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ひとひら 第四話 

白い花 

4月1日 AM10:30


ふわふわの背中を撫でていると、
猫の喉の奥で小さく音が鳴る。
腕の中の心地良い場所を見つけたのか、
私の胸に顔をうずめた。

猫の様子を見つめながら、
「ふぅ」と、ため息をついて空を見上げる。

白い花はもう見えなくなっていた。
いつもの青々とした木々と、青空に白い雲。

差し込んでくる光と腕の中のぬくもりが、
胸の奥に残っていたざわつきを取り除いてくれる。
猫に視線を落とし、つぶやく。

「ありがとうね。」

この子がいなかったら、きっと取り乱してた。
さっきまで、世界から一人取り残されたみたいな気分だったのに、
今は、不思議と足が地面についている。

――ぐぅ。

緊張が抜けたせいか、急に現実的な感覚が戻ってきた。

「ちょっとだけ、町まで行こうか。」

話しかけると、尻尾がゆらりと揺れた。

ログハウスから町までは、歩いて15分ほど。
猫をそっと地面に下ろす。
逃げない。
私の横に、ぴたりと付いてくる。
胸がゆるんで、
もう、手放せない気がした。

町に着くと、真っ先に売店に向かった。
店内に入らなくても、必要なものが買えるからだ。
田舎町といった雰囲気のおばあちゃんに、
選んだパンと水を渡す。
「袋も、お願いします」
ふと、レジ横に無造作に置かれた新聞が目に入った。

――20××年4月1日――

……息が、止まる。

今日の日付は4月1日。
それは間違いない。
でも、年号が違う。

――10年。

私が知っている日付から、ちょうど10年後だった。

「……そんな、はず……」

声に出すと、一気に現実が崩れそうで、慌てて口を閉じる。

足元で、猫が静かに体を寄せてきた。

大丈夫。
落ち着かなきゃ。

おばあちゃんは、気にした様子もなく、
お釣りとビニール袋を寄越してくる。
「ど、どうも」
私は屈んで猫を抱きしめると、早足に、その場を去った。

――違う。
ここは、違う。

さっきログハウスで感じた違和感。
帰れなかった理由。
知らない女性が住んでいた家。

点だった違和感が、一本の線になる。

「……戻ろう」

向かう先は一つしか思い浮かばなかった。
白い花が舞っていた場所。
あの、巨木の下へ。

急ぎ足で町を背に歩く。
人気がなくなると、ぎゅっと抱きしめていた猫を解放し、歩みを緩めた。
猫は変わらず、私の横を歩いている。

その姿にホッとして、ビニール袋から水を取り出す。

立ち止まってかがむと、
手の平に水を落とす。

「飲める?」

猫は顔を近づけ、ペロペロと舐め始めた。
少し水を足し、飲み終わるのを待つ。
今度は私の手をペロペロ舐めてきて、思わず笑う。
私も水を飲むと、体にじんわりと染み渡る。
さっきまでなかった空腹が、戻ってくる。
袋を開け、クリームパンを取り出す。
一口かじると、甘さが広がった。
頬がゆるむ。
ペロリと食べ終わると、
「お待たせ」
猫を見た。

ミャー、と鳴いて猫は歩き出した。

森に入ると、また、白い花びらが舞っている。
誘われるように進むと巨木が姿を現した。
近づくと、花びらが不自然に私の前に落ちてくる。
また、何かが見えるのが怖くて、あえて手は伸ばさなかった。

それでも一瞬、花びらにログハウスが映ったような気がして、
思わず瞬きをする。

……気のせい?

胸の鼓動が早くなり、無意識に手を当てる。
花びらを拾うと、また何か見えてしまうかも知れない。

――怖い。

そんなことを考えていると、
猫が前に出て、

ビシャっと花びらを前足で踏みつけた。

私の口から情けない声が漏れる。
驚いて目を見開いていると、猫はミャー、と鳴いて進んでいく。

……良かったのだろうか。

そんな思いとは裏腹に、なぜだか安堵した。
巨木の裏側に回ると、太い根が地面から顔を出し、
その横から透き通った水が流れていた。

「わぁ…」

手を浸すと、ひんやりと心地いい。
すくってみると、何だか温かな気持ちになった。

この水なら猫も……。

そう思って辺りを見回すと、猫がいない。
ドキッとして立ち上がる。

……さっき、奥の方へ行っていたよね?

足をそちらへ向けかけた、その時、

ガサっ。

草むらから猫が戻ってきた。
ホッと胸を撫で下ろす。

「猫ちゃん」

私は猫へ駆け寄ると、ふと、何かを咥えていることに気づく。
首を傾げ、
「何持ってるの?」
と、猫の近くで屈む。

地面に置かれたそれを見て、息を呑んだ。

「スマホ?」

持ち上げると、私のスマホだった。

……あれ?

咄嗟にカバンを探る。

――ない。

「そういえば、家に置いてきてたっけ?」

……どうして猫ちゃんが?

スマホを立ち上げると、画面の上部がひび割れていることに気づく。

「……一年しか使ってないのに。」

ガックリと項垂れながらも、画面を見た瞬間、息が詰まった。

――20××年4月1日 12:00――

10年後……

視界が揺れ、思わずよろける。
木の根に手を付いて体を支えた。

その瞬間――

ぐらり。

また、あの感覚。

ざらりとした木肌が確かに現実のものなのに、
周囲の景色がどこか夢の中のように滲んでいく。

ひらり。

白い花が、舞った。







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