ひとひら 第一話
朝の訪問者
4月1日 AM 5:30
朝、自然と目が覚める。
布団に横になったまま、天井の木目を見つめる。
昨日の光景が、断片的に浮かんでは消えた。
——目覚める前の映像みたいに。
ゆっくりと体を起こす。
今日はよく寝た。
カーテン越しに感じる温かい光は、
今日は晴天だと教えてくれる。
立ち上がると、
床のひんやりとした感触が私の頭を静かに引き戻す。
カーテンを開き、窓を開ける。
今日も良い天気。
海の香りが全身を包み、賑やかな海鳥の声と波の音が聞こえてくる。
潮風に髪を乱されながら、森の向こうの海を見つめる。
ここに来て三週間が経った。
朝は白湯をコップに一杯飲む。
それからノートを取り出し、昨日の日記を書くのが習慣。
夜はやらないようにしている。
考えが悪い方向へいってしまうから。
五分くらい筆を滑らせてから、さっと閉じる。
軽い朝食作り。
食パンにレタスを乗っけて、卵とハムでスクランブルエッグを作る。
ハムの焼ける匂いが、朝の静けさに溶けていく。
ご褒美のフルーツは苺。
お気に入りのブラウンのワンピースに白のカーディガンを羽織る。
日差しが気になるので、帽子も必要。
水筒にお気に入りのダージリン紅茶を淹れ、庭で朝食。
サンダルをつっかけて木目調の椅子とテーブルまで歩く。
昨夜は雨が降っていたのか、少し、ぬかるんでいる。
お皿を置いてタオルを取りに戻る。
……あら?
戻ってきてテーブルを拭こうとしたとき——
足先に、ふと、ひんやりとした空気を感じる。
なんだろう。
春の朝なのに、そこだけ冬みたいに温度が落ちていた。
一瞬、風が止んだ気がした。
ざわついていた森の葉音が、すっと引き絞られたように静まり返る。
その沈黙の中で——
ひらり、と白い花びらが落ちてきた。
この季節、咲いているのは桜ではないだろうか。
見上げても、花を散らすほどの木は近くにない。
手のひらに落ちたひとひらは、白く、薄く、
どこか光を含んでいる。
「……気のせい?」
自分に言い聞かせるように呟き、椅子に腰掛ける。
「いただきます」
一人でも声を出すのは習慣。
食パンを半分に折り、サンドウィッチにしながら頬張ると、
空腹のお腹が喜んでいるのが分かる。
お気に入りのパン屋さんの食パンはやっぱり絶品だ。
紅茶を楽しみ、木箱から三冊の本を取り出す。
「ん~」
悩みながら、一冊を手に取り読む。
至福の時間が流れる。
タイマーを二十分にセットし、物語に没頭する。
視界の端で、また白いものが揺れた。
けれど風は吹いていない。
ページをめくる私の指先だけが動いていた。
——ひら、と。
今度は本の表紙の上に落ちてくる。
触れるとすぐに溶けるように消えてしまい、残るのは冷たい余韻だけ。
不思議な朝。
静かな時間が流れる
——はずだった。
ふと気づくと、足元に一匹の猫がいた。
「え……?」
本を閉じる。
気配も、足音もなかった。
白と茶の混じったふわふわの毛並み。
人懐っこく足にすり寄ってくる。
しゃがんで撫でると、小さく喉を鳴らした。
飼い猫だろうか、でも首輪はない。
昨日までいなかったのに、ふらりと現れるなんてことあるのだろうか。
「……今日の読書は、お預けかな」
紅茶を置き、そっと抱き上げる。
腕の中に収まった猫は、じっとこちらを見上げている。
その瞳は、思いのほか澄んでいた。
思わず頬をスリッと頭に寄せる。
温かい体温が伝わり、胸の奥がふわっとほどける。
ふいに、猫の首元ですぅーっと息を吸い込む。
猫が小さく身を震わせ、私は顔を離した。
……癖になりそうだ。
「ふふ」
もう一度その瞳を覗き込む。
その奥で、さきほど舞った白い花びらのような光が、
ほんの一瞬きらりと揺れた気がした。
この小さな出会いが、私の朝を少しだけ違うものにする。
そして、その朝は、
ほんのわずかに何かを失っていたことに気付かなかった。
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