【ショート】 春を待つ木
―― short story ――
いつの頃からか、花をつけなくなった木がある。
春になると、紫色の花を咲かせていた。
名前は、子供の頃に一度だけ聞いた。
なんだっただろうか。
「また、ここにいる」
振り返ると、柔らかな表情があった。
……あった気がした。
「シスター!」
「こっちにきて。」
「今日は、このお話にしよう」
子供たちが、パンを抱えたまま手を引く。
外では、男の子たちが走り回っている。
「門の外はダメよ。」
返事だけが揃う。
すぐに、ばらばらになる。
この教会には、孤児院が併設されている。
「シスター、領主様」
呼ばれて、玄関へ向かう。
扉の前には、いつもの箱が積まれていた。
「不便はないか」
低い声が、落ちる。
短く頷く。
言葉は続かなかった。
領主様は……毎日、来る。
妻になって欲しいと言われたのは、孤児になったばかりの頃。
私は、断った――別の人と約束があったから。
道は、交わらなかった。
それなのに、
約束の人は、帰らなかった……。
修道服に袖を通したあと、領主様が走ってきた。
「私にできることはないか」
首を横に振ると、何も言わず、帰って行った。
それから、箱の数が増えた。
同じことを繰り返す。
気づくと、一日が終わっている。
ずっと、……長いこと。
春になると、墓へ行く。
石の横にある木は、背だけ伸びた。
花は咲かない。
「また、ここにいる」
振り返ると、柔らかな表情があった。
――違う。
「もう、やめにしよう」
腕を引かれる。
胸の奥が騒ぐ。
何年も、そこにいた人。
――あの人とは、違う。
触れられる。
熱い。
ひらっと、何かが落ちる。
足元には、紫。
見上げると、枝の先が色づいていた。
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