感情がない自分を責めていた私が、「それでよかった」と思えた話
「自分の気持ちがわからない」
そう感じて、落ち込んだことはありませんか?
泣きたいのに泣けない、怒っているはずなのに何も感じない。
周りは感情豊かに見えるのに、自分だけ空っぽ。
私は長い間、そんな自分を責めていました。
「冷たい人間なんだ」と思っていました。
でも今は、少し違う見方をしています。
感情がわからなかったのは、生き延びるための力だった。
今日は、その話をします。
感情を止めるのは、心の自然なブレーキ
毒親的な環境で育つと、感情を出すことが危険になります。
泣けば怒られる。怒れば無視される。
嬉しそうにするとからかわれる。
そういう経験が続くと、心は学びます。
「感じない方が安全だ」と。
私は小さい頃、親の機嫌を読むのが仕事でした。
怒らせないように空気を読む。
本音は飲み込む。
そのうち、自分の気持ちがわからなくなりました。
当時はそれが異常だと思っていました。
でも今は違います。
それは心のブレーキでした。
生き延びるための機能でした。
もし感情を全部感じていたら、もっと傷ついていたと思います。
だから感情遮断は、弱さではなく強さでした。
感情を「探そう」とすると、逆に遠ざかる
自己理解の本やワークで、「感情を感じよう」と言われます。
私も必死に探しました。
「今、何を感じている?」
とノートに書き出しました。
でも何も出てこない。
焦りました。
「やっぱり私は壊れている」と思いました。
後で気づいたのは、
探す行為そのものがプレッシャーだったことです。
「感じなければいけない」という義務感。
それがまた心を固くしていました。
感情は、探しに行くと逃げます。
安心できるときに、勝手に出てきます。
まずは「安全」を感じることから
感情より先に必要なのは、安全です。
大げさな安全でなくて大丈夫です。
小さな安心で十分です。
例えば、温かい飲み物を飲む。
好きな毛布にくるまる。
スマホを置いて深呼吸する。
私は夜にシャワーを浴びる時間を大事にしています。
お湯が背中に当たる感覚に集中します。
「今ここにいる」と体に伝える感じです。
こういう小さな安全が増えると、感情は少しずつ戻ります。
感情の代わりに「体の感覚」をメモする
感情がわからないときは、体から入ると楽です。
「悲しい」ではなく「胸が重い」
「不安」ではなく「胃がキュッとする」
私はノートにこう書いていました。
「肩がこっている」
「息が浅い」
「お腹が空いている」
これも立派な自己理解です。
感情の入口になります。
「自分ほめ」で内側の関係を変える
私に一番効いたのは「自分ほめ」です。
やったことを小さく認める習慣です。
「今日はちゃんと起きた」
「コンビニに行けた」
「この記事を読んでいる」
どんな小さなことでも言葉にします。
最初はバカバカしく感じます。
でも続けると、内側の声が変わります。
毒親の声ではなく、応援する声が増えます。
それが感情回復の土台になります。
うまくできない日があっても大丈夫
安心ワークや自分ほめができない日もあります。
そんな日は「できなかった」と書くだけで十分です。
それも気づきです。
回復は直線ではありません。
進んだり戻ったりします。
それが普通です。
まとめ
感情がわからなかったのは、
あなたの心が弱かったからではありません。
生き延びるために選んだ方法でした。
だから責める必要はありません。
感情を探すより、まず安全を増やす。
体の感覚に気づく。
小さく自分をほめる。
それだけで、心との関係は少しずつ変わります。
感情は、安心の中で自然に戻ってきます。
「感じられない自分」を責める代わりに、
「ここまで生きてきた自分」をそっとねぎらってみてください。
それが、きっとあなたの回復の一歩になります。
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