100年歌い継がれる琵琶湖周航の歌

我は湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの
滋賀の都よ いざさらば  

「琵琶湖周航の歌」をご存知だろうか?

滋賀県民なら知っているとは思うが、ビワイチの話をして、そういう歌があるのを思い出した。この歌は6番まであって、大津から始まり彦根に時計回りに琵琶湖をぐるっと巡る歌だ。

この歌は1917年、旧制第三高等学校のボート部員だった小口太郎によって作詞された学生歌である。今なお歌い継がれる名曲だが、驚くべきことに作詞者の小口太郎は26歳で亡くなっている。また、原曲の作曲者である吉田千秋も24歳で亡くなった。

もちろん、これは偶然だろう。がしかし、音楽の歴史を眺めていると、不思議と似たような例に出会う。

「荒城の月」を作曲した滝廉太郎は23歳で亡くなった。先日も語ったフジファブリックの志村正彦は29歳。「若者のすべて」を遺してこの世を去った。広義で考えれば、坂本九や尾崎豊だってそうかも知れない。

当然ながら、名曲を残した人の多くは長寿を全うしている。歌を遺す者が早逝する、などという法則は存在しない。だが、それでも我々は、若くして亡くなった表現者が遺した作品に特別な何かを感じてしまう。

作品そのものが変化したのではない。変わるのは聴き手側である。

「琵琶湖周航の歌」は、本来は若者たちの旅を描いた青春の歌だ。しかし作者が26年しか生きられなかったことを知ると、その歌はどこか人生そのものを歌っているように聞こえてくる。

作品は変わらない。

けれど、その作品を取り巻く物語が変わる。

我々は歌を聴いているようで、実はその向こうにある人生を聴いているのかもしれない。人はいつか必ずいなくなる。だが歌は残る。むしろ、その人がいなくなった後にこそ、歌は本当の意味を持ち始めることさえある。

「琵琶湖周航の歌」が100年以上歌い継がれているのも、単に琵琶湖の景色が美しいからではないだろう。

琵琶湖とて日々、姿を変える。過ぎ去る時間への惜別と、還らない青春の残像が、歌に乗せて去来する。そして、人はいつか死に、歌は永遠に残る。

歌を遺す者は果たして早逝か。

答えはもちろん否だ。

だが、早逝した者が遺した歌は、ときに作者自身の人生を抱き込みながら、時代を越えて生き続けるのである。

琵琶湖周航の歌に戻ろう。

この歌には1つ奇妙な点がある。先の記事にも書いた、竹生島の存在だ。歌の中で、竹生島はこのように歌われる。

瑠璃の花園
珊瑚の宮

歌の前半は比較的写実的なのに対し、竹生島の描写はやけに抽象的でファンタジーに寄る。まるで僕が書いてしまいそうな歌詞だ笑。

竹生島は琵琶湖を取り巻く環境にあって、言わば象徴のひとつだ。ビワイチにしても、琵琶湖周航にしてもゴールではない。でも、例えば新幹線で東京へ向かう時、車窓から見える富士山に興奮したり、ふとどこかを旅した時にふいに見える大きな鳥居に神様の気配を感じたりする。たぶんそういう感覚に近いのかも知れない。竹生島の神聖さを琵琶湖の中に思う時、単なる島の存在として捉えずに、神秘性をそんな言葉で装飾してみたくなるかも知れない。

現実と幻想、その境目。

小口太郎は竹生島を見ていたのではなく、その向こう側にある何か、それは信仰なのか、青春なのか、永遠なのか?琵琶湖に想いを馳せ、彼は何を見ていたのだろうか。

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