絶望と希望のあいだ①:父の最期の言葉
*このエッセイには、幼少期の記憶や家族との関係にまつわる重たい描写が含まれます。
ご購入前に、心の状態に合わせて読めそうかどうか、そっとご確認いただけたら嬉しいです🕊️
この語りは、自己開示の“最大級”かもしれません。
すこし重ための記憶と向き合いながら綴ったので、誰にでも全開放というよりも──
そっと半開きにして、足を止めてくださった方にだけ、お届けできたら嬉しいです🧺
突然、父から謝罪された。
忘れもしない2024年6月26日、ちょうど1年前のことだ。
「りょうこはよいものをたくさん持っていたのに、可能性を閉ざしてしまい、申し訳なく思っている。ほんとうなら、もっともっと開けた人生があったはずなのに、気持ちもお金も注ぎ込んでやれば、相当立派な人になっていたはずなのに…。ずっと申し訳なく思っていたので、死ぬ前に伝えられてよかった。親を恨んでもいい、この先の未来を自分で拓いていってほしい」
父が入院したのは昨年6月1日、青天の霹靂だった。後から聞いた話では、春先から体調がすぐれず、母が何度も受診を勧めていたのになかなか首を縦に振らなかったらしい。体調は下り坂の一途をたどり、いよいよ具合が悪くなってからようやく受診したところ、即入院となり、進行性の末期がんと判明。1か月余の闘病生活を経て、7月6日未明に帰らぬ人となった。
私は機能不全家族に育ち、生きづらさをずっと抱えながら生きてきた。ぱっと見、とても虐待サバイバーには見えないタイプかもしれない。でも実像は、精神優良児に擬態した求道者みたいなものだ。実家で過ごした日々は私にとって暗黒期で、父は幼き日の私の世界に立ち込める黒い霧のような存在だった。重たく湿り気のある漆黒の霧。
二十歳の誕生日に父から手紙を受け取ったとき、あまりに的外れな内容に心底絶望して涙した私を、感動して泣いていると家族みんなが勘違いしていた情景を思い出す。父の虚栄と自己満足。同じ空間で時を過ごしても、こんなにも遠い。この場所で私は、一体何度、絶望の淵に立てばよいのだろうか。
写真の中の二十歳の私は、父からの手紙を手に、母が私の好みに合わせて選んでくれた花束と一緒に、目を潤ませている。これは絶望の果ての虚無の表情だと、私だけが知っている。
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