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ひとひら 第七話 

ゆがみ 

4月2日 AM6:00

懐かしくて温かいぬくもりに包まれているみたいだった。

力強い手が、優しく私の背中を撫でた。

おでこを預けると、温かい胸板に触れて……

彼の体がビクッと身じろぎした。
お布団みたいに温かくて、私はさらに擦り寄り抱きしめる。

温かくて、柔らかい。

……ふわふわ?

目が覚めると、私の腕の中でノアが丸くなっていた。

「………」

私はノアをそっと手放し、伸びをして外を見る。

ひんやりとした床に足をつき、カーテンを開けると、
今日も太陽の光が昇っていく。
朝の光が、森と海をやさしく照らす。
そのコントラストが、すごくきれいだった。

……昨日は、海への散歩はやめてみたけど、今日は行ってもいいのかな。
ふと思う。

手紙の言葉が頭をよぎり、
胸の奥に、かすかな不安が残った。

「……大体、手紙の内容通りにする必要も、ないんだけど。」

机に置いていた手紙に手をかけ、すぐに放す。
どう考えても妙な手紙だ、昨日の出来事も夢とは思えない。
私は手紙を机の引き出しにしまった。

薄手の上着を取り出す。

海沿いの朝は、まだ少し冷えるから。

靴下を履こうとして、ふと足が止まった。

……あれ?

ノアが、私の靴の上に座っている。
しかも、やけに堂々と。

「ノア?」

声をかけても、動かない。
尻尾だけが、ゆっくりと床を叩く。

「そこ、どいてほしいんだけど」

しゃがんで抱き上げようとすると、
するりと身をよじって逃げる。
そしてまた、靴の前に座る。

「……なに、それ」

思わず笑った。
こんなふうに、邪魔をする子なの?

もう一度、海の方を見る。
光はきれいだし、波も穏やかそうだ。

でも――
さっきまで確かにあったはずの行きたい気持ちが、
少しだけ、遠のいている。

「……まあ、いいか」

私は履きかけの靴下を脱いで、上着を戻した。
代わりに、ケトルに水を入れ、湯を沸かす。

ノア用の水受けに水を足す。
「水、飲もうか」
ノアは何も言わない。
ただ、満足そうに目を細めていた。

今朝はダージリンを入れる。
海を眺めながら、紅茶をひとくち含むと、肩の力が抜けた。

机の椅子に腰掛け、手帳を開く。

思いつくまま言葉を書き連ねていく。
心が落ち着く時間。

ただ、今日は妙な言葉ばかり浮かぶ。

手紙。
海。
白い花。
巨木。
時間。
ログハウス。
女性。
水。
スマホ。
夢。
ノア。
……悠

書きながら、
昨日のことを思い返す。

……私、おかしくなったのかな?

でも、不思議なことに、この状況を受け入れている自分がいる。

気がつくとノアが私の机に乗り、それから、私の膝の上で丸くなった。
……あったかい。
ノアの背を撫でながら、また、手を動かす。

時計の針の音が、静寂に響く。

日記を書き終えると、小腹が空いてきた。
立ち上がろうと身じろぎすると、ノアは私の膝から素早く降りた。

軽い朝食を準備して、ノアには昨日買ったキャットフードを準備する。
昨日のことがあってか、庭に出る気にはなれなかった。
お腹が満たされたところで、昨日の読みかけの小説に手を伸ばした。
のんびりと過ごし、時計を見る。

……もう八時か。

玄関の横にかけてあるカーディガンを羽織ると、郵便受けに向かう。
今度はノアも邪魔してこなかった。
玄関を開け、すぐ横の郵便受けを開ける。
入っていたのはチラシだけ。
台所横のゴミ箱にチラシを丸めて捨てる。

カーディガンをハンガーに戻し、ダイニングに戻ると、
先ほどまで皿を舐めていたノアがいなかった。

「…ノア?」

二階の机の上にノアはいた。
近づくと、ノアの足元には、昨日の手紙。

……しまったのに。

私は、昨日読んだばかりの手紙を、もう一度開いた。

一枚目に書かれた言葉は、変わっていない。

少なくとも、そう見えた。

「え……?」

鳥肌が腕から背中へぞわりと走る。

一枚目の下から、ずれて見えた二枚目。
そこには、一枚目と同じ花の絵柄が浮かんでいた。
それだけでなく、上の行に何か文字が書いてある。
少し震える手で一枚目を机に置く。
そこには、昨日までなかった文字が浮かんでいた。

『巨木の根から流れる水は、庭の川に繋がっている。』

二枚目には、それだけが書いてある。

昨日まで、確かに白紙だった。

光にかざしても、裏返しても、何も浮かばなかったはずなのに。

思わず、手紙から手を離す。
机のそれを、触れそうになって手を止める。
触れたら消えてしまいそうで、
触れなくても、消えてしまいそうで。
私は、そっと二枚目を裏返し、また、表に戻す。
封筒の中も確かめる。
一枚目の文字も、もう一度読む。

でも、変わったのは、この一行だけだった。

ノアを見ると、いつもと変わらない様子で、こちらを見ている。

……確かめなきゃ。

怖いのか、知りたいのか、
もう、自分でもよく分からない。

私はノアをそっと抱き上げて、階段を下りた。
庭に出ると、朝の空気がひんやりと頬に触れる。

昨日の巨木の裏には、確かに水が流れていた。

そして、自宅の庭には細く小さな川が流れている。

……はず、だった。

でも、目を凝らすと、
水の先が森の奥まで続き、少しだけ揺らいで見える。

庭の奥。

昨日まで海に繋がっていた小道には、木々がびっしりと生え、
通れなくなっている。

その代わりに、川の水の横に沿って、
森へと続く道ができているように見えた。

「……こんな、だったっけ」

水音が近くなる。
しゃがみ込んで、水に触れると、

ぐらり。

めまいに似た感覚に襲われる。

その向こうから白いものが、ひらり、と揺れた。

——花びら。

私は誘われるように足を運ぶ。
胸に抱えるノアを抱きしめる力が強くなる。

川に沿って草木を踏む音が響く。

そして、すぐ目の前に、

——巨木が現れた。








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