かなしみが溢れ出しても、それは人生の大切な1ページ
映画館で映画を観ている時に、ふと思い出すことがあります。
それはたいてい、かなしい思い出。
映画はフィクションが多く、人がよく亡くなるシーンが出てきます。それと同時に、生きるのが素晴らしいといったシーンもワンセットのように。
映画はエンターテインメントなのでストーリーに起承転結をつけ、観客を感情移入させたり感動させないといけませんよね。それは理解しています。
でも、稀に数年に1度の名作に出会います。
最近鑑賞した、こちらがそれです。
「人はなぜラブレターを書くのか」綾瀬はるか主演、石井裕也監督
実話をもとにした、時代を超えたラブストーリーであり家族の物語。珠玉の名作だと私は思います。内容はここには書きません。感じたことを綴ってみたいと思います。
心の奥底に眠っている感情が溢れ出す
名作映画を観ると、ふとしたときに心の中がどどどっと溢れることがあります。数年に1回くらいでしょうか。自分でも予想していないのでゾーンに入ったというか、周囲に人がいても自分一人でその場にいるかのような気持ちになる。
今回、こちらの映画を観た時に、いくつかの感情が溢れ涙が止まりませんでした。
誰にも話したくない自分自身のこと
誰にも言っていない、自分の中だけに閉まっているものが顔を出してしまいました。自分でも忘れているくらい、日常の中では大した影響力もないこと。ですが、それが土の中からモグラの顔のように表に出てきてしまいました。
それは、若い頃から抱えていたコンプレックスでした。
長い間苦しんでいた、自分自身の特性。目を背けてきたわけではないけど、できれば異なる自分だったら良かったのになと思う部分です。
それが出てきた時には、動揺とかなしみで目の前がぼやけてくるのがわかりました。
目を背けたくなるようなことでも、自分は自分。そう思える日もありますが、こういった瞬間には止められないほど溢れてきます。
でも、不思議とそれは不快感ではないんです。
なぜなら、これらもすべて自分そのものだからです。
たまに浮き出てきて、驚きますがある意味愛おしいというか、「あ、こんな自分もいたな」と思える。
そう、人間そんなに単純じゃない。複雑ないきものなんですよね。面倒くさいです。
かなしい思い出が絵本のようにめくられる
そして、私にとってかなしい思い出もやってきました。それは母のことです。
大学生の頃に父が亡くなってから、ずっと一緒に暮らしてきた母。母の日はきまってたらこパスタを作ってあげていました。若い頃お金が無かったので、だったらせめて手料理をと思い母の好きな、たらこパスタを作ったことがきっかけ。それから長い間の決まりごとのようでした。
私が中学生の頃、母をかなしませてしまったことがあります。
学校の帰りに、見知らぬ先輩から制服を貸すように言われました。内気で弱気だった私は、そのまま貸してしまいました。30分以上、校門のそばで待ち続けました。
先輩が自転車で出てきたので、ああよかった、と思った瞬間、その先輩は私に気づかずに走り去ってしまいました。私の制服を着たまま。
私は、どうして良いかわからずそのまま家に帰り自分の部屋に閉じこもりました。
母は、私が家に帰ってきていることを知りません。
そこに私の友人が尋ねてきました。玄関で、母に私の制服を渡しているのを2階から見ていました。おそらくその先輩が友人に制服を渡したのです。
でも、恥ずかしくて、情けなくて私は1階に降りることができなかったんです。
1時間ほど経って、下に降りると母はいませんでした。
どこかに行ったのだろうか?少し心配になりました。
しばらくしたら玄関の音が聞こえました。母が帰ってきたんです。
リビングにいる私を見るなり、
「本当に心配したんだから」
「どこかで辛い思いをしてたらどうしようと思って」
はじめて、母が泣いているのを見ました。
私は自分のしたことが、母をかなしませてしまったんだと気づき、心のそこから後悔しました。
自分の幼さで、母を困らせ、つらい思いをさせた。そこから、これからは母を大事にしようと心に決めました。
父を亡くした時も、絶対に私が支えるんだと強がって、でも本気でそう思っていました。
そして年月が経ち、結婚するときは妻が家に入ってくれて、3人で暮らしてきました。
子宝に恵まれ、いつしか母と妻、長男と次男、そして私の5人で1軒家でドタバタしながらも、幸せな毎日を過ごしていました。
クリスマスは、母が孫にプレゼント。それとは別にサンタさんからのプレゼント(私がサンタ役)。大喜びのこどもたちを見るのが好きでした。
喜ぶ孫を見る、母の表情はほんとうに穏やかでやさしくて、ずっとずっとこの時間が続けばいいと思えるくらいでした。
ですが、その日がやってきてしまいます。
3年前のある日、残業を終えて駅に向かう際スマホを見ると何度も妻から着信の履歴があった。
掛け直すと、慌てた声で
「お義母さん、緊急搬送された」
急いで病院に行き、深夜に及ぶ3時間の手術が終わりました。
母は友人宅の高い階段の上から落ちて、コンクリートに頭を強く打ちつけ脳挫傷、急性硬膜下血腫で寝たきりになってしまったのです。
病院の先生のおかげで幸い命は助かりました。
でも、子供たちが生まれてから一緒に暮らし、ずっとずっと慕ってきたおばあちゃんと、暮らすことはもうできない。そんな事実を知りました。
私は必死でした。病状がどうなっていくのか、話せるようになるのか、私たちのことをちゃんとわかってくれているのか、気が気ではありませんでした。そして仕事や家庭では、いつものように平気なふりをして、真面目な父親として毎日を過ごしていたんです。
でもある日、隣のお宅のおばさんに母のことを報告しにいった際、玄関先で
「お母さんのこと大好きだったから、本当に悲しい」
「困ったときは、なんでも言ってね」
おばさんに言われた瞬間、私は耐えきれずにそこで号泣しました。ずいぶんと長い時間だった気もします。妻も横にいましたが、張り詰めていた糸がスッと静かにきれてしまった。
ほんとうは心から、かなしかったんだと思います。
でも、長男だからと我慢していた。病院や施設を探さなければいけない。そもそも施設に入れていいのだろうか。親不孝なのではないか。そんな感情もあった。子供達に、おばあちゃんの心配をさせてはいけない。かなしませてはいけない。
自分の心は、あとまわしになっていたんです。
人生にかなしみはつきもの
私が日々大切にしている考え方、セルフコンパッションに共通の人間性という概念があります。
それは、自分と同じようにほかの誰かも傷ついている。自分と同じように困難さを抱えている。そんな風に気づくことを言います。
人生に、かなしみはつきもの。長く生きていると、それに気づくことができます。でも、慣れるわけではない。何も感じないわけではない。やっぱり、かなしいです。
ただ、時間というものは不思議で、そんなどん底にいる自分を救ってくれる。
かなしみがあるから、喜びもある。
喜びがあるから、生きている実感がわく。
かなしい時にしっかりかなしむことで、また前を向くことができる。そんな風に私は思っています。
人が過ごす人生は、誰一人として同じものはない。なぜなら、人生というのはそのひと自身のものだからです。
私も親になって子どもの幸せを願うようになりました。
子どもたちが、健やかに育ち、時には苦難の道を歩みながらも生き生きと過ごしてほしい。そんな風に思います。
母は、いま老人介護保険施設で穏やかに暮らしています。散歩に連れて行って、コーヒーゼリーを食べさせたり、時には家で中程度に焙煎したコーヒーを淹れて魔法瓶にいれていき、飲んでもらいます。
孫に会う時の母の笑顔、それをみると心に花が咲くような気がします。
人生、いろいろありますが、毎日1日1日を丁寧に、大切に生きたい。そう考えています。

最後に、映画に出演された妻夫木聡さんの言葉が胸に染みたので。
「過去を生きる人、今を生きる人、みんなの想いが溢れている。悲しみさえも糧にして、前を向き、それぞれが夢に向かって踏み出していく様に涙が止まりませんでした。一つのラブレターによって、止まっていた時間が動きだしていく。悲しいことも、嬉しいことも、みんな手を繋いで生きていければ良いよねって思わせてくれる、そんな素敵な映画です。」
皆さんの毎日が、素敵な出来事で溢れたものでありますように。
#セルフコンパッション
#コンパッション
#マインドフルネス
#マインドフルネス瞑想
#リーダーシップ
#私のコーヒー時間
#ビジネス
#生き方
#母
#母の日
#映画
#人はなぜラブレターを書くのか
#綾瀬はるか
#妻夫木聡
#細田佳央太
#當真あみ
#創作大賞2026
#エッセイ部門
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援をお願いします!いただいたチップは、クリエイターとしての活動費に使わせていただきます。