── 工期遅延のリスクを単独で背負っている事業者に、在庫を減らせと言っている。
本来であれば、こう言うべきだろう。「政府として供給を保証します。もし不足が生じた場合は政府が責任を持って対応します」 ── そうした公的保証があって初めて、企業は安心して在庫水準を平時に戻せる。
ところが資料を見る限り、そのような保証はどこにもない。あるのは「見通し」の伝達と「要請」だけだ。
つまり経産省がやっているのは、リスクを引き受けることではなく、リスクの所在を見えなくすることである。
6. 核心の数字を確認する ─ ナフサは本当に足りているのか
ここまでの議論には、実は重要な前提がある。「供給は十分にあって、流通だけが問題なのか?」という前提だ。

経産省はそうだと言っている。では実際の数字を見てみたい。資料5ページに、こう書かれている。
2026年3月のナフサ供給量は、輸入の減少やプラントの定期修理が集中的に行われたこともあり、前年同月比減(221万kl、▲25%)だったものの、4月以降回復する見通し。
ナフサというのは聞き慣れない言葉かもしれないが、要するに石油化学製品の出発点となる原料である。プラスチック、塗料、シンナー、合成繊維、化粧品、自動車部品 ── 日常生活で目にするほぼすべての化学製品が、ナフサから作られる。これが足りなくなれば、ありとあらゆる製品に影響が出る。
そのナフサが、前年同月比でマイナス25%。4分の1が消えている。
しかも資料は、この大幅減を「定期修理が集中したこと」という説明で軽く流している。だが、定期修理は計画的に行われるもので、本来こんなに大きな振れは生まない。なぜ集中したのか、中東情勢との関係はあるのか ─ 説明はない。
「輸入の減少」の原因も書かれていない。日本のナフサ輸入は中東依存度が極めて高い。 タスクフォースの本来の主題は中東情勢のはずだが、最も核心的な数字の原因が一文で済まされている。
「4月以降回復する見通し」という記述にも、根拠は示されていない。タスクフォースは第8回まで重ねており、5月21日付の資料である。4月・5月の実績が出せるはずの時期に、なお「見通し」と書かれているのは、回復が想定通り進んでいない可能性を示唆する。
加えて、川下製品の表で潤滑油が前年比142%となっている点。資料自身が「供給不安を抱く流通事業者や需要家が大量注文」と注記している。これは健全な需要ではなく、買い溜めによる出荷増である。
「川下の出荷量は前年並みかそれ以上なので大丈夫」という整理は、この買い溜めを健全な供給と取り違えている可能性を孕んでいる。
7. それでも繰り返される ─ 構造を変えなければ
ここまで議論してきたことを整理したい。

経産省の見方 実態 情報不足と過剰反応が原因 不確実性そのものが原因 各事業者が「目詰まり」を起こしている 各事業者は合理的に行動している コミュニケーション改善で解決 不確実性が消えない限り再発する
おそらく、この資料の一つひとつの記述は事実だろう。しかし事実の選び方と並べ方を通じて、ある特定の物語が組み立てられている。「目詰まり」が解消され、行政が機能し、市場は正常化しつつある、という物語だ。
この物語の問題は、それが真の課題から目を逸らさせる効果を持つことにある。不確実性そのものを引き下げる構造的な対応 ── 戦略備蓄の拡充、長期契約による上流確保、緊急時の公的損失補償スキーム ── は、「目詰まり解消」のレトリックの中では議題に上りにくい。
もしホルムズ海峡情勢が再び緊迫すれば、また同じことが繰り返されるだろう。なぜなら、個別企業が合理的に在庫を積み、合理的に供給を絞るというメカニズムは、何も変わっていないからだ。
おわりに
行政の言葉は、現実を映すだけでなく、現実をどう見るかを規定する。「目詰まり」という言葉を選んだ瞬間、経産省は単に現状を記述したのではない。何が問題であり、何が問題でないかを定義したのだ。
その定義の下では、不安に駆られて在庫を積む塗装事業者は是正対象となり、リスクを回避して出荷を絞る商社は「目詰まり」の原因となる。一方、そうした行動を生み出した不確実性そのものの責任は、どこにも問われない。
しかし、本稿で見てきたように、現場の企業はただ合理的に動いているだけである。彼らを是正対象として扱う前に、まず問うべきことがある。
なぜ彼らはそう動かざるを得なかったのか。
その問いに正面から答える政策こそ、いま求められている。346件の個別解消は、それ自体としては評価されるべき仕事だ。しかし、その仕事が何を見えなくしているかを問わなければ、日本のエネルギー安全保障は同じ場所を回り続けることになる。
「目詰まり」が解消したあとに、何が残るのか。 ── その先を見据えた議論が、いま必要である。
《出典》
第8回会合 令和8年(2026年)5月21日中東情勢に関する関係閣僚会議(第8回)経産省資料siryou1.pdf
中東情勢に関する関係閣僚会議(第8回)議事次第|内閣官房ホームページ
「中東情勢を踏まえた燃料油・石油製品の安定供給確保及び重要物資の安定的な供給確保の対応状況」(資料1)
※今投稿は執筆にあたり、資料調査・論理整理の補助としてAnthropic社のClaudeを使用した。最終的な論旨、分析の判断、文責は筆者にある。
